芸術家の国、フランスとはよく言ったものだ。
パリ郊外ノジョン市に引退した芸術家(1部はノジョン市の市民もいる)が集う、家がある。
日本でいう老人ホームということになるが、国立で経営されている。公的な資金でOKなのだ。
広間には家を寄贈した創立者、スミス・シャンピオンの自画像が飾られている。
その名は
「国立芸術家の家」
という。
ここに住む芸術家達は、未だ過去の栄光の中、芸術作品を作ることもできる。
ピアニストがコンサートを開く、画家が絵画展を開く共に可能だ。
「受付」が社交場の1つになっている。ここに、手紙が来ていないかどんな催しがあるか確かめに来る。
メニュー発表会なるものがある。
文字通り、来月食べる1日のメニューの発表会で、その場で、食べられない、食べたくないものはいう。もっと細かく切って出してほしいものもいう。
82歳でまだ10歳の生徒がいる元ピアニストのマリニーは、食事がまずければはっきりいう。フランス人気質なのか、芸術家としてはっきりしているのか。
フランス財団のコンサートで優勝して、国内外でコンサートが成功しているという自分の記事を見せる、
でももう生きていたくない。こんなに太ったし、死にたいという。
他の者の前で演奏することもある。
39歳で死産をした。自分のベットでだ。寸前までコンサートの練習をしていた結果だった。7カ月の早産で、怖くて見られなかったという。今も目に涙をため、そのときの様子を語る。
夫はピアニストと活躍することを応援してくれた。
彼らは美術館へ鑑賞も行く。
未だ芸術に対する思いは変わらない。一線で頑張って来た者としての気持ちかもしれない。
テレビサロン(個人の部屋にもテレビはある)作品を鑑賞してどういうことをした人かを見て、認め合う。
アニメーメーターだったマックスフィールドは、次の誕生日で90歳になる。
南米生まれ、ディズニースタジオで見習いを始めフランスのゴサニー会社に誘われた。
アニメの下絵を描いてきた。
グラフックデザイナーだったペシャールは86歳だ。
年をとるまでにやることがあると思うけど、いつかは…すぐにそのときが来る。自然に身をまかせるしかないという。
死のことはいつも考える。でも死が来るまでそれがなにかは判らない。
画家のカーシオリは74歳、ここで個展を開く。
未だ創作意欲は落ちない。
アトリエもある。
近くに若手芸術家の住まいがある、若いと言っても59歳のミッシェルだ。
同じ芸術家の家の住人なのか?彼に手伝ってもらって描いた絵をリトグラフに仕上げていく。今でも妥協はない。芸術は大変だという。
彼女の夫は絵を描くことに反対で、女と共に出ていった。
娘は孫の誕生会に呼ぶと言って呼んでくれない。
そしてお金が底をついてここへ来た。
しかし、描いた絵が1年ぶりに売れた。小切手260(500?)ユーロで売れた。自信を取り戻した。
ルランドーも画家だ。 毎日歩く画家、なんで歩くのか問いかけると、歩かないと歩き方を忘れてしまうからという。
なんだか、みんないうことが洒落ている。
芸術家だったからだろうかと思う。
ジャナールは彫刻家で、ロダンの再来と言われた
今は目が不自由で元ピアニストのマリ二―が面倒を見ている。
マックスフフィールドはぺジャールと暮らしたい、ここが2人ともいい場所だと思えない。
けれどマックスフィールドの息子によれば去年倒れた。1人暮らしは無理、と言ってぺジャールと暮らすことも困難だという。ここで暮らす限り安全でその為の向上の努力ならいくらでもする。2人とも母国はフランスじゃないから、また考えが違うのかもしれない。母国は英語圏のようだ。
時は静かに流れる。
しかしかつて華やかな活躍をした彼らの芸術家としての魂もまだそこで生き生きと輝いている。