愚ダメ記、真誤付き、思い津記

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λ、μ

2021-09-12 | 日記

聞きなれないギリシャ文字がニュースとして飛び交っている。新型コロナウイルスの変異株の名称だ。大文字表記と小文字表記のどちらが正しいのかよく知らないが、文字として親近感が湧くのは数式や大きさの単位に用いられる小文字、λ や μ の方である。変異株の発見順序に従ってαから割り振られるようで、μ があるということはその前にイータ(η)やシータ(Θ)も見つかっているということになる。

 最近のニュースキャスターが「ウイルスというのは変異を繰り返しながら毒性(病原性)は弱まって行くと聞いているが、なぜ病原性の高い変異ウイルスの感染が拡大するのか?」と医療関係者に訊ねる場面がある。「ウイルスが変異を繰り返しながら毒性を弱めて行く」という一面的な説明だけで誤解を与えた医療者側にも責任はあるが、基本的なことを正確に説明する機会を省かせてきたマスコミが、基本的なことを弁えないで誤解したままの説明を繰り返すという典型と言えるのではないか。

 「一般に変異を繰り替えせばウイルスは弱毒化する」というのは、ウイルス感染による重症化・死亡を有効に抑えられない場合である。当然、感染患者は重症化して移動できなくなるか死んでしまうので、感染の拡大速度は大きくない。そこでウイルス側に弱毒化、かつ感染能力の強い変異株が生まれると、症状が出ない患者や軽い患者は移動能力も感染拡大能力も大きいので、そちらの変異株の方がより広く感染し感染拡大は早い。結果的に、弱毒化した変異株の方がより早く広く感染を拡げることになる。

 しかし今回の場合、無症状・軽傷の患者が多いことと、医療によって助かる確率が高いことで、毒性の高いウイルスの感染源の減少・消滅が起こらないことで、「弱毒性のウイルスの方がより感染を拡大できる」という図式は崩れている。したがって、弱毒化への変異であろうと強毒化への変異であろうと、どちらが社会から消え去りやすいということがない。医療が比較的行き届いてウイルスに起きる弱毒化変異と強毒化変異の差が大きくならない条件ならば、弱毒性ウイルスが毒性の強いウイルスを駆逐してしまうという「競争」は所詮起きない、という「比較的理解の容易な基本的条件」についてもうそろそろマスコミにも認識してもらいたいものだ。

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