母子の七夕

2007-06-30 00:10:58 | 日記風
 印刷用のインクを買いに久しぶりに渋谷へ出た。
 歩けない。 時間が早かったから人通りは少なかったんだけど、信号が多い。もう歩くと信号で止まる、歩くと信号にぶつかる。
 それで結局歩けない。

 帰りに電車に乗ったら止まった。私はよく電車に止まられる。ああ、またか。昼間とか時間がある時は止まって全然OKってことにしてる。あまり気にしないってことね。

 でも思うけど、もしもう1つ、フラフラしてないでさっさと電車に乗ってたら止まられず無事帰りつけてたかもしれない。
 ついつい思ってしまう。
 止まられたから、ああ、なんかあったんだって知ってる訳でしょ。(線路にビニールが張り付いてたらしいけど、それを除去するのに止まってたのね)無事通り抜けたらそんなことがあったって知らずに終わる。
 大きい事故なら後に報道されるだろけど、小さなことなら全く知らずに通り過ぎる。
 きっと他にもそんなことってあるんだと思う。

 そう思うとね、一見回り道に思えることも失敗に思えることも長い眼で見たら必要なのかなって思う。

 何でも知らないより知ってることの方が強いのよ。

 だから、これって、ラッキー?って思うことにしてる。

 ま、それくらい止まられてるってことだけど。

 写真は七夕飾り。ちょうど親子が短冊ぶら下げてたけど、
 子供「お母さん、ここがいい」
 母親「願いをこめてやんなさいよ」
 と母子が会話をかわしていましたが、何となくお母さんの言い方がきつくて、あまり優しい雰囲気でなかったんだけど、言ってることを反芻してみると、やっぱり優しい母の言葉なのかな。

ストロベリー・オン・ザショートケーキ

2007-06-29 00:00:35 | 日記風
 家の母は頑なに子供にはショートケーキと思っています。まだ娘だった頃に、人様のお宅にお邪魔して、手土産でケーキを買って行ったらしいのです。でも大人の娘の買うものだから、ま、ちょっと気取った所でセレクトするでしょう。そしたら、行った先のお子さんから「ショートケーキは?」と言われたらしいのです。
 それ以来、子供にはショートケーキって図式が頭に出来上がったらしいです。

 私がまだ子供の頃、やっぱり友達の家を母と訪ねた所、手土産にケーキを買って行ったんだけど、その頃の私のお気に入りがレモンパイかなんかだったんですよ。で、それをホール(丸々1個ね)買いして持って行ったのに、これがまたちっとも喜ばれなかったという。
 それ以来、家の母の子供にはショートケーキ感は強固なものとなったようです。

 ベーシックではありますよね、ショートケーキって。だからそんなに興味ないというか・・・。私は逆に子供の食べ物って印象があります。
 外れがないんでしょうね。取り合えず何がおいしいのか判らないと迷ったらショートケーキか、プリンってしとけば間違いない気はする。

 ただ私にとってはどちらも押さえなんです。絶対の世界じゃない。

 ただ最近ふと気になって周囲を見回すと、コンビニのスイーツコーナーに冬はショートケーキ風のって結構何処でもあるけど、今くらいの季節だとケーキ屋さんに行かないとショートケーキってない。
 苺がね、冬がシーズンだものね。旬っていうと冬だったんだなって思った。

 写真は知らない家の軒先の苺。

宇宙2つ分

2007-06-28 00:02:23 | 日記風
 自分じゃそんな気、全然ないんだけど、凄く緊張してる状態が続いてた。
 そして何故緊張してるのかは、ほぼ不明。原因はあったと思うんだ。

 忘れてるんだよ、あんまり前のことで。

 ここの所、何となく緊張がほぐれてきた。
 ずっと眠りが浅い感じが続いていた。だから幾ら眠っても眠り足りない。疲れがとれない。そんな感じ。
 ずーと眠っていたい。そんなんだとやはり緊張もとれないんでしょうね。

 あの緊張度合いは、宇宙2つ分くらい肩にしょってる感じだった。

 何故それがここに来て解消されたのか? 自分の気持ちを外に向かわせることが出来たせいだと思う。
 人って本音を炸裂させてないとストレス溜まるんじゃないかな。

 溜まってたんだよ、なんか。

 楽しみがないとダメだね。何となく発散させるってことじゃなくて、本人が「楽しい~☆」って思えることじゃないとね。

 あったらしいです。具体的に何がってことより、自分の気持ちをちゃんと説明できたことが原因のようです。

 かなりお手軽です。
 
 七夕が近い。街中に短冊のお願いの付いた竹が出没してます。写真を撮ってみたけど、ダメだ、ぶれてるのと画面が暗いのしかない。またその内、挑戦してみよう~。

男の城

2007-06-27 00:00:17 | エッセイ風
 最近は  料理が好きという素敵な男性が増えていますが、夫婦となったあかつきもお台所ってしてくれるんでしょうか? 

 恋人同士でただ一緒にいるのが楽しくて料理するっていうのとは、違う代物でしょう。

 趣味が料理って人なら、休みの日などにきっとしてくれるんだろうな。 何もしない人よりやってくれる人の方が断然にいい。
 けど、時たまきてあれやこれやいじり回して、挙げ句後片付けもしないんなら、「やらないで下さい」って気分になる。
 昔から、キッチンは女の城と呼ばれているくらいですから、色々物の置き方とかその人なりのやり方ってあるからね。
 まして一緒にやるとなると動き方のタイミングもあるから、普段いない人がこちょこちょ脇で動いてると、「そこ邪魔なんだけど」と言いたくなる。

 でも男性と共にキッチンを使うのがあたり前になったら、キッチンは女の城じゃない何か違うものになるんだろうな。

 作家さんでもキッチンでPC使う方いますが(実は私もそうなんだけど、私の場合はインターネットの接続の関係で部屋まで辿り着けないからだけど)1番落ち着く場所でやるのがベストでしょうからね。
 
 男の人にとって「キッチンが落ち着くわぁ」って時が来るのかしら?
 それはそれでいいのかもしれない。
 だって今だと、室内喫煙禁止で煙草の吸えるベランダとかWCってことがありうる訳でしょ。そこよりはいい?

 その場合キッチンの家庭の中における意味は変り・・・所で女は何処へ行くんだ?

チェッカーフェスティバル

2007-06-26 00:00:01 | 日記風
  ニュースで「チェッカーフェスティバル」を紹介してた。
 チェッカーって、スーパーのレジ係の人。いかに要領良く気持ち良く商品の精算ができるか競う競技・・・競技っていうか・・・職業としての努力でしょうね。
 競うと技って磨けるし。

 チェッカーフェスティバルでは、実際のレジセットの中に立ちお客様を前にして清算をして行くんだけど、その対応にお客様役にわざわざ役者を使ってるらしい。それが私にとってこのニュースのヒットポイントだわ。
 ここにまで役者が出てくるんだ。

 何故だろって思ったら、精算しながらチェッカーさんに色々話しかけるから。「お宅の店長厳しそうね~」とか、もう普通のお店の風景ですね。その問いに答えながら笑顔で精算をできるかどうかそれがテストなのね。

 ただ精算すればいいって言うよりきついわね。

 しかしそれに選ばれるのがどこぞの劇団や事務所の職業として役者をしている人たちだとすると、やっぱりそっちの方が面白さではヒットだわ。

 「今度の日曜なんだけどさ~、チェッカーフェスティバルの仕事があるんだけどぉ」って事務所や劇団から役者にオファーがある訳でしょ。
 「何ですか? それ」の世界だわ。でもどの人がどの台詞を言うか決まってるんだろうから、「お宅の店長厳しそうね~」とか「子供がカートに乗って遊んでたわよ」とか、役者も台詞覚えて演じる必要がある訳だ。

 やっぱりこっちの方が私にとってはヒットポイントだわ。

 面白ーい。
 チェッカーフェスティバルがあるのは神戸方面らしいので、関東の役者には関係のない話ですね。

 ちなみに精算をする人をチェッカーと言いますが、その商品を袋詰めしたり、サポートする人をサッカーと呼びます。

 面白いですね、それぞれの世界で色んなことがある。飽きない。

ストイックにおしぼり

2007-06-25 00:00:01 | 日記風
 ブートキャンプが一成を風靡しています。
 
 ちょっとだけ挑戦しています。ほんとにちょっと、すっごくちょっと。挑戦しているといってはいけなくくらい、
 かすか

 でもダイエットしようとする場合、2つのパターンがあるんですってね。
 フィットネスやジムに通ってストイックにひたすら我を鍛えるタイプと、エステなどに通って優雅にゆったり痩せようとするタイプ。

 つまり私は、ストイックに痩せようとしてるタイプです。
 どちらかと言えば、です。凄いストイックではないからね。
 
 どうもゆったりのんびりして痩せたり綺麗になったりできるのかなって思っちゃう。エステにも行くけど、気持ちいいことは気持ちいいんだけど、どっか違うような気がしちゃう。これはあくまで向き不向きの問題でしょう。

 しかしブートキャンプ。なかなかです。
 筋肉痛を起こすほど頑張ってはいない私です。
 かなりお手頃にその気になってる私です。
 でも周囲のつわものどもは、あれで物足りなく、更に腹筋、腕立て伏せをプラスしてするそうです。

 好きなんでしょう。ストイック。
 
 私は、DJ OZMAのおしぼり振るパフォーマンスを真似しただけで、結構肩凝りが解消されました。
 首でも肩でもないんだ、凝ってるのは。動かすべきは肩甲骨だと気づきつつあります。
 うーん、つまり、全身繋がってるってことかな。ここだけ凝りを解消すれば、鍛えればいいって問題じゃないってことかな。

 そうやって考えると大変だわね~、肉体を維持するって。

愛が足らない

2007-06-24 00:12:39 | 日記風
 「劇場への招待」で「鹿鳴館」をやっていたので、ビデオにとって観ました。
 録画された劇場中継をビデオで観るという・・・なかなか邪道なことをやってます。

 原作は三島由紀夫さんで、劇団四季による舞台化です。演出は浅利慶太さん。脚本はどなたが書かれたのかしら、しかし上手い。

 判り易く書かれてます。舞台ですので演出、役者の演技等色んな要素が混ざり合って出来ている訳ですが、台詞だけずっと追って聞いてて、本が上手いなぁ。慣れてるんだよな、とにかく。原作のあるものを脚本に起こすというのは、また違う作業も入りますからね。

 なんか色々考えちゃうのね。

 午後からは戯曲塾へ。昨日疲れてお風呂にも入れないまま眠りましたので、午後から髪洗って。その後、少し眠りました。どうにか目を醒ましての出発です。

 今日の感想として、思うんだけど、愛することは難しいなぁと。憎むことや突き放すことって楽なんだ。親が子を育てる時もそうだけど、育てるって待つことなんだと思う。それができるかどうかで、子供に自立心が備わったり、人を愛せる能力を磨いたり。
 
 今の私に足らないのってこれかしらと思う。話だけ、愛とか勇気とかそんなことを書いていても、私の中にそれがなけりゃやはりダメなんじゃないかと。
 少なからず説得力には欠けるわよね。

 愛が足らない奴って感じだわ。
 
 ま、必死に踏ん張るしかないわね。

 人を愛することは才能じゃない。誰にもで備わっている力。だったらそれをただ出せばいい、なんの遠慮もなく。

 それはきっと今の私を壊していくこと・・・。

 物騒な言い回しをしないなら殻を破るということでしょう。

 簡単なことさ。振り子は右へも左にも振れるんだから。だったら違う方へほんのちょっと振ればいい。

 ま、そんな今日の感想です。

 写真は劇団の近くに咲いていた花。これも夏の花だな。子供の頃一杯近所に咲いてた。

たわし信仰

2007-06-23 00:26:57 | 日記風
 ふとキッチンを見ていて驚いた。
 たわしがキッチンのあちこちにゴロゴロあったから。

 たわしって言うかね、細い鉄をクルクル巻いて1つ塊にしたような、洋風たわし?名前は判らないんだけど、(金だわしって言った気もする)それがゴロゴロあるの。

 何でこの家にはこんなにあるの?
 母だけどね、どう考えても。
 私はこの洋風たわしは使わない。今って何かと加工をされてるものが多いから、あまり硬いものでごしごしやると加工してる塗料(?)が剥げ落ちちゃう。だから私は柔らかいスポンジでこしこしするのがいいんだと思うんだけど、なんか好きなんだよね、母が。この洋風たわしが。

 早いっちゃ早いでしょ。こすれば取れるわけだから。
 昭和3、40年なんて、所謂水回りのお掃除仕事の主役は亀の子たわしであたり前の時代だからね。これが凄い便利品だったんだから。
 だからこういう時代に主婦やった人はきっとその感覚のまま生きてると思う。

 しかし時代は変ったのだ。
 さっき家中の集めてみたけど、売ってるのの2袋分はあった。
 多いだろう。

 昔から、台所に女2人はいらないと言われるように、基本、母のやり方に口は出さない。出した所でしょうがないと悟ってる訳だ。娘は。
 
 私は娘だからそれで済むけど、これ嫁だったら大変なんだろうなって思う。
 中年の女の人って、どうして自分のやり方が宇宙で1番正しいと信じているんだろう? 
 物事や常識ってその人の立場で全然違うだろうにね。だからこれは絶対正しくてそれは絶対正しくないってことはないと思うんだけどね。

 とか言いつつ、私もいずれそうなるのでしょうか?

 女の「絶対これが正しいのよっ」意識は・・・恐ろしいからな。

 まあ、母にしても娘相手なので好き三昧にやってるけど、もしこれで、嫁がいたら・・・やっぱり見えない所で密やかに血の雨が降るのかしら? 
 嫁姑問題は永遠のテーマだからね。

 でも何故、婿VS舅問題は特にクローズアップされないのだろう?
 男の方が基本的に他者と共存し易い生き物だから?

 たわし問題から、見える社会問題? ・・・なんちゃって。

帰れない道

2007-06-22 00:03:59 | 日記風
 戯曲塾に入ったので、・・・って言うか、つかさんの芝居が好きになったから、東京都北区なんて所へよく行くようになった。

 私は東京都の生まれですが、都内からどちらかと言えば、神奈川県寄りにしか縁がない。千葉県寄り埼玉県寄りに縁がない。

 北区へ行くようになってから若干縁が出てきたかな。

 今回は縁あって板橋区へ行った。
 ほのぼのしてる。おばちゃんが家の前の玄関開け放して近所のおばちゃんらしき人と大量のじゃがいもを袋に詰めあってる。おすそ分けの風景かしら。

 ほのぼのだな。仕事で行ってるからそんなほのぼのとした気分とは無縁なんだけど、でもほのぼのだな。

 でもこれくらいのほのぼのさが人には心地いいんだろうな。あまりに高層の建物群に囲まれて生活も便利になると何処か居心地が悪くなるというか・・・、何か心が疲弊する。

 そういう現代病が今、色々ありますね。

  携帯をマナーモードにしておくと、バイブで震えるけど、震えてないのに震えたような気がしてしょうがないとか、携帯に着信したんじゃないかと物が光ることに異常に敏感になってしまったり。前なら考えられないことが今起きてるものね。

 私もその1人だけど。

 最近は、べったり戯曲塾よりじゃなくなってしまった為、北区方面に行くことが前より少なくなったけど、そうして離れるようになってしまうと、どうにも恋しくなるか、もう戻りたくても戻れなくなるか、そのどっちかだって思う。

 そこら辺、時代の変化に似ていると思うのは、考え過ぎってやつでしょうかね。

それもアスリート

2007-06-21 00:00:01 | 日記風
 今日ふと思い出したんだけど、昔、家には猫がいました。かなり長い間いまして、だから毎日餌をあげる。しかも家の子は缶詰を主食としていたのでほぼ毎日缶を開ける。
 
 それでなんだけど、私異常に缶を開けるのが早くなっちゃった。
 多分缶開け選手権があったらかなりの好成績を収めるだろうと思えるくらい早かった。

 ほぼ缶ジュースのプルトップを指で開ける感覚で缶切りを操り缶を開けてた。

 慣れっていうのは恐ろしいものです。

 今はもうあの速度では開けられない。っていうか、缶を開ける生活をしてない。たまに缶切りを持つといかにも手に馴染んでないって気がするもの。缶切りは遠い存在と成り果てた訳だ。

 でも人生の中で缶を素早く開けられてもさして得もない思うけど。だって缶食物って世間の脚光を浴びてないしさ。

 写真はきっと缶を開ける機会がありそうな、キャンプっぽい情景。でも撮ったのは都会の中。