「水戸黄門」が終わり、時代劇の連続ドラマは無くなったそうだ。
京都・太秦はかつては華やかな時代劇の名所であったが、今は岐路に立つ。
そこで1本の撮影が行われた。
「太秦ライムライト」という往年のチャップリン作品をもじった映画である。
主人公は
福本清三 5万回斬られた役者だ。
トム・クルーズの『ラストサムライ』でも「寡黙なサムライ」を演じた。
今回、ここで「太秦ライムライト」(監督:落合賢)が撮影された。
それをテレビで別方向から撮影し、放送した。私が見たのはそれである。
そして、途中までだ。
日本はフィルムで撮るがこれが高い(なのでドラマは徐々にVTRに移行し映像が軽くなった)から1発勝負で撮ることをよしとする。
ここでも日本人の勿体ない精神は生きている。
そして見せ所となるのは、チャンバラであり、殺陣(たて)と呼ばれるものだ。
この殺陣を演じるのは大部屋俳優と呼ばれる役者で台詞もなくただ斬られ、スター俳優を光らせる。
その苦労はつかこうへいの「蒲田行進曲」の大部屋俳優・ヤスでも描かれている。
内容の判らない方はここはスル―して下さい。
全てにおいてそうだが、テイクを重ねる(NGを出す)ことは良くないと言われ、1回で本番を成功できるのがベストというのが日本の撮影の基礎にある。
しかしハリウッドは戦いのシーンを撮るのでも複数方向から撮り、何度も撮り直し24カットくらいにもなる。
日本人がこれを要求されると、自分がダメなの?演技がダメなの?なんでそんなムダなことをするの?に役者がなってしまう。
まず、この差が出てしまう。
あちらはラストシーンでも数本の内容を用意し、全て撮り、一旦できた物を見せ、1番ウケのいい物をラストシーンとして採用する。
ウケること、収益が見込めることが何より大事なのだ。
日本はラストシーンは1つしか用意されず、そのまま撮る。それが正しいとされる。その脚本に行きつくまでに脚本家やスタッフが話し合い知恵を出して決める。
違うのよね。
でも生き残ったのはハリウッド映画であり、衰退したのは、太秦の時代劇だ。
ただこの殺陣には前から見ると格好よく刀があたりスパッスパッと行くが、横から見ると実際に刀は当たっていない。
寸止めするのが上手いと言われている。
これをそのまま多方向から撮れば刀が斬っていないことがもろバレしてしまう。
監督は日本人であるが、ハリウッドで1.2本撮った監督である。
そして仕組みとしてもあちらはカメラマンに大きな権限がある。監督以上の力を持つこともある。
今回は米国人のカメラマンだ。
しかし、まず、馴染みのないカメラマンが判断しようがない。監督も経験が浅い分、多勢に無勢で日本のやり方を押されると引いてしまうところがあるように見える。(見えるだけだが)
あちらでは対等に渡りあっていても日本に帰ると日本人化してしまうという特性が出ているように見える。
…見えただけですが…。
インド映画、インド俳優はどんどん米ドラマにも進出していくのに、日本人は入って行けない…行く気慨がないのか…。
日本だよな。いい意味でも悪い意味でも、そんな気がしただけだ。
「太秦にライムライト」は今年夏頃の公開のようだ。
ライムライト=スポットライトを浴びることなく映画を支えた映画馬鹿達の愛おしい話だ。
ご興味のある方はこちらから飛べます。
↓
http://www.uzumasa-limelight.net/index.html
京都・太秦はかつては華やかな時代劇の名所であったが、今は岐路に立つ。
そこで1本の撮影が行われた。
「太秦ライムライト」という往年のチャップリン作品をもじった映画である。
主人公は
福本清三 5万回斬られた役者だ。
トム・クルーズの『ラストサムライ』でも「寡黙なサムライ」を演じた。
今回、ここで「太秦ライムライト」(監督:落合賢)が撮影された。
それをテレビで別方向から撮影し、放送した。私が見たのはそれである。
そして、途中までだ。
日本はフィルムで撮るがこれが高い(なのでドラマは徐々にVTRに移行し映像が軽くなった)から1発勝負で撮ることをよしとする。
ここでも日本人の勿体ない精神は生きている。
そして見せ所となるのは、チャンバラであり、殺陣(たて)と呼ばれるものだ。
この殺陣を演じるのは大部屋俳優と呼ばれる役者で台詞もなくただ斬られ、スター俳優を光らせる。
その苦労はつかこうへいの「蒲田行進曲」の大部屋俳優・ヤスでも描かれている。
内容の判らない方はここはスル―して下さい。
全てにおいてそうだが、テイクを重ねる(NGを出す)ことは良くないと言われ、1回で本番を成功できるのがベストというのが日本の撮影の基礎にある。
しかしハリウッドは戦いのシーンを撮るのでも複数方向から撮り、何度も撮り直し24カットくらいにもなる。
日本人がこれを要求されると、自分がダメなの?演技がダメなの?なんでそんなムダなことをするの?に役者がなってしまう。
まず、この差が出てしまう。
あちらはラストシーンでも数本の内容を用意し、全て撮り、一旦できた物を見せ、1番ウケのいい物をラストシーンとして採用する。
ウケること、収益が見込めることが何より大事なのだ。
日本はラストシーンは1つしか用意されず、そのまま撮る。それが正しいとされる。その脚本に行きつくまでに脚本家やスタッフが話し合い知恵を出して決める。
違うのよね。
でも生き残ったのはハリウッド映画であり、衰退したのは、太秦の時代劇だ。
ただこの殺陣には前から見ると格好よく刀があたりスパッスパッと行くが、横から見ると実際に刀は当たっていない。
寸止めするのが上手いと言われている。
これをそのまま多方向から撮れば刀が斬っていないことがもろバレしてしまう。
監督は日本人であるが、ハリウッドで1.2本撮った監督である。
そして仕組みとしてもあちらはカメラマンに大きな権限がある。監督以上の力を持つこともある。
今回は米国人のカメラマンだ。
しかし、まず、馴染みのないカメラマンが判断しようがない。監督も経験が浅い分、多勢に無勢で日本のやり方を押されると引いてしまうところがあるように見える。(見えるだけだが)
あちらでは対等に渡りあっていても日本に帰ると日本人化してしまうという特性が出ているように見える。
…見えただけですが…。
インド映画、インド俳優はどんどん米ドラマにも進出していくのに、日本人は入って行けない…行く気慨がないのか…。
日本だよな。いい意味でも悪い意味でも、そんな気がしただけだ。
「太秦にライムライト」は今年夏頃の公開のようだ。
ライムライト=スポットライトを浴びることなく映画を支えた映画馬鹿達の愛おしい話だ。
ご興味のある方はこちらから飛べます。
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