牛頭天王信仰とその周辺

牛頭天王(ごずてんのう)信仰とそれに関係する信仰や情報を紹介するブログです。

河口湖船津の八王子神社

2012-03-26 06:33:01 | 日記
船津の八王子神社
河口湖町船津4013


 河口湖駅を降りて湖をめざします。富士博物館や富士レークホテルの近くにあります。100m位離れた所に筒口神社があり、毎年交代でお祭りを行っているとのことです。「天王祭」「祇園祭」は行われてはいません。
 由緒書からスサノヲノミコトとその御子八王子を祀っていることがわかりますが、勝山の八王子神社同様、元々は「山王信仰」の八王子神社だったのを、江戸時代に「牛頭天王信仰」の八王子神社にして、明治維新になって、スサノヲノミコトと御子の八王子を祀るようになったと考えられます。
 拝殿奥の本殿は一般住居のようになっていて、宮司さんが日常生活を営むことができそうな造りになっています。
 鳥居の近くには石仏が二体あり、江戸時代までの「神仏習合」の名残を見せてくれています。


河口湖勝山の八王子神社

2012-03-25 07:25:12 | 日記
勝山の八王子神社
山梨県南都留郡富士河口湖町勝山938
 富士ビューホテルと勝山中学校入口のある道との間の道を入っていくのですが、わかりにくいので、地元の人に聞いた方がいいでしょう。
 最近建てかえしたのでしょう。神社本殿は大変きれいです。由緒書には「八王子権現」の文字が見られます。本殿の他に、祠が三つならんであますが、だれを祀っているのかはわかりません。火山岩をつかった石塔には「秋葉神社」の文字が見られました。

 山梨県企画県民部生涯学習文化課の運営する『やまなしまなびネット』によれば、
勝山の八王子神社の本殿は河口湖町の指定文化財になっているとのことです。 そして、 「祭神は素盞鳴尊(すさのうのみこと)。 殿内には素盞鳴尊と八王子(天照大神と素盞鳴尊とが誓約して生んだ五男三女神)がまつられています。文治元年(一一八五年)に、地方政情の巡視にこの地に来ていた八検使の内二名は、滞在中八王子権現を深く崇拝していました。その心を尊重し、二名の死後文治二年住民の小七郎が八王子権現をまつりました。」と説明しています。




「スサノヲノミコトとその御子八王子」と「八王子権現」とは基本的に異なるというのがわたしの考えです。元々、「八王子」という言葉は『法華経』にある「八つの精神」(有八王子。一名有意。二名善意。三名無量意。四名宝意。五名増意。六名除疑意。七名響意。八名法意。是八王子)であり、スサノヲノミコトともその御子とも何の関係もありません。
 比叡山延暦寺の天台宗では『法華経』も重視していました。その中にある八つの精神「八王子」を持った神を「八王子権現」と呼んだのです。また、比叡山延暦寺では神仏習合を積極的に進めましたから、日吉大社(日吉神社・日枝神社の総社)の神々を比叡山延暦寺の守護神ともしました。
 ですから、「八王子権現」は日吉大社の一神様でもあります。日吉大社の信仰は「山王信仰」とも言われていて、「八王子権現」は「山王信仰」における神様です。
 ところが、時代が下って武士階級が台頭するようになると、武士階級は「牛頭天王信仰」に傾いていきました。戦国時代を経て江戸時代になると、研究者たちから「一村に一社、牛頭天王社があった」といわれるくらいに「牛頭天王信仰」が普及しました。おそらく、江戸時代に「山王信仰」の「八王子権現」を「牛頭天王信仰」の牛頭天王とその御子八王子に切り替えたのだと思われます。東京都八王子市の名前も元々は日吉大社「山王信仰」の「八王子権現」だったと思います。それを「時代の流行」に乗って切り替えたと思います。
 ところが、明治維新政府は通達を出して、「牛頭天王信仰」を事実上禁止しました。「牛頭天皇」と書かれることもあり、「天皇家だけが遣える名前を他の神に与えるわけにはいかない」ということでしょう。ほとんどの牛頭天王社はスサノヲノミコトを祀る神社になりました。牛頭天王はスサノヲノミコトの本地(もともとの姿)、または垂迹(すいじゃく=現実に現れた場合の姿)と考えられていたからです。「八王子権現」はスサノヲノミコトの御子となり、現在の説明になっているのだと思います。 
 ここ勝山の八王子神社では現在「天王祭」「祇園祭」は行なわれてはいませんが江戸時代においては行われていたのかもしれません。

河口湖町の天王社

2012-03-23 11:29:35 | 日記


津島天王社
河口湖町河口(番地不明)
 河口湖大橋を過ぎ、河口浅間神社を過ぎ、富士健康センターを過ぎて、少し行った道路際に山神社と並んであります。インターネット地図には「山神社」しか描かれていないので見逃してしまいがちです。鳥居はなく「小屋」と言った感じの神社ですが、山神社の中には「對馬牛頭天皇」と書かれた旗がありました。「津島神社」の「津島」は元々は「對馬」だったとの説があり、それに基づいて書かれたのかどうかはわかりません。「平成二年」という文字もあり天皇陛下即位の儀の際に使われた旗かもしれません。
「敷地」には犬糞があり、清掃等がなされているようには思えませんでした。観光地としての自覚や、文化財に対する思い、先祖の人たちへの思いに欠けているとしか思えません。地元住民の意識の問題でしょう。










吉原本町駅近くの天満宮と祇園祭

2012-03-20 22:35:34 | 日記

 岳南鉄道の吉原本町駅を降りて踏切を渡り最初の四つ角を右に行って最初の道を左に曲がります。赤い社が見えてきます。駅から歩いて4,5分のところにあります。学問の神様菅原道真公を祀っている神社で、牛頭天王とは直接関係ありませんが、吉原祇園祭を盛り上げています。このことを境内の説明書でも述べています。さすが様学問の神様天神様の氏子さんたちです。写真も添えて紹介しています。



富士市の天王社②  吉原本町駅近くの八坂神社

2012-03-20 22:26:09 | 日記

 岳南鉄道の吉原本町駅を降りて、踏切を渡らないで左に進みます。二本目の道を左に曲がり高い煙突の方に向かうと左手に見えてきます。駅から歩いて5,6分のところにあります。由緒書にはかって牛頭天王社だったことがきちんと書かれています。
 ここ吉原本町では八坂神社・天満宮・山神社・木之元神社・八幡神社の氏子さんたちが協力して「吉原祇園祭」を毎年6月の第二土曜・日曜日に行っています。実際は町をあげての盛大なお祭りになっているようです。



吉原本町商店街の一角

富士市の天王社①国久の八坂神社

2012-03-18 07:34:50 | 日記

  富士市国久区公会堂隣の八坂神社
 JR富士駅を降りて商店街を富士本町の交差点信号の方に向かいます。富士本町信号を越えて最初の信号の道を左に曲がると、右手に国久区公会堂があります。その隣の神社が八坂神社。駅から歩いて12,3分のところにあります。
 毎年7月14日に近い土曜日に「お天王さん」のお祭りが行われ御輿の渡御があります。手づくち祭屋台も出て天王太鼓も披露されます。



静岡県清水区の天王社④ 高橋地区の天王社

2012-03-13 11:39:48 | 日記



清水駅の西口を出て江尻大和の交差点を右に行き、新幹線手前の信号のある四つ角をを左に行きます。清水飯田南保育園の隣の神明宮(清水区高橋4-4)の境内社が天王社です。由緒書は薄くなっていますが、かっては牛頭天王を祀っていたことを書いています。現在でも「天王社」の額をつけています。







  

静岡県清水区の天王社③ 八坂北の八坂神社

2012-03-13 11:19:38 | 日記

 八坂神社(清水区八坂北1-41)へは、清水駅の西口を出て江尻大和の交差点を右に行き、新幹線を過ぎ東名まで出ます。その近くのカーリース会社のところの小さな道を小高い山(天王山)の方に行きます。その上が八坂神社です。駅から徒歩ですと30分くらいかかるでしょう。
 ここの八坂神社の由緒書にもかっては牛頭天王社であったことが書かれています。「祇園祭」と称して夏祭りも行っています。


静岡県清水区の天王社② 蒲原駅近く(神沢地区)の津島神社

2012-03-12 07:49:05 | 日記

 蒲原駅を降りて東海道を清水方面に向かいます。久保田米店横の路地を入っていくと突き当たりにあります。駅から歩いて12,3分のところです。鳥居には神社名がありません。何神社か分かりませんが、奥の小さなお宮の中に「津島牛頭天王」と書かれた札がありましたから、津島神社でしょう。地元の人は「お天王さま」と呼んでいるようです。


静岡県清水区の天王社① 新蒲原駅近くの八坂神社

2012-03-11 07:12:14 | 日記

 八坂神社(蒲原2-13-14)へは、東海道線新蒲原駅を降りて東海道を蒲原方面にむかいます。出口と反対方向ですのでガードをくぐることとなります。最初の横断歩道の道を右(山の方)に行きます。天王町会館の隣です。わかりにくい場合は駅前の交番に聞くといいでしょう。駅から歩いて6,7分のところにあります。花見のシーズンは八坂神社の上の山の桜が大変きれいです。また、東海道の道並も昔のおもかげが残っていて落ち着いた町並みを見せてくれています。
 ここの八坂神社の由緒書にもかっては牛頭天王社だったことが述べられています。

由緒書の奥にあるのがトイレで大変きれいでした。


 八坂神社の遠景です。

伊東の天王祭・新井神社

2012-03-02 04:37:06 | 日記
新井神社(伊東市新井2-15-1)
 伊東駅を過ぎて国道135号を川奈方面に行きます。波止場入口の信号を過ぎて、3つ目の信号の道を右に入ります。
 伊東市と一般社団法人伊東観光協会が「伊東温泉七福神めぐり」というパンフレットをつくっており、そこに新井神社の説明も記されています。このパンフの一部を紹介します。
「伊東町誌(大正元年)によると、古く比留古(ひるこ)神社といい創柱は元応二年(1320年)です。・・・・・。明治30年に蛭子(ひるこ)神社に村内の諏訪神社・八幡神社を合祀。大正三年に新井神社と改称しました。祭典は隔年正月七日俗に伊東の『裸まつり』として、御輿の海上渡御があり、裸の若衆により勇壮に催されます。・・・・・・・新井神社には産土祭りの御輿が別に一基あって、毎年七月十五日に『お天王さん』の祭りがにぎやかに行われています。」
 このパンフにおいては、牛頭天王についてはふれていません。『裸まつり』は隔年ですが、『お天王さんの祭り』(『天王祭』)は毎年行われているといいます。御輿まであるというのに・・・・。


土肥の諏訪神社

2012-03-01 05:09:13 | 日記


諏訪神社(伊豆市土肥大藪72)
 土肥港より国道17号を北上。最初に大きくカーブするところの道を右に曲がります。その道の山の上に鎮座。分かりにくいので、地元の人に訊いた方がいいでしょう。
 その名から、長野県の諏訪大社(出雲をヤマト朝廷側に「国譲り」したため、信州まで逃げ落ちたタケミナカタノカミと信州の地主神の集合体「諏訪大明神」を祀る系列神社ですが、二社並んでいます。一方には額が無く何社で誰を祀っているのか分かりません。
 この大藪地区においても、毎年「天王祭」を行っているとのことですので、稲宮神社同様、一方は天王社とも考えられます。