一年前の記事から・・・その時の一枚をテンプレにしました。
今日は母がお世話になっていた部屋の確認に行きました・・・つまり修理箇所や清掃などの費用が係りますので。その時にホームへの入り口の山桜が咲いていたのです。
咲き始めたかとちょっと感慨深いものがありましたので。
一年前の記事です
https://blog.goo.ne.jp/haiku_yu-me/e/91cee018d78f3dac7065e7a0dcbf8ca6
一年前の記事から・・・その時の一枚をテンプレにしました。
今日は母がお世話になっていた部屋の確認に行きました・・・つまり修理箇所や清掃などの費用が係りますので。その時にホームへの入り口の山桜が咲いていたのです。
咲き始めたかとちょっと感慨深いものがありましたので。
一年前の記事です
https://blog.goo.ne.jp/haiku_yu-me/e/91cee018d78f3dac7065e7a0dcbf8ca6
夕食後に母屋へともどり母に線香を上げて、朝に上げたご飯お茶を下げる日課です。
葬儀後からの花が枯れ始めて来た。水は注していたが、よく保てたなと・・・半分ほど整理した。
いつも買い物のときに見ているきれいな花を挿そうかなと思っていた。
余談ですが、葬儀屋さんが葬儀数日後に花を持って来た・・・分厚い返礼品などのカタログと一緒に。
ちょうど私は家に居なくて娘が受け取っていたのですが、翌日に電話を致しまして・・・
また持ってくるの?と聞きますと、四十九日までは週に一度との返事。
ご丁寧に有難うと言って、丁寧にお断りした。
花ぐらい自分で選びますし、少しは形を気にして挿せますので(笑)
知らないうちに母から何かを受け継いでいる気がしてならないのです。
おやすみなさい
日本古流 活華大意 と書いてあるようです。この巻物が四巻あります。流派は最後まで開けば分かるかもしれませんが、他の物で調べてみよう。
さて午後にこの時期ならではの頂きものです(^^♪
コシアブラの新芽ですね。生でそのまま一つ食べましたが、なんとも香りがいいです。
オリーブオイルを熱し、さっと火の入らないようにくぐらせて、サラダのトッピングで食しました。
まさに春のお味でした。いつものドレッシングですが一味違います。
季節の変わり目、体調に注意しないといけませんね!
くしゃみと鼻水はようやく収まったようです。
杉花粉も終わり、ヒノキ科花粉の真っ盛りだそうです。
でもなんともなかった私なのですが・・・7日夜にちょっとだけ、くしゃみと鼻水、でも夜はよく眠れたのです。
8日になって仕事をしていますと鼻水が・・?
だんだん酷くなってきて、くしゃみは出るはで大変でした。
鼻水の薬があったので昼食後に呑みましたが、効果はいまいち。
何が原因でこんなになったのかは分かりませんが・・・
6日夜から7日にかけてかなりの黄砂でしたね。
車もそれこそ土を被っているのが一目で分かるくらいでした。
原因は黄砂?それとも他のなにか植物かな・・・不明です。
お風呂に長めに入って体を温めた今は、少しだけ落ち着いていますが・・・
鼻をかむので、長い鼻の下がひりついてます。薬を塗らないと(笑)
ノンカラーと扇風機の感じからすると昭和40年頃でしょうか。
この頃にパン屋さんをしてまして、福岡の天神木村屋パンですが。
自分でも食パンをスライスしてサンドイッチを手づくりで販売していました。
とあるお客様が、木村屋本店の天神のお店に行かれて、サンドイッチを下さいとと注文したら・・・
店員さんは、木村屋では販売しておりませんとの返事。
お客様は我が家の店で買ったと、美味しいからこの本店にもあると思ったそうです。
その後日談がありまして・・・木村屋の偉いさん二人お見えになって、サンドイッチのことを聴かれたそうです。母は当たり前に作っていたのにと笑っていたそうです。
それからでしょうか、パン屋さんにサンドイッチが並ぶようになったのは。
池袋時代に、ご近所に帝国ホテルの厨房で働いていたコックさんがおられたそうです。
その人は休みの日なんかに、珍しい料理を作ってご近所の人たち食べさせたりしていたそうです。サンドイッチもその一つだったのでしょう。
母がサンドイッチを作るのを傍で見ていると・・・なんか塗っています。
なにそれ?・・・舐めてみる?で舐めてびっくりマスタードでした(笑)チーズサンドだったと記憶していますが(^-^;
昨日スキャンした中にこの一枚がありました。
日本古流を学んでいた母の作品であれば、約80年前になりますね。
母が花を活けている傍らで、質問をしていたことを思い出します・・・なんで鋏で切るの?とかですが・・・
生け花には天地人?があって。一番上から下までバランスよく活けないと駄目なの、とか聞いた記憶があります。花をじっと見ていた自分を思い出しました。
生花の先生には子供が居なくて、母を養女に欲しいと何度も言われたそうです。でも母は一人娘でしたんで(笑)
ではおやすみなさい