香川県三木町井戸鍛冶池側に「静御前の墓」がありました。
長尾寺で出家した静御前は、母と暮らした静薬師庵で侍女琴路とお祈りをしていましたが、静はこの庵で建久3年3月24日の24才で亡くなったようです。
その7日後に琴路も鍛冶池に入水してしまいました。
各地に「静」のお墓はありますね、今回で3~4ヶ所見たような気がしますが・・
静は鎌倉で男児を失ってから京へ帰り、そして母の故郷である 東讃岐(小磯)へきたようです。
そして義経が活躍した屋島合戦跡を弔うため、 小磯から屋島への通り道である長尾の街へやってきましたが、お母様が長尾寺でお参りを済ませ住居である薬師庵へ帰る途中、老衰と寒さのため井戸川橋近くでなくなりました。(1枚目)
「鼓渕」吉野山で義経から形見にもらった名器「初音の鼓」を、未練を断ち切るためにこの渕に流したと云われて、夜になるとこの鼓が悲しく打ち鳴ったみたいです。(2枚目)
各案内板は、記事を書くのに助かります。
四国お遍路87番札所「長尾寺」は静御前と母の磯野禅師が宥意阿闍梨の諭しで出家した寺で、護摩堂前に剃髪塚、本堂に位牌が安置されています。
静御前が不人気者「頼朝」の前で読んだ句は「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」
「静よ、静と呼んでくれる愛しいあの人の声。しづ布を織るために糸を巻く苧環(おだまき)で糸を繰るように、幸せだった昔を、今に引き戻せたらよいのに…」
・・・せつないですね。