3年前、秋月の武家屋敷久野邸がお雛様の設えでした。
その中の一体というのかな?
誰かに似ているなと・・・スマホを向けたときに感じてたのですが。
コロナのせいで家時間が多くなって、雛人形が売れているとニュースで言ってました。なるほどいろんな影響があるんだなと、人形屋さんには良いことですね。
カー娘たちを模した人形も出ているかもしれませんね(笑)
秋月の黒門と白梅。上の写真と同じ日です。
といったところで
3年前、秋月の武家屋敷久野邸がお雛様の設えでした。
その中の一体というのかな?
誰かに似ているなと・・・スマホを向けたときに感じてたのですが。
コロナのせいで家時間が多くなって、雛人形が売れているとニュースで言ってました。なるほどいろんな影響があるんだなと、人形屋さんには良いことですね。
カー娘たちを模した人形も出ているかもしれませんね(笑)
秋月の黒門と白梅。上の写真と同じ日です。
といったところで
袂が長いのが京雛、短いのが武家風らしい。
昨夜の記事の続きですね。
うきは市吉井町の鏡田屋敷だったか、居倉の館だったか・・・記憶が錯綜している(-_-;)
マイかーという古い話ですが・・・
数日前からキーが言うことを聞いてくれない。
つまりドアオープンを押してもウンともスンとも音もしなけりゃ、ロックが開錠できなかった。キーの電池切れだな・・・ここしばらく寒いし電池の寿命です。
で2日前に日産へ電話して行きました・・・駐車場へ入れるときから女性スタッフがやって来てバックーオーライをしてくれる(^_^;)
担当営業君、今はマネージャーをしている長い付き合いだ。彼の招きでショウルームの商談デスクへ着席。新車購入・・・!滅相もない!
実はヘッドランプが暗いのです・・・昔のハロゲンランプかな。
それをLEDに変えたらどうなるか二三年前から相談していた。その頃は、ヘッドランプ全体をそっくり変えないといけないとかで、片側で4万左右で8万と聞いていた。
それがどうだろう!左右ともランプを変えることでLEDになるそうだ。しかも両方で12000円程度!驚いた。進化しているようだ・・・
でこの春が定期点検だからその時に交換してくれるよう頼んだ。これで行動範囲がすこし広がるのではと思っている。
で昨日、ちょっと峠越えをしてとある施設まで行った。場所は福岡県田川市というか糸田町道の駅だ。福岡から八木山峠ではなくてバイパスが昔できていたが、久しぶりの通るので料金は幾らだろうと案内標識を見ても無い。そのままバイパスのトンネルに突入!
あれ!?あれ!?・・・そうかとっくの昔に料金は廃止になっているようだ。どうりで交通量が半端ではない。そういえばナビはなんとも言わなかった・・・この先料金所ですなどと。
ま、夜は今のところ運転しないだが、安全を考えてLEDにします。
糸田は筑豊の町、そこからわが家へはナビの案内で・・・厳しいカーブが連続する・・
通称「ショウケ越え峠」を越えて戻った。久しぶりの峠道、ワインディングロードともいうらしい。
この峠は、神功皇后さんが朝鮮から戻り、飯塚市のまで遠賀川を上ってきた。そして陸路で大分神社で兵を解き、身重の身体をショウケみたいなものに乗り、担がれて峠を越えたのであります・・・
実は私の何代前のおじい様もこの峠を越えてわが家へ養子婿入りされております。その時は牛を一頭連れて来られてようです。江戸末期ごろですね(笑)
商売を始められたのですが、何がいいかを方々に聴いたり調べたのでしょう。水を扱う仕事が良いと決め、藍染めの仕事始めて大きな成功を収めたとさ。話せば長くなりますが、この辺の話しは代々聴かされて来ましたが・・・どうやら今のご時世では子どもたちに伝えるとかは考えておりません。
しかし神功皇后さんが越えてきた峠を吾が祖先が越え、昨日は私が車で越えてきたのです。なんか感じる所はありますね・・・先祖に負けないよう頑張ります!
車の話しから、なんで峠の話しへ?
ま、お許しください<(_ _)>
結論は、車のエンジンは快調、新車は財政を考えると買えない。で大切に乗り続けようというお話しでした。
しかし寒いですね、料峭や役者絵のこる芝居小屋
洗車機で洗っています・・・この画像は5年前。
1月も終わりますね
コロナのこと書いたって仕方ない日々ですが
土曜日にたまに一人でふらっとやって来るお客さまが・・・
私といつも(*^-^*)顔で一言二言話すのですが・・・
コロナでいろいろと大変です、と云いますと・・・
最近は姿が見えないのまで出てきましたね・・・だって(笑)
ウィルスの姿は電子顕微鏡の世界なのに、この方にはステルスがしっかりと見えてらっしゃるのです。
此処はビル街に残された一画といいましょうか、2年前にこの近くの店舗用品の店を出て昼食をと歩いて見つけた・・・「蕎麦屋うえむら」
天ざる一丁!てな具合ではなくて、大将一人で切り盛りでした。
レベル?高いですよ!味が、近隣の働く人々にピッタリだと感じましたね。
食べ終えるころにさりげなく蕎麦湯が出て来るところなんざ・・・寡黙なご亭主と受け止めました。近くに行くことがあればまたお寄りしたい。
この辺は博多五町の一画だと知れば、山笠の何番流れだったか・・・
山笠の男衆は・・・コロナには負けるかと!思うとりまっしょうね!
博多山笠の起源は鎌倉時代でしたか・・・疫病が流行り人々がばたばたと死んでいったのです。一人の僧が道に水を撒きながら経を唱え町をまわったので疫病が収まったのが起源の博多山笠。今年はどうか山笠(やま)が博多の町を走って疫病を鎮めて欲しいものです。
山笠よ走って下さい!おっしょい!!
さて俳句のことでも書きますか・・・読者登録している方の記事にオリオン座!
季語では・・・寒オリオン
冬は大気が澄み、夜空の星の光は鋭い。昴やオリオン座はすぐに見つけることができる。と歳時記の解説にあります・・・
十数の例句の中にはオリオンはありませんでしたが・・・
凍星(いてぼし)を組みたる神の遊びかな 須佐薫子
寒昴幼き星を従へて 角川照子
などとあります。冬空のきんと張りつめた中に輝く星々が浮かびますね。
凍星や電子メールのあまた捨て 二十数年前のわが句<(_ _)>
といったところで(^o^)ノ < おやすみー
正月休みの後の最初の週末というか、連休でした。
成人の日、着飾ったお嬢さんを数人見かけました。
それから出初式などもこの休みに行われますね。
私は誘われましたが消防団には入りませんでしたm(__)m
母が猛反対でして、その理由はなんといいましょうか。
父が町の消防団長でした・・・それまでの消防団のあり様をかなりといいますか改革と言えば大袈裟でしょうが、変えたのは確かなのです。
幼い私から見れば凛々しい父でしたのですが、戦後のまだ荒くれた気概の残る人の集まりである消防団をまとめるというか、本来の目的の集団?にしていくのに大変だったのは父からの話しで聴いております。
ま、それは父の話しでして、母はそのバックアップもしておりましたので(-_-;)
つまり何かあればお酒や料理、わが家の座敷と次の間に法被を羽織った人がずらっと並び酒と料理と・・・お判りでしょうか?
ほぼ自腹ですから、ほぼじゃなくて全てですから(-_-;)
台所係としては消防団って名のついたお金がそれこそ羽を生やして飛んで行ったのでしょう。
ですから絶対に息子たちは消防に入れないと明言していましたのです。
私としては入ってもいいかなと思ってはいましたが・・・サラリーマンでしたしね。
というわけで町の中心的といいますか、ボランティアの最たる消防団には縁がありませんでした。
後年といいますか森林組合の理事長をし、そののちに山林を売却し組合員に均等に譲渡金を配分している時期の役員会の席で、〇〇さんが消防団に入っていたとしたら凄かった・・・云々。
人生、何がどう働くかはまったく分かりませんからね。
ただ今の仕事を日々こなしていくだけです。
また一人出初めにむかふ法被の背