goo blog サービス終了のお知らせ 

風に吹かれて ころんの日記

自然を愛しそよ風のような日記 

西予市 文化の里

2007-11-05 | 風景
  

  

  


  

  

 

     かってはは伊予と呼ばれたころの面影を残す田園風景

     あざやかな自然とうつくしい風景 わらぐろのある風景

      お遍路さんが行く南予の道 西予市 (せいよし)

    ふるさと という言葉にふさわしい 自然が溶け込む風景です。


   ↓ソウル清渓川 アップいたしました合わせてご覧くだされば幸いです。

ソウルの旅  清渓川

2007-11-05 | 旅と自然
    清渓川 (チョンゲチョン)

                              

   14世紀末朝鮮王朝がソウルを都に定めたころ・清渓川には
   南山(ナムサン)仁王山(インワサン)の谷間から流れ出た砂が積もり・

      大雨が降ると洪水を起こしてしまいました。

   

     川底に積もった土砂を掘り出し堤防を築く工事をします。その後
    日本による植民地時代と韓国戦争を経て、清渓川が難民街となります。

    1960~1970年代 韓国政府は交通衛生環境問題を解決するために清渓川
         を埋め立て道路を作り都心産業の中心となります。

    増える一方の商店街と交通問題を解決するため、高架橋道路が設けられ
           近代的なビジネスタウンに生まれ変わりました。

   

 1980~1990年代清渓川一帯は80年代に入って韓国産業の中心的役割になりますが
   車の排気ガスによる汚染で道路の下にあった川の汚染が深刻化します。

   高架橋道路の構造も腐食が進んだため市民の安全に対する憂慮が生じるようになります。

   

    2005年10月
    2003年7月1日から2年3ヶ月にわたる復元工事を経て2005年10月1日、
     約40年間道路の下に隠されていた清渓川がその姿を現しました。

   


   

     開通後毎日のように大勢の人が清渓川を訪れており、

   市民の憩いの場としてさまざまな文化活動の場として活用されています。
 
   

     噴水を作り滝を作り清渓川の名前にふさわしく清潔な川でした。
      モダンなスポットを作り周辺のビルにはレストランが立ち並び

     全長およそ58キロ往復で3時間30分もかかってしまうそうです。

    夏は橋の陰が涼しくて市民の憩いの場だそうです夜はライトが照らされ
      夏は川遊び橋もモダンな彫刻が施されていました。


   ソウルの旅が続きました  コメント閉じさせていただきます。