爆発!!!

2007-08-31 00:00:04 | 日記風
 資料みたいな感じで古い本を読んでいる。
 正直、3回目くらいなんだけど。もー、頭がねじれるよぉ
 専門書なので、難しいことは確か。大筋としては理解してる。でも細かい説明、ある答えに行き着く理論の過程のぐちゃぐちゃぐちゃ が、もうねじれそう・・・。
 そうじゃなくても昭和43年頃文庫本になってるから、日本に入ってきたのは昭和30年代でしょうね  今ならきっともっとポップな日本語で翻訳してくださるんでしょうが、この時代の専門家と言うだけで・・・頭が・・・頭が・・・ まあ、もうちょっとの辛抱です。

 古いながらの正しい日本語のいい表現って言うのもあるんだけど。それを凌駕しそうなややこしい文章が・・・。

 日本語は変りました。

 ふと時間ができると本屋へ行く。あの静かな空間が好き。

 なんかで、文字で表現する本って文化はすたれないって聞いたことある。詳しいことは忘れたけど。映像って、基本、あっちから一方的に発信する表現だからね。舞台にしてもそう。あっちから否応なく送りつけてくる。でも本ってこっちが好きな時に好きなだけ受け取れる受け身の表現だって聞だから。
 だからこれからも残っていくだろうって

 成程ね~。
 
 今読んでる本の大元は紀元前のギリシャ発ですからね。それが、21世紀の日本に残ってるんですもの。

 こりゃ確かさ。

メッセージ

2007-08-30 00:00:52 | 日記風
 マクドナルドがカフェ産業に参入ってニュースをやってた。その舞台裏を追う中でこんなシーンがあった。新商品のパンに対し、社長が試食後、その商品を何故そう作ったかを聞く。
 作り手には何故の理由がある。それに社長は
 
 それは作る側の論理だよ。と。お客様には、1口目からこれはどういう商品だってメッセージ性がないとダメだ。

 パン1つですら、メッセージ性。
 なかなかガツンと来る話です。

 メッセージ性ね・・・。これはなんだってことを1発目で伝える。
 それがないってことは生き残れないってことなんでしょうね。
 
 ちょっと話は変るけど、ランチに ラーメン屋さんへ行った。九州の方のラーメンなんだけど、そこのメニューに「どっかん」って名前のものがあって、オーダーが入ると直接注文を受けた店員さんが「どっかん1つ」って言って、その後他の全店員さんが「どっかん」って言うのよ。それで、出来上がって「どっかん お待たせしました」ってお客さんの前に持って行くと、また全店員で「どっかん」って言う。

 メッセージ性かな。形は違うけどね。どっかんがどんな奴なのか、思わずメニュー見てしまったし、ここにそれがあることはよく理解しました。

 どっかんはなんか面白かっただけだけど

デスパレード・ブロードウェイ

2007-08-29 18:36:14 | 舞台
 先月私も出演しました、ダイアックスプロデュース公演。その第4弾「デスパレード・ブロードウェイ」が幕を開けます
 早いもんですね。
 前回に引き続き御出演される相原りなさん、森川さらさん、Mitsuruさん頑張って下さい。ブックマークしてあります「演劇空間」のHPから詳細を見ることができます。御興味をお持ちの方、是非覗いてみてください。個人の インタビューもあります。結構飛ばしてますよ。
 私は、今回の内容については不案内ですが、キャストが役名でなく実名で登場するなど今の自分と虚実が交錯しながら話が進むと部分があるようです。タイトルに ブロードウェイって付きますからね
 
 今でも、日が経った今だから余計、前作について人から「みんな仲が良かったんだろうね」と言っていただけるのがとても嬉しいです。それが1番嬉しいです。
 だから頑張ってね
 私も後日観劇に行きたいと思います。

 今日はなんか涼しいですね。これくらい涼しいと掃除をしようとか思ってしまいます。やっぱりあの暑さは異常でこざいました。
 落ち着いてきたら、前回の台本の、初稿を1度読んでみようと思っていました。 何をどう書いているか、それがどうなったのか、それを貪欲に探求してみようという魂胆です。
 既に出来てしまった 作品はそれだけで、接していて楽です。既にあるものですからね。でも新しく何かを生み出そうと言うのは大変なことです。何をどうしていいのか全てこれから決めていかねばなりませんから。

 ・・・それで今月に入ってから具合が悪いのでは?と思わないでもない私です。
 目に見えないプレッシャーが私を常時モンスターのように襲い・・・。

 そんなことの繰り返しです。それがたのすぃ~と思ってないとやっていけないってことでしょうね。 

 やっかいだけど、楽しき哉、物作りの世界って所かしらぁ
 

雨の後に

2007-08-29 00:00:52 | 日記風
 家に帰り着いてふと気がつくと、なんかゴロゴロ言ってる気配。
 え、まさか。雷? と思った途端、少し開いてたカーテンの隙間からピカっと光る稲光が見えた。

 えっ~ さっきまでどうもなかったのに。
 その後は雨。停電になった所もあるくらいの雷雨

 なんだろう。間一髪で帰り着いてよかったと言うのはあるけど、この天候はなんだ?
 
 カーテンの隙間から見えたから、余計思うけど、舞台の照明みたいな、なんか凄い雰囲気があった。怖いんだけど、怖いより、・・・なんか雰囲気

 あっと言う間に雨も通り過ぎ、私は何故か夜のお散歩へ出た。
 雨の後の外は少しひんやりしていて既にあの灼熱の日々を連想させるものはない。
 確実に季節は移り変わってるよな

 先月、何故か私の主食がチョコレートと言う日々がありました。食べたくないって言うか、食べてることは食べてるけど、明らかにチョコレートを食べてる率が高い。何でかって言えば、元々甘い物が好き 甘い物を食べれば疲れが取れる 手軽に食べられる チョコレートって発想だったと思う。

 反動かな、今月に入ってからチョコレートはもとより、甘い物は食べなくなった。(食べないと言っても甘い物は飲んでいたけど)でも私の人生至上において、これだけ甘い物を食べないのは稀有な現象だった。
 それが少し食べたいなぁと思うようになった

 何かが胸の中で変ったんだろうね。

 季節だ

ハッピーフィート

2007-08-28 00:04:24 | 日記風
 また今更かっ、で。
 「ハッピーフィート」を観てきました
 
 ペンギンだぁと喜んでいるのもつかの間。
 これ、基本的に「醜いあひるの子」ストーリーだから。
 私は、何故、こうも脚の短いペンギンに踊らせるんだろうとそれをかなり不思議に思いながら観ておりました。
 そこら辺が発想なんでしょうけど。
 しかし、社会批判にとんでるのには驚きました。
 そ、そういう話だったんだ。
 結構、ハートに刺さるものがありますよ。
 気がついたら、前の席の男の人泣いてたもん(泣いてた、と思うよ)

 男も泣かせる、「ハッピーフィート」なのさ。
 
 まあ、私と同じでペンギンだぁと思っていらっしゃるから、カップル率は高かったです
 そして何故か、年配率。・・・ペンギンだから?

 ストーリーとして、自分は自分さって、そこは否定しちゃダメさってメッセージ性がありました。この自分に生まれてきたのは、理由があって、ありのままの自分が活かされる時は絶対に来る。だからそこを適当に朱にまじわればになる必要はないのさって。

 ただ個人的に思ったんですけど、困難に直面するほど、人は愛を求めるものなのかなって。何とかしなきゃって思うと、前に進むことを考えるそういう性質を元々持っているものなのかなって。
 意外と性善説?のような気がします。

 ペンギンは雄が卵を脚の間で温めて孵すらしいです。
 いいですね~。そういうの

絵文字バージョン

2007-08-27 20:52:06 | 日記風
 ちょっとのんびりしようかと言う気持ちになってきました
 夏は色々あってずっと走り続けてきた感じ。別にそんな焦って何かしなくても良かったのだけど、止まったら死ぬ みたいな思いがずっとあって、とにかく走れって感じだった

 でもいいんじゃないかな。そんな力入れなくて。少し休息した方がいい場合もあるしね
 ってことでもないんだろうけど。日曜日の日、そんな気持ちの切り替えが出来た辺りから、胃の具合が良くなってきた 何故か胃薬飲むと、爆睡する私  不思議なんだけど、胃が楽になると眠れるの
 悩みが解消した途端眠れるようになったって所かな。

 不思議なことにどんなことをしても食欲は失わない。まあ、若干脂物を食べないかなってだけ
 だったら食べてしまえぇーって荒療治で食べて食後のデザート のように胃腸薬を飲む。医食同源の反対バージョン。喉が痛いならコーラー飲んでしまえってーってそういう悪には悪をバージョン。
 他の方にはけしてお勧めしません。

 ショックな出来事があった
 最近他の方のブログを見るとどうも知らない絵文字がある。何でだろう~、って思ってたんだけど、知らない間に増えてんじゃん
 ショック!!
 そうなのよ、なんで洋服 とか靴 に関する絵文字がないんだろうとそれが結構不満だったが、解消するらしい
 
 ってことで、うるさいほどの絵文字特別バージョンでお送りしております
 

世界陸上

2007-08-27 00:03:25 | 日記風
 大阪です。なので、意外と深夜ではなく、昼間やってます。
 何故かやる度、観てると言う・・・。観てるっていうかBGMと化している場合もあるが、観てる。

 この暑さの日本をマラソンするなんて過酷よ。倒れてもけしておかしくない
 
 解説って言うのか、その競技のスペシャリストが放送に加わってて話をしていますが「みんなどこかは故障してますからね」と結構凄いことを平然と言ってます。「故障してる箇所が気になると他のことが気にならないからいい場合もあります」そりゃそうでしょうが、故障があること自体既に凄い問題だと思います

 そこまでして何故アスリートは競技をする?

 するんだろう・・・。私はあまり身体を動かして何かをすることが好きじゃないので、故障するまで身体を使って練習するってことがあまり理解できない。多分私はやらないだろうなって思う。「悪い所ができちゃったんで」ってそこで終わると思う。でも、みんなそこを越える。越えちゃう。

 それは何でだろう。

 とても簡単な言葉で言うと、好きなんでしょうね。それに負けたくないって言うのが加わると、そうなっちゃう。好きだからやっちゃう。そのこと自体はとても理解できる。確かに、多少のことは乗り越えて、とにかくやっちゃうだろな・・・。

 えらそうなことが言えないが・・・。私なぞ何も頑張っていない。
 
 苦しいと思ったら、もう1歩前へ。それを毎回続けるのはやはり凄いことだよ。

 身体を鍛えるそれも大切なことだけど、精神的に負けない。それが何より大きいだろう。
 この精神的に負けないって言うのが、1番の曲者。何処の世界でも言えるけど最後は自分との戦い

 苦しいって思えばそこで終わり。どうせ苦しいんなら、それは置いといてとにかく楽しんじゃえ なかなかそこまでいけるものでもないが。つらい肉体訓練がそういう気持ちを持たせてくれるんでしょう。

 最近さるドラマの台詞で、悲しいことがあるかもって最初から何もしないより、やって悲しかったら、その後で悲しめば充分間に合う。そんな台詞があった。

 目から鱗だわね。書いた人凄い
 人はなんであれ、その悲しむってことが嫌なんだけど、でも間に合うんだよな。発想の転換。それでいいんだ。どうせ、1つや2つ悲しみを避けられた所で、苦しいことや悲しいことなんてヤマの数ほどあるんだから。

 苦しみや悲しみを喜びに転化させられた時に感じる達成感って言うのは凄いと思う。そりゃ、生きてて良かったっ~ って所でしょう

 私もちょっとずつ新たなことへ挑戦し始めます

日傘も折れるし

2007-08-26 21:13:21 | 日記風
 珍しくポニーテールに結ってみました 灼熱の夏でもクーラーの中にいるのでその必要がなかったけど。今日は外にいることが多そうだったので暑いかなって思って。

 しかし日傘が折れた。晴雨兼用なので、雨の日の風にやられたのでしょう。
 日傘も折れたか・・・。正味2ヶ月の生命だった。しょうがないので外出先で日傘を買う。¥500円と言う激安ぶりだったので手が出たけど、¥500は¥500なのだ。
 小さっ。身体1つをカバーできるかどうか。おまけに確認しないで買ってしまったので、縁の白い模様の所が、穴あきになってて(そういうデザインね)それ、雨の日差してもかなりの高確率で濡れるんじゃ・・・

 そう言えば昔、やっぱり¥500傘を買ったら「小さかったわよ」って話を聞いたことがあったと思い出した。
 あー、なるほど
 でも陽が出てる間は焼けるんですもの。日傘は今は必需品。

 六本木をほんの少しうろうろして帰ってきました。本当はこんなことしちゃったの~って違う話になる筈だったのに

 こんな暑い日はうろつくもんじゃない

 日傘も折れるし

時の流れの中で

2007-08-25 00:30:59 | 日記風
 陽が落ちるのが早くなってきました。 1つのシーズンの終わりを感じるとあんなに鬱陶しかった暑ささえ、懐かしいものに感じる
 勝手なものです。

 前に宮崎駿さんがインタビューで、ストレス解消は? と聞かれ、仕事が終われば解消するんじゃないかと答えていらっしゃいました。奇しくも手塚治虫さんも似たような答えをしていらっしゃるのを何かで見ました。
 
 巨匠はみな、同じことを言い・・・。
 
 器の問題だろうか?

 私は物事の切り替えが下手で、だからか、終わった所で、ストレス解消~!とはいかない。時間って言うのはある所でプツンて途切れる訳じゃないから。ここで終わって次がすぐ始まる。私の中で何かが途切れる訳じゃなくずるずる引きずったまま時と共になんとなく、雪崩のように流れてるだけ。

 ただこれも訓練かなって思う。
 
 でも、物事を解消してくれるのはやっぱり時かと思う。
 気持ちの流れと時間は何処かで正比例する。時が流れれば気持ちも流れる。それが早いか遅いかってそんな問題の気もする。

 どうも頭が悪いのでとことん悩むか苦しまないと自分の中で問題が解決しない。
 
 そして何より素直じゃない。

 最悪じゃないか。

 物を書く人間としてはそれでいいと思う。とことん悩んで骨身に染みれば、それはいつか財産になると信じたい。
 
 
 
 突然だけど、家族ができました。

 戻る場所だったり、気持ちを分け合う人だったり、それを家族と言うのなら、家族ができました。
 なんでそんなことを言い出すかと言えば、それが今、この時の流れの中での、私の気持ちの区切りにしたいから。私としては人との関りをとても肯定的に捕らえた結果です。

 そう思います。きっとその「家族」がこれからもいろんな場面で私を精神的に支えてくれることでしょう。家族はきっと家族を呼びます。正しい関係が築けているのなら、そうなるでしょう。

 嬉しい限りです

女って・・・

2007-08-24 00:04:55 | 日記風
 女って、同じ女の中にいて、初めて磨かれるように思う。
 女形をする役者が女を研究して、女の芝居をすると言うけど、それを同じね。女の中にいて女を覚える。

 そういう意味ではずっと女子育ちの私など、凄い勉強してるように思うけど。
 女性同士のお約束として「ちょっと酷いと思わない?」「うん、判る判る」「だよね!」って言う、共感とか、同調って言うものをとても求められる傾向がどこででもある。
 これが、私は苦手なのだ。
 ここにあるのは「私の気持ち判ってくれるでしょ」って心地いい関係ではあるけど、それ以上ではないのね。

 例えば、デキる女性と、穏やかで優しい女性って言うのは、まず同一人物の中で起こりえない現象。
 デキる女性=頭が切れてバリバリ行動ができるキャリアウーマンに代表されるような人物像。
 穏やかで優しい女性=家庭的で男性に従えるような、所謂イメージ。
 これはまず同一人物の中で易々起きる現象ではない。

 と言ってしまうとあまりに簡単なんだけどね。
 
 でも、それをやり分ける女性は現実問題としてかなりの努力と我慢をしてると思う。

 女性の時代と言われようと、未だ女性は1人で生きて行ける「自立した女」を目指そうとはしない。何処かで幸せな結婚を見る従来の女性像があくまで支流。
 それは悪いとは言わないけど、男性は「(一人前の、もしくは立派な)男になってやる」と言っても女性がけして「(一人前の、もしくは立派な)女になってやる」と言わない所に理由があると思う。女性の場合は「可愛い」とか「綺麗」って言葉に置き換えちゃうもんね。そこら辺が性差であり、いつの時代も変らない女性って奴を示しているんだと思う。

 そう言うのが、なんかしょうに合わないのさ。別に目茶苦茶自立したい訳じゃないけどね。でも、違うって思ちゃうの。
 そうすると「女の園」って言うのは、キツイわ・・・。

 っていう見解がずっと私の中にあった。はっきり言ってくれるのはいつも男性。女性は言葉優しく取り繕ったり、慰めてくれる。でもそういう関係ってずっと続けてると疲れるの。
 本音が言える関係じゃないと女性同士も疲れるの。
 最近そんな関係が築けるようになってきたのかなって思う。俄然、楽よ。そういう方が。

 難しいけどね。

 そういう関係を1つずつ築いて長持ちさせていきたいなって思うの。