牛頭天王信仰とその周辺

牛頭天王(ごずてんのう)信仰とそれに関係する信仰や情報を紹介するブログです。

川崎市多摩区の八雲神社の牛頭天王信仰

2011-01-29 13:16:41 | 日記

 川崎市は工業都市と思われがちですが、東京都と同様、「うなぎの寝床」のように細長く、海岸は工場地帯で、北部は多摩丘陵沿いにあり、かっては梨園(多摩川梨)を中心とした農村地帯でした。最近は東京の衛星都市という面が強く、マンション・アパートが立ち並び一昔前の農村地帯という感じがしなくなってますが、八雲神社は天王社で、氏子たちによって「天王祭」が受け継がれているようです。この神社は元々は寺の中にあったお社で、明治維新政府の「神仏分離施策」のために神社として独立したとのこと。落書きなどによって消えかかった由緒書に記されております。

八王子の八幡八雲神社の天王像

2011-01-24 01:06:03 | 日記
 東京都八王子市の八幡八雲神社は、もともとは応神天皇を祀る八幡神社だったようです。八王子城が豊臣氏の大軍によって陥落し、牛頭天王様と彼の八人の王子様を祀っていた北条氏の残党が、天王像をもって逃げ氏神として崇敬していました。後に水害によってその像が流れ出て発見され、八幡神社がご神体とするようになり、神社は八幡八雲神社となったようです。しかし、一般の人たちはこの天王像を見ることができないようです。見て拝みたいと思っている人はわたしひとりではないでしょう。
 この神社では7月下旬例大祭を行っていますが、「祇園祭」「天王祭」としては行っていません。「祇園祭」は、以前このブログで紹介した近くにある子安神社で行われています。


牛頭天王信仰と小田原

2011-01-21 07:11:05 | 日記

 小田原に本拠を置いた北条氏(後北条氏)が出城八王子城をつくり牛頭天王信仰をもっていたのであれば、本拠地においても牛頭天王信仰の跡が見られるのではと探しましたが牛頭天王を祀っていた神社は見つかりませんでした。小田原市内の松原神社は山王信仰ですし、二宮神社は二宮尊徳を祀っている神社ですし・・・・。御幸浜の近くにある妙泉寺には毘沙門天の幟や馬頭明王像が見られますが、牛頭天王も祀っているとのことです。
妙泉寺には毘沙門天は、「四天王」の一神として「毘沙門天王」と書かれていることが分かります。一般に「天王」という場合は牛頭天王を指しますが、大阪の「天王寺」や東京谷中の「天王寺」のように、異なる場合もあり、要注意です。


東京都東久留米市の南沢氷川神社の牛頭天王

2011-01-18 00:04:51 | 日記
 東久留米駅を降りて南に歩いて、イトーヨーカドーを超えると、「氷川神社」の案内表示が見えてきます。そこを左折して川を越えたところにあるのが、南沢氷川神社。その川のきれいなこと。「緑と湧水の里」と言うとおり、自然を活かした地域作りを行政も住民も大切にしていることの分かる風景です。 そこにあるのが南沢氷川神社。主祭神はスサノヲノミコトとその后クシイナダヒメノミコトですが、オオナムチノミコト(大国主命)も加わっています。
 神社の発行するパンフレット見ると、境内末社のひとつに「八雲神社 御祭神 牛頭天王」と書かれています。境内末社に稲荷神社も二社あって、ひとつの御祭神は「宇賀魂神」、もうひとつの御祭神は「豊宇計比命」とあります。自然信仰の流れをくむ「宇賀神」を認めていること。「牛頭天王」とはっきり記していること。この神社の宮司さんの「歴史的事実」を大切にしている気持ちがよく表れているパンフレットと思いました。七月十五日には夏祭り天王祭が行われています。

埼玉県白岡町の牛頭天王信仰

2011-01-15 09:46:58 | 日記
 埼玉県白岡町の新田の「天王様」につづいて紹介するのは、白岡町篠津の須賀神社。この須賀神社は旧天王社。ここでも、教育委員会が説明文の札を立てています。現在でも「天王様のお祭り」が7月に行われており、五地区からそれぞれから華麗な山車が出ます。須賀神社の敷地は狭いので、山車はすぐ近くにある久伊豆神社の境内に集まり囃子を競い合うとのことです。 
 白岡町を代表する神社は白岡八幡宮です。大きな敷地に立派な神楽殿も建ち、猿田彦社・天満宮・神馬神社などいくつもの境内社があります。しかし、土地の人たちの「無病息災」「五穀豊穣」への思いは強く、神社は小さくとも牛頭天王への信仰心は相当大きいと思われます。それがお祭りに現れていると言っていいでしょう。
 新田の天王様、篠津の天王様の他、岡泉の天王様(鷲神社境内社八雲神社)、野田の天王様(八坂神社)、柴山の天王様(諏訪八幡神社境内社八坂神社)があり、それぞれお祭りを行っています。白岡町は牛頭天王信仰が今でも活きている地域と言えるでしょう。
 白岡町観光協会の発行しているパンフレットには、5地区の「天王様のお祭り」について、写真を入れてていねいに記してあります。

埼玉県白岡町新田の牛頭天王社

2011-01-13 06:06:29 | 日記
日本にはものすごく神社があります。その中でも、境内社や道路に沿った小さなお社ではなく、敷地をもって独立して存在している神社でもっとも小さい神社は、埼玉県白岡町新田にある牛頭天王社ではないでしょうか。昔の人々の思いを残すべく白岡町の教育委員会が敷地内に説明札を立てています。「牛頭天王」と書かれた額がお宮の中に置かれてあります。この神社は小さくとも堂々と「牛頭天王」と名乗っているのです。お祭りの時は獅子が新田地区などを厄払いに回るとのことです。

牛頭天王信仰と成田山祇園祭

2011-01-10 01:38:07 | 日記

 祇園精舎の守護神牛頭天王のお祭りが「祇園祭」であり「天王祭」であると思ったら、そうでもないようで、不動明王を祀っている成田山新勝寺では、その本地仏の大日如来のお祭りとして「祇園祭」を行っているとのことです。成田祇園祭実行委員会の発行している『成田祇園祭』パンフレットにはそのことが書かれております。牛頭天王ともスサノヲノミコトとも関係ないお祭りのようです。ただ気になるのは、パンフレットにも書かれている「当初は、成田山で管理する湯殿山権現社を中心とした祭礼であり、・・・・・時代の変遷とともに、本地仏である成田山奥の院御本尊大日如来の祭礼へと移り、現在に至っております。」という文章です。JR成田駅の交番の隣に、湯殿山権現社があります。山形県の湯殿山は「山岳信仰」「山伏信仰」の地として有名です。
 山伏たちは薬草の研究もしていたと思われます。薬神牛頭天王にも関心を寄せていたとも考えられます。京都祇園社(現在の八坂神社)のお祭り「祇園祭」において、山伏の山鉾(山車=だし)もあったようで、京都祇園祭は地元の山伏修験道の総本山聖護院の支援も受けていたとも思われます。聖護院は湯殿山とも関係をもっていたということで、成田の修験道者が京都の聖護院に行ったり山形の湯殿山に入ったりして、その影響を受け成田において「祇園祭」を始めたと思われます。しかし、明治維新政府の「牛頭天王弾圧」により、「祭り」だけが残ったとわたしは想像しています。
 そもそも成田山新勝寺は、平将門との戦いに勝利するために建てられた寺院で、時の国家権力の手先だったのです。牛頭天王は貧しい者の味方で、農民や下層武士たちを圧迫した時の国家権力の味方ではないのです。新勝寺に祀られては困る存在です。広大な荘園をもちそこから莫大な税を徴収し私腹を肥やしていた朝廷や中央貴族たちの政治に対抗すべく平将門は立ち上がったのです。だからこそ、関東には将門神社があり、人々から神様として尊敬されているのです。
 神田神社(神田明神)では平将門も祀っています。神田神社に参拝に行く人たちの中には「成田山新勝寺には絶対に行かない」という人が今でもいるようです。神田神社の境内社には旧牛頭天王社もあり、牛頭天王はうれしいに違いありません。しかし、新勝寺には祀られたくはないでしょう。



三嶋大社

2011-01-07 05:39:31 | 日記

 賀茂川神社が牛頭天王を祀り、「祇園祭」を行ってきたからでしょう。それを支援するかもように三嶋を代表する三嶋大社でも、賀茂川神社に合わせて「お天王さんのお祭り」を行っているようです。もっとも、三嶋大社としては「お天王さん」とは呼ばず、「八坂大神(やさかおおかみ)」と呼んでいるようです。三嶋大社の主祭神は三嶋大神(みしまのおおかみ)です。三嶋大神とは、元々は伊豆諸島の島々(自然神)をさしていたと思われますが、三嶋大社の発行する本を読むと、オオクニヌシノミコトの子ども事代主神(コトシロヌシノカミ)を恵比須様としておりまして、山の神大山祇命(オオヤマツミノミコト)と恵比須様二神を三嶋大神としていることが分かります。

三島市の賀茂川神社と「お天王さん」

2011-01-06 06:04:55 | 日記

 三島市の賀茂川神社はJR三島駅から15分ほど賀茂川方面に歩いたところにあります。近くに「祇園橋」と称する橋が架かっていたり、「祇園原」というバス停があったりして、この神社が江戸時代「祇園社」であったことが分かります。今でも地元の人の中には「お天王さん」「祇園さん」と言って、天王信仰を守っている人が少なくないと言います。「夏祭り」も「お天王さんの祭り」という人も多いようです。
 驚いたことにこの神社、写真を見ても分かるようにお賽銭箱がありません。行事の時にお賽銭箱を出すようです。


埼玉県の桶川の祇園祭り

2011-01-01 23:44:12 | 日記
 桶川の祇園祭りは、毎年7月中旬「祇園祭祭典委員会」が中心になって、桶川駅付近の中仙道(中山道)沿いで行われるとのことです。
 近くに稲荷神社があり、その境内社に八雲神社があります。以前は八雲神社の祭りだったのかもしれません。しかし、今は稲荷神社・境内社八雲神社は、桶川の祇園祭りには直接関わってはいないようです。桶川の祇園祭りは神社から「独立」した祇園祭と考えられます。
桶川稲荷神社は日本一の力石「大盤石」で有名です。