緑の切妻屋根の家が建つ

60代も後半になり、ひょんな事から一人住まいの実家を建て替えることになりました。

色々考えていくうちにすっきりしてきた

2024-06-15 11:36:04 | ヘミシンク

 パントリースペースを家具、家電を置くためのスペースへ変更する件があってから、ずーっともやもやした気持ちがあったが、色々考えていくうちにすっきりしてきた。

 一つは、ほとんどどこも納得のいく家となった人達との比較だ。I氏邸はハイムで建てるという前提で打ち合わせを行っていたのではないか?今日確認してみたら、やはり家を建てるにあたりネックになっている問題さえ解決すれば、ハイムで建てるということで、打ち合わせを積み重ねていた。今まで使っていた家具は使わないので、収納を増やしたいという希望だったので、その希望にそって打ち合わせていったのだろう。お隣のTさん宅は、ハイムで建てるって決めてから家を建てる打ち合わせに入ったし、その息子さん宅も母親であるTさんが感心するくらいよく考えられた設計だそうだが、初めから実家のハイムが気にいっていてハイムで建てるということで打ち合わせをしていっていた。

 翻って私はというと、ハイムで建てるというための打ち合わせより、どこの業者に頼めば、最も耐震性・気密断熱性とそれにともなう換気がしっかり出来て長持ちする家をコスパよく建てられるかを比較検討するための見積もり用に間取りを考えてもらっていたので、これで建てるのだという真剣味はまだ全然ない状況だ。それでも、もっとここはこうした方がとかそういった希望はだしていたし、それでだんだん、この間取りいいかも?という状況になってきていただけというレベルだ。打ち合わせの大半は耐震性能、断熱や換気についての質問やその答えと、後は今日指摘されたが世間話が主で、建てる家の中身の検討について時間はほとんど割けてなかったと思う。亡くなった父は病院くらいしか外出もできないので、訪問看護師さんが来てくれると饒舌になっていたのと同じだ。ついつい、普段人との接触がない私も、面白がって話を聞いてくれる人が居れば、関係ないおしゃべりの方が多くなってしまっていたと思う。なので、契約してから「しまった。家の中身について全然詰めてないぞ。」と思ったが時おそしで、慌てふためいて「バッグの収納とかはどうしたら?」とかメールで依頼している状況で、一度もきちんとそのまま使い続けたい家具も結構あるので、間取りについてそれらがちゃんと収まるかどうか検討の機会をもっていただきたいなどと要求することもなく、ハイム側(S氏側)の流れにお任せだった。それでも私は片付けをしながら、箪笥は並べておきたいけど、ここに入るかな?などと図面の壁の長さを測ったりしていたので、最初のままでは壁の位置をずらさなければならないことに気がつけた。また、早めに引っ越し屋さんに見積もりに来て貰ったので、そのままの設計では箪笥が2階に入らない設計であることがわかり、S氏も2月14日という貴重なプライベート時間を苦情を言われながら設計変更に費やす羽目になった。キッチンを選ぶ段階で、立壁なしのキッチンから立壁つきに途中で変更して貰わなければならないということもあった。

 そのどれもが、一度契約のために作った設計図から、「私が暮らすための家をハイムで建てるための設計図に作りかえるために0ベースで見直す」という機会を設けてさえ居れば防げた事だったと思うし、パントリーは不要ではということに気がつける機会となっていたかもしれない。0ベースでとは、私が持ち込みたい家具は全部配置して貰える間取りということも勿論含まれる。そして、S氏も不信を買ってしまうような様々な変更をしないで済んだわけだ。Tさん宅の営業さんは、神経質なくらい慎重な方だったとTさんは良く言っているが、S氏にも「このままの状況でこのまま進めて大丈夫なのか?」と常々立ち止まって考える慎重さはもっともってほしい。あるいは見通しの甘さをなくして欲しいと思う。

 しかし、一生懸命施主のためになることをしようという気持ちだけは能力の問題は別として、別に私の家だから少なかったという事はないと思う。多分、彼が私には言わないけれど私のためになることをしてくれていることは沢山あるのだと、彼のこの間の行動から考えるようになった。

 施主の住宅営業に対する信頼は、やはり「最も心身共に負担なく納得出来る家を作れたか。」ということ抜きには語れないと思う。いくら、世間話や共通の趣味があったとしてその話題で盛り上がってもだめなのだ。安心して納得の家をこの営業さんのお陰で建てることができた。という事実くらい信頼に繋がることはないと思う。

 心身共に負担なくの心の部分に寄り添って貰えるのはやはり男性よりも女性だと、パントリースペースを無しにする問題でつくづくと感じた。インテリアのTさんに相談したお陰で、パントリースペースを無しにする方が私らしく家に住めるという決断ができた。また、パントリースペースについてきちんと検討できていなかった自分を責めている私の気持ちをすぐ察知してくれて、その自責の念を和らげてくれる言葉をさっとかけてくれた。どんなにか、その一言で私ばかりの責任ではないと気持ちが軽くなったことか。逆に、どうしてそういうことにS氏は気がつけないのだろうか?と思う。でも、他の私が気がつかないところで色々な事をしてくれているだろうし、基本善意の人なんだと思うようになってきている。偽善に感じていたのは、彼が共感的理解をできないままの自分を放置していたからなのではないだろうか?彼の善意が形になるためには、まだまだ様々な能力を高めていかなければならないと思うので、家が出来て、無事引っ越しが終わったらやはり「おめでとうございます。」よりS氏に言って貰うとしたら「ありがとうございました。」の方があっているような気がする。

 


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