明けましておめでとうございます。
昨年もあわただしく、なかなか本ブログを更新することができませんでした。今年もそういう状況が続くと思われますが、日本海岸の町の牛頭天王信仰の現状を調べたい気持ちではいます。
さて、今年は申年。日吉大社の神様山王様のお使いであるサルの年。日吉神社・日枝神社・山王神社の氏子さんたちは喜んでいることでしょう。
日吉大社は比叡山延暦寺の守り社であるばかりでなく、京都祇園社(現在の八坂神社)を監督・管理する神社でした。日吉大社の宮司を監督・管理していたのは比叡山延暦寺。こうした状況を、京都祇園社の宮司や氏子たちの中には快く思っていなかった者がいたということは十分に考えられることです。
祇園社は京都に疫病が流行ったとき、伊勢神宮でさえ退散できなかった疫病を退散させました。日吉大社よりも早く「二十二社」(畿内の有名な古社)に選ばれました。にもかかわらず下の地位。
皇室の庇護を受け絶大な勢力を持っていた延暦寺を頂点とした既成仏教や、天皇制神道を「批判」「超克」するために、祇園社の宮司、または氏子が『ほき内伝』を著したと考えることは単なる妄想ということにはなりますまい。
『ほき内伝』では、既成仏教が「悪神」としていた牛頭天王を「善神」とし、天皇制神道の神々を登場させず、原始神道の神蛇神を登場させ、その進化形である龍神を登場させました。
『ほき内伝』における牛頭天王像が広まるに従い、戦国時代・安土桃山時代を経て天皇 制は歴史の表舞台から消えていきました。
牛頭天王の威力を語る場合、正妻ハリサイメの父「海の神」龍、側室蛇毒氣神を代表とする「山の神」蛇を抜きには語れないでしょう。
写真は神奈川の江島神社とその境内社の八坂神社と龍神。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます