生石は「おんじ」と読みます。
鴨方から寄島方面の道にありました。
奥の古ぼけた建物かと思いました。
岡山藩主池田光政公の頃、後楽園の庭石にするために、生石(地名です!六条院中)から納めた庭石が、毎夜「おんじへいのう」(生石は帰ろう)と言って泣きました。藩士が、無礼な石だと手打ちにしたところ、石が血を吹き出して、殿様も「この石は生きているぞ」といわれて、驚きました。
石は元に戻され土地の方が祀っています。
この辺の地名は古そうだもんね。
他郷の方が「帰りたい!」と願掛けすればいいようです。
寄島方面に向かうと、頓宮又次郎入道の墓があります。
気になりますが、ただいま昼のプチドライブのため帰って検索してみます。
・・赤松八大力・くらいしか分かりませんが
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/ak_sayou.html
小さな伝説や人物がいるもんだね。
鴨方から寄島方面の道にありました。
奥の古ぼけた建物かと思いました。
岡山藩主池田光政公の頃、後楽園の庭石にするために、生石(地名です!六条院中)から納めた庭石が、毎夜「おんじへいのう」(生石は帰ろう)と言って泣きました。藩士が、無礼な石だと手打ちにしたところ、石が血を吹き出して、殿様も「この石は生きているぞ」といわれて、驚きました。
石は元に戻され土地の方が祀っています。
この辺の地名は古そうだもんね。
他郷の方が「帰りたい!」と願掛けすればいいようです。
寄島方面に向かうと、頓宮又次郎入道の墓があります。
気になりますが、ただいま昼のプチドライブのため帰って検索してみます。
・・赤松八大力・くらいしか分かりませんが
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/ak_sayou.html
小さな伝説や人物がいるもんだね。
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