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ミーハーなドライブ&まつり好きです

引田城跡

2014年01月09日 06時43分30秒 | お城


あいにくの天気ですが、城巡りが再熱!香川県東かがわ市引田漁港に引田城跡を見にいきました。

引田城は、香川県高松城や丸亀城と同じく生駒時代の城ですが・・・



本能寺の変の翌年、天正11年秀吉四国平定のため、仙石秀久が入城!

仙石秀久はこの年に、淡路洲本城主5万石の大名となり、13年には四国攻めの論功行賞で讃岐高松10万石になります。

官兵衛は11年キリスト教に入信!15年に豊前12万石と比べると、官兵衛への論功はイマイチなのが分かります。



引田城の歴史を追ってみると、天正12年仙石秀久は長宗我部軍に引田表で敗れ、羽柴秀吉の四国平定後に再び秀久が入城、天正18年に 生駒親正が讃岐一国を得て入城



イマイチな仙石秀久のせいか、天正13年5月4日に、秀吉は黒田官兵衛に四国攻めの先鋒として淡路から出て、宇喜多秀家勢の軍監として加わり、讃岐国から攻め込んだ諸城を陥落させていきました。

長宗我部元親の策略を打ち破ったりして、阿波岩倉城が攻略されたところで長宗我部軍は8月に降伏ました。



天正14年10月初め、黒田官兵衛は毛利輝元の軍監として、吉川元春・小早川隆景をともなって九州に上陸していきました。

仙石秀久と官兵衛の接点を調べると、この頃に姫路出身で、仙石秀久の家臣だった「後藤又兵衛」を黒田家重臣・栗山利安の元に100石で仕えている。


・・・今日、たまたま寄った城を強引に、官兵衛ネタにもっていきました。
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