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三渓園/鶴翔閣の歴史

2013-11-13 | 建築
昨日にひきつづき三渓園のこと。三渓園を祖父から受けついだ、
原三渓こと原富太郎さんが移り住む時、1902年(明治35)に
建てた本宅「鶴翔閣」を見学させていただく。



横浜市指定文化財なんだけど、積極的に貸出をすすめている
からやろう、老朽化した感じがしない。それどころか、改
築が効き過ぎて、古き良き味わいが失われているきらいも。



結婚式や披露宴会場としても人気だそうで、年間100組以上が
利用するとか。年表風にまとめると;



1902年(明治35) 竣工
1909年(明治42) 引っ越して、家族で暮らし始める。
1939年(昭和14) 原三渓死去(享年70歳)
1940年(昭和15) 空襲を避けるため、
茅葺き屋根→瓦屋根。 建物を半分に崩す。

空襲で茅葺き屋根がたくさん焼失したことは聞いたことがあ
ったけど、空襲を避けるために茅葺き屋根を替えるケースも
あったんだね。

第二次世界大戦まで地方の屋根は8割は茅葺きだったと言われ
ていたものが、その文化が戦後の高度成長で失いかけた。

1953年(昭和28) 原家は三渓園を横浜市に寄贈!
  
この英断が三渓園を守ることになったに違いない。横浜市も
財団を設立し、全体の整備をすすめていく。



誰も住まなくなって損傷が激しくなった「鶴翔閣」の再建計
画が浮上。

2000年(平成12) 明治時代の竣工当時にほぼ再現

2000年は先進国首脳会議が沖縄で開催され(いわゆる、
沖縄サミット、懐かしいねぇ)たんだけど、当初東京で開催
される案もあったそうで、首脳夫人を「鶴翔閣」へ招待する
幻の計画が進行していたので、再建計画に予算がつき、一気
に実現したそうだ。

ただ、「広い部屋の確保やVIP用トイレの設置やなどが要求
され、やむをえず復元案は一部変更された」(『三渓園の
建築と原山渓』西和夫)

難しいなぁ。いろいろ検討されたんやろうけど、一時の利用
のために行うのは仮設で対応すべきかも。それに明治のまま
の復元の方が、首脳夫人に喜ばれるのでは。

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