愚ダメ記、真誤付き、思い津記

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薬缶(やかん)

2021-11-21 | 日記

花や木の鉢への水やり用に使っていた薬缶に孔が開いたので、仕方なくプラスチックのじょうろを買って来た。しかし、樹脂製のじょうろでは風情が無く、孔の開いた薬缶の方も捨てられないでいる。何かで簡単に孔を塞げるならば、修繕してまた使いたいと思う。

 黄色味がかったアルマイト製の大きな薬缶は、バザーの余りだったか何かで捨てることになったものを引き取って来たものだ。5・6リットルは入りそうな大きな薬缶で、家で湯を沸かすには大きすぎて使えないが、何となく懐かしくて手元に置きたい気がした。

 アルマイトの大きな薬缶に纏わる思いでと言えば、小学生低学年の頃、近くで休んでいた大工さん達に呼ばれて大きな薬缶からお茶を飲ませて貰った記憶、そして運動会の準備でグランドに線を引くときに薬缶に入れた水で予備の線を引いていた先生たちの姿が何となく格好良く見えた記憶。

 結局、一般家庭に大きな薬缶は必要無いし、運動場に薬缶の水で線を引く役目は上級生になって準備を手伝うようになって一度くらい経験しただけ、大人になってからも自分の所有物として大きな薬缶を手に入れることはなかった。

 それが、いつの間にかアルマイトの薬缶が「古い」「昔の遺物」でしか無くなり、いろんな施設でまだ使える古い薬缶が「廃棄物」として処分されるようになった。「捨てる」と聞くと、つい懐かしくて一つ二つと貰い受けてじょうろ代わりに使うようになった。

 それ以来、ベランダの隅にアルマイトの大きな薬缶が置かれていることが、なんとなく生活が板について落ち着いている徴のように感じられる。大きな薬缶は結構便利なのだが、やはり金属なので錆が出て孔が開くのは仕方ない。若者の時代には顧みなかった自分の身体が、少しずつ故障を抱えて生きているのに似ているような気がする。孔が開いた薬缶もまだ捨てられずにベランダに置き、どうやって故障を繕うかを考えることにした。

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