岡山県岡山市北区足守「冠山城跡」へ行ってみました。
前回紹介の「宮路山城」と同時期に攻めた城で備中高松城水攻めの前哨戦で、「加藤清正一番槍」の高名で有名な城です。
冠山城は「清水宗治」のもとに「林重真・松田盛明・竹井将監・舟木与五郎」を含め300人が立てこもりました。
天正10年4月17日に秀吉側は、宇喜多勢は「浮田忠家」8000人は小さい城と甘く見たのか敗戦!秀吉は「加藤清正」に攻めさせ、城内へ一番乗りをしたようです。
清正は猛将「竹井将監」と一騎討ちをしかけて、槍を太刀に抜きかえて、真っ向から斬りつけ竹井を討ち取りました。
城将の林重真は、天正10年4月25日宇喜多勢が城門を破って突入てきたので、南大手の櫓で切腹しました。
林重真の正室は清水宗治の娘で、真備町に代々のお墓があるそうです!(又寄ってみます)
黒田官兵衛ネタに持っていくと、「遠藤周作」先生の小説「反逆」は荒木村重の家臣「竹井藤蔵」(遠藤周作・岡山県美星町黒忠の小笹丸城主「竹井氏」の子孫で母方の遠祖にあたるそうです)
小説は、織田信長と荒木村重、藤蔵の葛藤を描いた傑作です。
その「竹井藤蔵」は最後に「竹井将監」と名前を改め、冠山城の戦いで加藤清正と一騎打ちしするのです。
脱線しましたが、秀吉は、竹井将監公を敵ながらあっぱれな武人として称え、供養のため金子五十両を与え、吉備津・宮内の賀夜坊で供養したといわれ、早島町「千光寺」の供養塔は早島町の重要文化財に指定されているようです。
遠藤周作先生もの千光寺を訪れることもあるみたいです、以前「反逆」を読んだ時に城とか巡った記憶がありましたが、ブログ記事が見つからなかったのが、残念!