牛頭天王信仰とその周辺

牛頭天王(ごずてんのう)信仰とそれに関係する信仰や情報を紹介するブログです。

横浜市の鶴見神社の天王祭

2011-07-31 06:23:04 | 日記

 鶴見神社は杉山大明神を祀っている1400年前創建の古い神社です。横浜最古の神事芸能「田遊び」で有名な神社です。鶴見神社の発行するパンフレットには、いつの時代とは書かれていませんが、近くの鶴見川に天王宮の大御輿が流れ着いたという言い伝えが述べられています。以後、杉山大明神と天王宮の二社相殿となったとのことです。7月に天王祭が行われています。
 隣の川崎市の南加瀬地区にある小倉神社は旧天王社だったようで、もしかすると、川が氾濫した時か、または事故によってか、そこの天王御輿が流れて鶴見地区に着いたのかもしれません。

神奈川県秦野市の旧牛頭天王社健速神社

2011-07-29 02:30:01 | 日記

 秦野高校の近くの小高い丘陵にある健速神社。小田急線東海大学前駅から歩くと30分くらいかもしれません。
 由緒書によりますと、明治元年(1868年)の神仏分離令までは「牛頭天王社」と称し御祭神は牛頭天王と須佐之男命(すさのおのみこと)の二神様をお祭りし、地元では「お天王さん」の名前で親しまれていたとのことです。
 この神社では天王祭・祇園祭は行われていませんが、「火渡り神輿」の祭礼で有名です。 わたしは想像するのですが、この神社はもともとは(古代においては)地元の農民の生活に根ざした神社で「生産の神様」(山の神)を祀っていたのではないでしょうか。そうしたことから「焼き畑」「土器制作」「着物作り」「調理」などには火が大切であり「火祭り」が始まり、牛頭天王信仰「と合体し「火渡り御輿」の祭礼が生まれたのではないでしょうか。


戸塚八坂神社の「お札まき」と牛頭天王信仰

2011-07-27 18:19:47 | 日記

 戸塚駅を下りて消防署の先にある八坂神社。この神社は「お札まき」で有名です。女装した十人程の男性唄を歌いながら町内を練り歩き、五色(青、赤、黄、緑、白)の札をうちわであおって天に舞わせる行事のようです。由緒書から、この神社が牛頭天王社であったことが分かります。もともとは「牛頭天王札」をまいていたのかもしれません。
 庶民芸能の研究もしてきた芸能人の小沢昭一さんはこの神社で行われた『わいわい天王』の口上をレコードにしているようです。


足利市小俣の祇園祭

2011-07-10 04:06:36 | 日記

 両毛線小俣駅から徒歩で3、40分くらいの所にある篠生(ささご)神社。葉鹿小学校の向かい。御祭神は須佐男命とそのお后櫛稲田姫命ですが、境内社に八坂神社があり、7月に祇園祭を行っています。山車は足利市の重要文化財で祇園祭では移動舞台として活躍しているようです。
両毛線を挟んで反対側には小さいながらも八雲神社があり、地元の人から「天王様」と慕われています。ここにも山車があります。




足利市足利公園の八雲神社

2011-07-09 04:59:24 | 日記

 桜の咲いている時期に伺いましたが、平日でも参拝客が多く、今でも地域の中心的存在の神社と思われます。足利駅を降りてから徒歩だと4,50分かかると思われます。
 藤原秀郷の父が貞観年間に創建したとも、右大臣藤原基経が創建したとも言われているようです。平将門の乱の折に平定祈願を行いそれがかなえられたため、足利、梁田両郡の総鎮守となったようです。成田山新勝寺のような役割をもった神社で、「正義の味方」「弱きを助く」平将門を祀る神田明神の氏子にとっては、このような神社に牛頭天王を祀ってもらいたくはないと思うでしょうが、足利公園の八雲神社では天王祭を行い、かっての祭神が牛頭天王だったことを記しています。平将門の怨霊・祟りを封じ込めるためにも牛頭天王が「利用」されたのかもしれませんが・・・・。

千葉県久留里線祇園駅近くの祇園須賀神社

2011-07-04 03:33:57 | 日記

 わたしが祇園駅に着いたのは夜の7時。もう暗くなっていました。祇園何丁目・祇園小学校など、祇園の名が目立ちます。
 地元の人、何人かに須賀神社ときいたのですが、知りませんでした。「祇園神社」と言ったところ「あそこしかない」と分かって行き方を教えてもらいました。
 駅のすぐ近くの踏切をわたってずと歩くとT字路に突き当たります。そこを右に曲がって歩くと右手に大きな瓦屋根が見えてきます。そこが祇園須賀神社。右に曲がると寺院もあります。結構大きな境内の神社です。わたしが行ったのは今年の4月で落ち着いた雰囲気で夜桜がきれいでした。

群馬県桐生市天王宿駅付近の牛頭天王信仰

2011-07-02 06:38:33 | 日記

 天王宿駅を出て相生3丁目の信号を目指します。駅から徒歩7.8分位の所にあるのが天台宗天王院とその向かいにある八坂神社。江戸時代は牛頭天王信仰の地だったと思いますが、現在は祇園祭・天王祭と称してはお祭りは行われていないようです。上毛電鉄との共催で、天王祭、または祇園祭を行うと、地域活性化につながると思いますが・・・・。

九州山地の祇園信仰(3)中松駅付近の八坂神社

2011-07-02 06:31:19 | 日記


 南阿蘇鉄道の中松駅を降りて国道39号線を南下します。白川にかかる「祇園橋」をわたり祇園交差点の信号を越えてこんもりとした森の中にある八坂神社。地元の人たちの中には「祇園様」と呼ぶ人もいます。東を進めば、「アマテラス信仰」の拠点高千穂です。その近くにおいても「祇園信仰」「牛頭天王信仰」が存在していたと言うことです。
 本殿の脇には阿蘇山の神々との関係や土着の神々との関係を示す「方位図形」の説明書があります。原始時代の神々と「祇園信仰」「牛頭天王信仰」とが長きにわたって結びつけられてきた地域です。



九州山地の祇園信仰(2)男成(おとこなり)神社の祇園宮

2011-07-01 03:42:38 | 日記

 国道218号線を車で浜町から10分ほど走ると男成神社の白い鳥居が見えてきます。その鳥居を進み杉林の中にある神社。
 元々は天皇家の皇祖三神を祀った神社でしたが、1192年鎌倉幕府成立の年に祇園宮を相殿に祀ったとのことです。
 ヤマト朝廷の先祖の地と言われてきている高千穂に近いこの地にまで「祇園信仰」がもたらされたこと。武家政治の確立機に「祇園信仰」がもたらされたこと。祇園大明神・牛頭天王への、当時の人々(武士階級)の期待の大きさが想像されます。

現在、神楽殿では奉納劇などがさかんに行われているようです。