青水無月田は満々と山映す
おやすみなさい
柘榴は秋の季語ですね
例句に・・・
くれなゐの泪ぎつしりざくろの実 和田知子
自分の流してきた泪のようだと、それもぎっしりと・・・女性ならではの句だと言えば、それは差別だと言われるかもしれませんが。この泪を理解できないと男ではないとも思います。昨年も鑑賞した気がします。
カバー写真はまだ熟していません。雨粒が似合います。
楓の窓辺の席でのお二人を見ていて
青梅雨の頷くひとりもう一人
里芋の葉ですかね?なんか久しぶりに見た気がしたので一枚。
じゃおやすみなさい
オフでしたので、朝倉市の床屋さんへ行きました。
天気は雨、一時強く降りましたが午後からは落ち着いていました・・・
12点鍾もしっかり聞いて満足。
いつもの床屋談義は、秋月の鴨めしから始まっていろんな食べ物の話です(笑)
床屋さんを出て「すし酢」を1本求めました。
そして「Café楓」へ、久しぶりにアラビアータを頂きました。
いつも完食です・・・この木のテーブルは厚みが7~8センチはあろうかという重厚なものです。
食後のコーヒー
このカップはたぶんあそこの器だなと・・・ミルクと似合います(笑)
薄くて軽めですが、なんとなくふうわり感があって、いいカップです。
Café楓に駐車したらザクロの実が雨粒を付けてました。
俳句は夜にでも書きますか・・・実は、楓の窓際の席に女性二人。なにかお話が弾んでいます。窓越しの雨の景色をと考えてました(笑)
楓のジャムを一瓶購入
帰りのみなみの里で、修平君のお米を5キロ、ナスとピーマンを買いました。
俳句は夜にでも
曇りでした、ときおり雨。
朝から座敷の掃除です・・・掃除機をかけ卓を拭きあげて、真ん中に遺言証書を公証役場の封筒のまま置き準備完了。
お盆に冷えたお茶と水を用意しました。
約束の時間に兄と弟が来て遺言の確認です。
三人とも内容に異論は無しで、その通りに実行することに同意。1時間ほどで終了です・・・事後の事務手続きなどありますが、これで肩の荷が下りました。
兄を送り、昼食はうどんWESTで軽めにして買い物へと向かいましたが、頭が疲れていてメニューも浮かばないし行く気がしない。墓前に今日の報告をしておこうと霊園まで行きました。
霊園を出るとなんとか普通モードに(笑)
鶏むね肉の醬油煮とズッキーニとエリンギを牛ミンチで炒めました。一昨日買っていたカボチャもいつもの煮物で、トマトをカットして、カットキャベツともに。明日のために胡瓜の浅漬けを・・・やればできるなと。
問題は明日だ、天気予報が悪い!・・・筑後朝倉方面には大雨の予報です。
実は朝倉の床屋さんへ予定をしていました、みなみの里でお米を買ってからですが・・・雨のドライブは気乗りがしません。1週間延ばすかな。明朝の天気次第ですが。なるだけなら済ませたいが、来週も用件が入ってますので・・・
朝倉地方は昨年のこともあり、皆さんご心配でしょうね。どうか備えてください。
歳時記の例句に・・・
男梅雨侮りをれば寝ねがたし 山田みづえ
どうか程よい雨でありますよう。おやすみなさい
私はブログは、陸の出来事しか書いてきませんでしたね・・・もう海を何年見てないでしょう(笑)
妻の家が東区西戸崎というところでした。志賀島に近いです。
海岸まで歩いて数分、岸から岸壁から投げ釣りを楽しんだり、夏は海水浴と・・・
釣りは鱚(きす)、季語では「きすご」「鱚釣り」もありますね。
鱚のほかにはもちろん食べれないフグなども釣れますが、ベラや、ときには鰈も釣れましたね。その日の夕食は鱚の刺身、焼いたのとか美味しかったですね。
私を可愛がってくれました妻の両親は、ともに85歳ぐらいで数年をおいて亡くなっています。いわゆる介護という言葉がまだまだの時代でした。義父の方が認知(当時は老人性痴呆)じゃなかと・・義理の姉からの相談もあり、病院や受け入れ施設を調べに区役所に通ったり・・・そして私の家から近い所の特別養護老人ホームへ入居。義母は一人暮らしをしていましたが、困難になり当時はなかなか入れない施設に入居できました。
なぜ義理の両親の心配をしたのか・・妻は五人姉妹の末でして、一番上の姉から可愛がられて育っていました、その姉から両親の心配を聞かされると私にそのまま言います(笑)私の性格上、やれることはしますので。義理の父母からも勉強させていただいたわけですからね。
妻が、両親に親孝行をしてやれなかったと言ったことがあります。
私の返事は・・・毎週末、子供たちを連れて実家に遊びに行ってたのが一番の親孝行じゃないのか?
妻の両親を看取り、妻までもとはその時は思いませんでした。
私自身の父は13年前、母はこの3月でした。
明日は母の遺言を開けますので、兄弟が3人そろいます。
その結果がどうであれ、私は肩の荷を下ろすことができます。
なんか解放されそうな予感?解放されたいのですよ(笑)
40代で俳句を始めたきっかけは、ひとつの覚悟だったとその後も思っていました。
自分のなにかを探すというと、かっこいいのですが、逃げ場探しだったかもしれません。
歳時記と広辞苑と漢字辞典とメモノートを広げ格闘してきた俳句ですが、時には嫌になって、もう止めてやると歳時記を放り出したことも何度もあります。
でも何日か経ち数か月が経つと、また手に取って開いているのです。
俳句は逃げ場所?違いますね、新たな自分発見の場所です。
皆さん、自分探しにチャレンジしましょう、俳句は自己を見つめることからスタートしますので、自分のかっこいい発見をするかもしれませんよ!
鱚釣りて顎と眼ににらまれる
じゃ、おやすみなさい