愚ダメ記、真誤付き、思い津記

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この木なんの木

2021-06-20 | 日記

「この木なんの木、気になる木・・・」の歌、CMソングを初めて聞いたのは「すばらしい世界旅行」という番組だったと覚えている。歌詞と曲にも面白いと思ったが、何と言っても初めて見るモンキーポッドという木の映像が印象的だった。日本の木でも横に広く枝を張る樹木の映像というのは見たことがあったが、枝の下に支えが一つも無いということに不思議な思いがした。その木の枝を拡げるイメージが、いろいろな関連業種を開拓するグループのイメージに合っていたのだろう。企業の一商品・製品を売り込むCMが多かった中で、企業グループ全体のCMというのも新鮮で印象的だった。

 この歌を聞くとその番組と企業グループのCMを見た時の新鮮な印象を思い出すのだが、加えて、今も問題の「人口爆発と食糧危機」や「地球温暖化」を取上げたことがあったような記憶も蘇って来る。それは正確な記憶では無いのだが、同じことが数十年以上前からずっと問われ続けていることを思い出させる歌でもある。我々の世界は、今やっとそれと真面目に向き合おうとし始めたに過ぎない、ということを。

 一方、小林亜星という名前は、自分にとっては「寺内貫太郎一家」の頑固おやじの印象。当時は小林亜星氏が作曲家であると知らず、この最適任の俳優は何処から来たのだろう?と不思議に思っていたものだ。そして、今になり小林亜星氏の訃報と共に氏の作曲による曲名が伝えられて、初めて「この木なんの木・・・」の歌の作曲者が彼であったことを知る。さらにCMソング「どこまでも行こう」、レコード大賞曲の「北の宿から」も。

  作曲者だったことを知ると、何となく「北の宿から」の歌のイメージも違って聞こえる。あの寺内貫太郎が自宅の縁側にどっかり座り、大声を張り上げて「この木なんの木・・」とか「どこまでも行こう・・」と天真爛漫に歌っている絵が浮かぶのだ。そして「北の宿から」は、子供時代の失恋を思い出し、自分とは言いたくない貫太郎が男を女に置き換えて、一途な想いをやけくそ気味に歌い飛ばしているようなシーンがふと浮かんでくる。あの貫太郎の上(かみ)さんは頑固おやじのその純心を好んだに違いない、と。寺内家を支えるあの夫婦の信頼こそがドラマをも支えるものであり、その掛け合いが好きだった。

 あの頑固おやじのイメージぴったりの小林亜星氏と「イメージ的とは結び付き難い」心温まる歌との取り合わせは、あらためて此の世の機微を教えてくれたような気がする。生きていると、そんな風に知らされることもまた多くなる。小林亜星さん、どうか安らかに。

 

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