愚ダメ記、真誤付き、思い津記

日記?趣味?妄想?

森と木と真菌

2022-11-07 | 日記
真菌とは所謂カビ・キノコの類のことだ。木の根と真菌・キノコの関係について以前から耳にしてはいたが、あまり興味を持っていなかった。ところが、最近の研究や実験結果を基に木とキノコの話を聞くと、木や森について非常に重要なことにこれまでは一部でしか関心が払われてなかったのだと感じる。
 森や林では、木の根に入り込む菌根菌と呼ばれる種類の真菌によって、複数の木が地中で真菌を通した繋がりを持ち、互いに栄養の融通のようなことをやっているという。さらに、真菌類が地中の栄養を木に送り込み、その代わりに木の葉で光合成で作られた栄養を真菌が貰うという共生関係もあるらしい。
 実験用の大きなプランターに2つの木を植え、片方を完全に覆って光合成が起きないようにした時、地中で菌根菌の繋がりが遮断される条件では覆われた木は当然枯れてしまう。しかし、2つの木が地中で菌根菌による繋がりを持てるような条件にしておくと、光の当たる木からの栄養が菌根菌を通じて送られ、覆われた木は枯れないという実験があるそうだ。
 そうなると、森や林を健全に維持していくには土の中の菌根菌の活躍を促し、あるいは邪魔しないような方策が必要だということになる。あるいは、街路樹や公園などの木々を維持・成長させるについても、その木の周りで菌根菌がちゃんと発達できるようにしておく必要があるということ。
 周りの土壌や草木の状態とは無関係に、あるいは舗装された歩道に開いた直径1m足らずの土に一本の木を植えても、水と日光さえあれば木は一本で成長していくと何となく思い込みがち。しかし、その周囲の木の根の届く範囲に菌根菌で繋がれる木々が無ければ、結局は成長が悪くなり枯れてしまうのかも。
 あるいは、近頃よく聞く「土壌殺菌」「土壌消毒」などで菌根菌を駆除してしまうようなことがあれば、短期間に直接は木に害を及ぼさないような薬剤でも数年単位で見ると木の成長に悪影響を与えているのかも知れない。
 20世紀後半、酸性雨による森の土壌の酸性化がヨーロッパの森にダメージを与えたのは良く知られている。都市近郊の公園や森で立ち枯れが目立つというニュースを聞くことがあるが、そのような林や森の土壌調査が急がれるような気がする。その際、土壌中の真菌類の変化に関する調査が、実は非常に重要な項目となるのだろう。
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サッカーW杯近づく

2022-11-06 | 日記
サッカーW杯の日本代表メンバーが決まった。初めての代表に選ばれた若い選手がこれまでに無く多いような気がして、少し驚く。今回の予選の相手チームの手強さを見ると、初めてのW杯選出に発奮して隠れた力を発揮する可能性がある若い選手をことさらに選んだのだと感じる。
 W杯出場経験のある選手だと、ランキング上位の相手チームのことを考えすぎて、今一つ思い切った積極的な賭けに出るプレーが生まれ難いということだろうか。歴史のある強い相手に対して、手堅いプレーを考えることが、却って相手チームのペースにはまり込んでいく危険も確かにある。
 「若さ」か「経験」か、答えは結果が出て見ないと分からないが、逆に考えると「日本にもそんな選択が許されるくらいの経験が蓄積された」というか、それくらい優秀な若い選手が増えた」のだと感慨深いものが有る。
 今回の選手選抜の「賭け」が成功するかどうかは別として、そういう「賭け」を打って行かなければ、日本チームがこれ以上に強くなる道はないと思う。今回は、勝ち進んでも敗退しても、いずれにせよ日本のサッカーの一つの転換点のW杯になるのだろうと。
 できれば勝ち進んで欲しい。だが、それが叶わなくても、今回のW杯は予選の一つずつの試合の方が楽しみ・興味が大きいと言える。2つのW杯複数回優勝国と決勝進出を掛けて対戦することで、「今後の日本のサッカーには何が必要か」、それを間違いなく表面に浮かび上がらせてくれる大会となるだろう。
 これまでは「強豪国と並びW杯決勝トーナメントに出る」ことを夢見て来たが、今後は「それら強豪国を倒してトーナメント勝ち進む」ために、日本に何が足りないのか、何が必要なのか、何が日本の強みなのかを「予選リーグ」の最初から突き付けられることになる。
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カーテンレールのキャップストップ

2022-11-05 | 日記
最近、家の2つの窓でカーテンレールの端が壊れて、カーテンを勢いよく引くと端っこからカーテンが外れて落ちてしまうようになった。20年以上も使っているカーテンレールなので、いろいろと部品が劣化して壊れることは仕方ないが、壊れてみて初めて、その部品の重要性を認識するというものだ。
 壊れた箇所を確認し、当初は「その部品を買ってくればすぐ直せる」と考えた。そこで思い付くのは近くのホームセンター。しかし、カーテンやカーテンレールの売り場を眺めてみも、その部品だけというのは売ってなかった。最後はやはり「ネット通販が頼み」となる。
 インターネットで「カーテンレールの端っこ」だけ売っているかを探し、それが「キャップストップ」という名の部品であることを知る。キャップストップは幾つかの通販サイトで売っていたが、一個100円か200円くらいの部品でも、その送料は700円くらい掛かってしまう。
 そうかと言って、10個20個と買いだめして置くような品物でもない。こうなると、「会員になれば全て送料無料(ただし年会費が発生する)」というサービスとの両睨みで「どっちが得かよく考えて見よう」ということになる。なるほど、こういう事が何度かあれば「いっそ年会費を払っても、送料無料で元が取れる?」と考え始めても無理はない。特に、送料がかかる地方に暮らしていれば尚更だ。
 そして、会員になれば送料無料サービスを使わなければ元が取れないと、その通販サイトでの買い物が多くなるという寸法。なるほど、うまく出来ている。結局、我が家も通販が無けりゃ家のカーテンを気持ちよく開け閉めすることすらできない時代に突入だ。ちょっとあきれ顔での、取り敢えずの感謝。
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ムギマキ

2022-11-04 | 日記
「ムギマキ」という小鳥を見るために、1時間半ほど離れた山まで出かけた。黒い羽と胸の橙黄色が奇麗な鳥である。この季節からして、その名前は「麦撒きの季節に現れる鳥」ということで付けられたのでは、と推測する。もしかすると、かつては秋が深まってムギマキの姿を見ると「そろそろ麦撒きの時期が来たなぁ」と農作業の目安にしていたのかも知れない。
 現在、そのムギマキが来る時期に周囲の田畑を見ても、麦を撒こうという状況にはない。平地の田んぼでは、まだ稲刈りが済んでない所さえある。稲刈りを終えた田でも、耕して畝を造り麦撒きの準備と思しき姿は見当たらない。ムギマキを探した山の近くの田畑も、冬の麦作に向けて準備している気配は感じられなかった。
 かつての麦作を知らない世代にとってムギマキと言う鳥の名は、その鳥の姿や行動とは全く結び付かない「単なる符号」に過ぎなくなってしまったということだろう。
 昔は当たり前に行われていた二毛作という農業は、本当に少なくなった。冬の間も稲刈りの後の田んぼのままという所も多い。それはそれで、冬にやって来るガンの仲間の餌場として役立っているのだが、「ムギマキ」という鳥の名前に込められていた「鳥と人の結びつき」や「日本人の季節感」がまた一つ失われて行くようで寂しい。野山で野鳥の姿が減りつつある昨今、せめてムギマキの名を負った小鳥までが姿を消してしまわないように、と願うのみだ。
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3ケタ国道

2022-11-03 | 日記
中国山地の3ケタ国道には要注意、と思っていたつもりだったが、またもや地図、というよりもカーナビに騙されてしまった。地図で見れば確かに国道、地図上の線の表記も主要道路と変わらない。さらにカーナビで堂々と色付けられて誘導されれば、ついついそれに従ってしまう。
 その挙句、突然に道幅が車巾ギリギリの山道へと変化、「あれ!?」と思いつつも進んでしまうと、その奥にはガードレールも無いような細い崖っぷちの道が曲がりくねって続いている。「ああ、またまた引っ掛かってしまった」と、以前の恐い体験を思い出した。
 「やはりこれ以上は行かない方が」と決断、バックを始めると、またそれはそれで恐ろしい。一車線がやっとの幅の蛇行する山道を、バックモニター一つを頼りに2百メートルくらいバックして、やっと2車線の所まで戻った。
 そしてもう一度地図を見ながら、遠回りでも迂回コースが無いかと調べる。ところが、調べている間に当の山道から車が出て来た。反対側からこの道を抜けて来たのだ。
 それは軽車両ではあったが、ともかく道は向こうまで行けるらしいとは分かった。「途中で土砂崩れで行き止まり」は無いということだ。しかし、今度は「途中で対向車と出会ったら、離合場所はあるのだろうか?」という不安が浮かぶ。地図で見る限り、使えそうな迂回路はない。仕方なく、その山道に突入。途中で道幅の広い箇所を確認し、次の広い場所があるまで距離を測りながら走る。
 幸い、対向車には出会わないで約4kmを通り抜けたが、途中は、路肩が崩れて途切れ途切れのガードレールも浮かんでいるような山道で、山側には拳大の落石が積んである。おそらくは奥の部落からの生活道路となっているんだろう、など考えながら何とか通り抜けられた。
 そして、もう一度地図を見る。通り抜けた先の2車線道路も崩れかけのように見える山道も、地図上では何の違いも無い同じ幅の線で引いた3ケタ国道である。途中、山林の伐採現場のようなところが幾つもあり、もともとは林業用の材木切り出し道路なのかもしれない。
 地図を見て納得はしたものの、また改めて心に刻んだ、「中国山地の3ケタ国道を信用してはいけない」と。
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