昨夜7時、外に出てみると尾根から満月が少し出ていた、見る間に尾根を離れて浮かんだ。
今日はいい天気になりました、冬の青空とは明るさが違いますね。
春日・・・うららかな明るい春の太陽、とまではいかないけど久しぶりの眩しい青空でした。
例句には
白波と春日漂ふ荒岬 桂信子
波と春日はたがいに混ざり合うように輝いているのでしょうが海は荒さを残しているのでしょう。
昨夜7時、外に出てみると尾根から満月が少し出ていた、見る間に尾根を離れて浮かんだ。
今日はいい天気になりました、冬の青空とは明るさが違いますね。
春日・・・うららかな明るい春の太陽、とまではいかないけど久しぶりの眩しい青空でした。
例句には
白波と春日漂ふ荒岬 桂信子
波と春日はたがいに混ざり合うように輝いているのでしょうが海は荒さを残しているのでしょう。
最近は古代のお話しなどローカルな記事が多いのですが・・・
その位置関係や路線などを見るのに便利なのが、地名や路線も表記してある地図写真ですね。
古代のお話しを書くときに重宝してます。
今日もオフでしたが、雪・・・母の所へ寄ってから久しぶりに博多の街へ。
崇福寺の御門です。黒田家歴代の墓所があります。
この境内に朝日地蔵様があります、母や祖母もお参りしていましたので・・・
とくに御日ではありませんがお参りして来ました。
ときどき横殴りの淡雪が舞いました。スマホの画像は相変わらずです。
境内の一隅にある吾妻饅頭店さんに寄りました。行けば寄りますけど(笑)
甘酒ですがとにかく美味しい。お米からよくこれだけの甘さが出るものだと感心。
甘酒饅頭も美味しいでしょうね・・・今日はうぐいす餅と落雁を買って帰りました。
久しぶりだったので天神で蕎麦でも食べようかと行ってみました。
福ビルのツタヤを覗いてから、地下通路でベスト電器福岡本店まで。
デジカメ売り場を見て回りました。とにかく種類が多いので見るだけでも時間がかかります。
コンデジの一つが気に入りました、 Canonのズームにこだわった一台ですね。価格も気に入りましたが持ち合わせがなくて・・・若い店員さんから説明を受けました。最初のデジカメは出始めでしたかね?20年ほど前に一つ、その後に10年ほど前にニコンのコンデジ(当時500万画素)をここで買ったよ言ったら驚いてました・・・
久しぶりに来たのでパソコン売り場でも覗いて帰ろうかなとエスカレーターで上の階へと行きますと、オーディオの売り場で流れている曲がMJQの♪朝日のようにさわやかに♪でした。この曲が流れていなければそのまま上のフロアに行ったでしょう。
ちょっと見て回りました・・・ミニコンポを見ていたのですがアナログの知識ではまったく分かりません。店員さんの説明に驚くばかり。
今のはデジタル信号を受けて再生するのでCDも要りません、PCからUSBでつないで・・・云々。最後の方は専門語が出てきて(笑)原理は理解できても実際に自分がどう使うかとなると、大丈夫かなと心が揺れます・・・オンキョウ・ティアック・ソニーのカタログを貰ってきました。
私の持っているのはCDラジカセみたいなもので、もう20年ほど前にベストの同じ売り場で買ったナカミチの製品ですよと店員さんに言うと・・・軽く驚いて、ナカミチの説明までしてくれました。やはりコンポも欲しいなと思いましたが、デジカメをなんとかしないと!
行こうと思っていた蕎麦屋へはタイミングが合わず、他の店で。
カメラもコンポも刺激になりました。
野菜とカフェ楓の苺を買ってきました・・・
寒かったですが、10時に入店するともう先客が何人も!こんな寒いのにと思いました。
寒くても元気があるのが南の里ですね・・・11日にはイベントが予定されていました。お知らせポスターに先着順にぜんざいが振る舞われるそうです(^^♪ 恒例の餅つきもあるそうです。
白い山が分かりますか?秋月の後ろにある古処山ですが、雪をかぶっています!
神功皇后伝説がある大己貴神社のお祭りです!地元ではおんがさまと呼ばれているそうです・・・
遠賀?と連想しますね(笑)、なにか関連があるかもしれません。
この神社のすぐ横に、花の往還と札がありましてパンジーが植えられています。その地には土筆が出るのを知ってるので、探したのですが見つかりませんでした。
春は進んでいるんでしょうが、今夜の冷え込みは強いです!
大己貴神社(おおなむちじんじゃ)で兵は揃いました・・・じゃあ出発しようかと簡単には動けませんね。
どのくらいの兵の数だったのでしょうか?・・・数百では不足かな?数千ぐらいかな?万人単位では多すぎますね。では数千人としてお話を進めましょう。
兵の食料はどうしましょうか?各集落から持ち寄って賄ったでしょうか?ちょっと足りないのではと思いますね・・・一年か二年か分かりませんが滞在して、食料の蓄わえたのではないでしょうか。
食料も武器も準備できました、さてどのルートを通って北部海岸へ出たのでしょうか。また対馬海峡を渡るには相応の船舶が必要ですね。ここにヒントがあります・・・
今の筑豊本線が通っている冷水峠を越えて、筑豊盆地へと出たのではないでしょうか?
数千人を乗せる船は、一艘に数十人としても百艘以上の数が必要でしょう。筑豊盆地は遠賀川や英彦山川などの河川があり、その源は森林で造船に必要な木材も豊富でしたでしょう。また出来た船を利用して兵食料も下流へと運んだと思います。
ということで遠賀川河口付近から船出したのではと考えてます。船出して間もなく帆柱が折れ、替えの帆柱の木材を八幡西区皿倉山の西方の山、帆柱山から切り出したと言われています。
筑豊にも古墳がありますね・・・桂川町には王塚古墳、宮若市には竹原古墳が有名ですね。直接に神功皇后との繋がりは分かりませんが興味深いです。時代的に300年ほど違いますからね。
http://www.town.keisen.fukuoka.jp/shisetsu/kofun/ouzuka_story.php
http://www.city.miyawaka.lg.jp/hp/page000000800/hpg000000749.htm
ご参考にして下さい。時代的には神功皇后さんとは違います。
さて日本へ戻り遠賀川をさかのぼって来た一行は、飯塚市の曩祖(のうそ)八幡宮への段へ上陸したそうです
http://www.nouso.or.jp/history/
今の遠賀川から水路がひかれていたのか、或は本流の流れが神社のすぐ下だった。今は緑道となっていますがここに流れがあったようです・・・
今はあるかどうか知りませんが・・・段の上茶屋という蕎麦、うどんのお店が境内にありました。食べたことあります(笑)。
飯塚からどのルートを通って行ったのでしょうか?
続きはまた・・・この時点ではまだ応神くんは誕生していません、がもう直です(笑)