goo blog サービス終了のお知らせ 

一句鑑賞

のぼさんに会ってきたぞな

ぶるぶるとベッドに入ってもこの音から逃れることのできない船の中で目覚め、下船は午前5時であった。

寝足りない頭と寝ぐせの酷い髪を撫でながら余はひとり高浜駅へと歩き出したのである。

右手に見える海の沖に低い山が連なっているがどの尾根も凸凹という表現は失礼なのだが不思議とその形に興味を覚える。

駅までの海岸には漁師の船が多く係留されていたが、一人の漁師がなにやら道具を肩と手に家から道路を横切り舫でいる舟へとすたすたと歩いてきた。

朝5時に歩いている余を不審げに一べつしたので軽く会釈を返した。話しかけようと考えたが、余も彼も先を急ぐ体であるのでそのまま急いで駅へ向かった。

海岸線の道が大きく右へ曲がりその先からは直線になるところに目的の高浜駅が昭和四十年代に建てられたであろう姿で迎えてくれた。といっても始発は5時18分であと数分ある。松山市駅までの切符をと料金表を見上げ小銭を用意して販売機で490円だったかを手のひらに収めた。

やがて駅員が一人動き始めたので、この鉄道はICカードの交通系は使えるのかと訊ねてみたら、はい使えますよとの返事を頂いた。改札を通るときに、あぁいつものピッがあるなと発見したが、余は切符を握りしめている。

駅員はこちらへと私を招き、パチンと切符を切る・・・なんと言うのか記憶の底に埋もれてしまったが、その鋏で私の切符に小さな穴を開けてくれたのである。

始発にはほかにニ三人の客が居たが一人はマニアックな旅人のようで駅舎に居るときからあちこちスマホを向けている。

動き出して海岸線だから平坦な地形を想像するが実は山が迫っている、その中を走るので退屈はしなかったし駅名に「港山」などと見ると、港もあるが山もあるのだなと地形と名を比べたりしていた。

途中のやや広い駅構内で電車が何両も見えるのでここが電車区の一つかと考えていると脳が目覚めたのである。なんとみんなオレンジ色を否、みかん色をしているではないか。なるほどと余は納得したのである。みかん色の車体には白抜きで IYOTETSU の文字がやや右斜体であり、ふつうの電車は軽やかさを出すために横にラインを見かけたりするが いよてつ は違うのだなと思った。

やがて三津という駅に停車したが余の脳はなにかを思い出していた。余の後輩の作者が書いた坂の上の雲という本にあったが、たしか余の同級の正岡が16才の時に松山か上京したがその港の地名だったとお思い起こした。港と言っても浜のような処から舟を漕ぎだしたのであろう。その浜を看れなかったのは残念だったが、やがて松山の市街地が近まりマンションの高い建物も目に入りやはり四国一の町なのだと思った。

終点の松山市駅に下りたがその上は大きなビルであり高島屋という百貨店が入っているのであるというか、メインテナントなのであろう。夕刻にここに夕食のお弁当を買うことになろうとは朝の時点ではまったく思いもよらないことだった。

さてと路線検索しておいたイヨテツ市内線へと停車場へ出ると一人の駅員さんが手帚とチリ取りを手にしてらっしゃる。おはようございますと声をほぼ同時に掛けたのでついでに質問してみた。IC交通系は使えますかと、はい、交通系各社さま10社全てお使えできますよと、親切な物腰で教えてくれた。あぁこれでnimoca一枚で動き回れると安心する。

同級生の正岡は故郷に余も見たことのない立派な記念博物館を建ててもらっているが、当然に知る由もないだろう。余としてはある意味羨ましくも思ったりする。

長くなりそうなので伊予での続きは後日にしておこう、あちこち歩き回ったり改札や百貨店や記念館での階段の上り下り、はたまた砥部焼工芸館近くまではバスで行ったが往復30分ほど歩いたりしたので脚の筋肉が今日はこわばって痛くなった。痛みが終わるころには続きを書きたいものである。

しかし地元に人に話すことができなかったのは残念。コンビニで買った朝のパンや、記念館で切符を買ってもこの国の形としての共通の言葉しか聞けない。

そんなこと感じた旅の前半であった ぞなもし(^_^;)

画像などはいつになるやらでお湯るしを!道後本館湯は入らなかった、理由はフェリーの寝不足で湯上りで休憩したらいつまでも眠ってしまいそうじゃが(^_^;)

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事