牛頭天王信仰とその周辺

牛頭天王(ごずてんのう)信仰とそれに関係する信仰や情報を紹介するブログです。

九州山地の祇園信仰(1)五ヶ瀬町鞍岡の祇園神社

2011-06-30 10:14:33 | 日記

 熊本県との県境にある宮崎県五ヶ瀬町。その東は高千穂町。渓流の美しい地域です。五ヶ瀬町鞍岡の祇園山のふもとにある祇園神社。
 祇園山は九州発祥の時に生まれた山で数億年の歴史を持つと言います。湧き水は日本百名泉に撰ばれています。(「妙見神水」と呼ばれています。)


 祇園神社本殿の中には、稲荷大明神や蘇民将来やどん欲なために牛頭天応に八つ裂きにされたと言われる巨旦(巨丹)将来などの神々が祀られています。境内は妙見神社などがあります。


 7月10月に行われる「祇園神楽」で有名。
 由緒書には「牛頭曽男神」という文字があり、「ゴズスサノヲノカミ」と読むのでしょうか。


 それにしても、本殿脇の小さなお宮はめずらしい。

熊本市北岡神社の蘇民将来符

2011-06-28 03:42:31 | 日記

 JR熊本駅より歩いて10分くらいの所にある北岡神社。江戸時代までは「祇園社」と言われていました。今でも近くには「祇園橋」「祇園の水」といった名が残っています。 現在は「祇園祭」「天王祭」という名前ではお祭りはしていません。
 ふたつある社紋のうち「もっこう紋」を尊ぶ気持ちから、お祭り期間はきゅうりを食べないしきたりがまだあるとのこと。「きゅうり天王祭」の伝統が活きていると見ていいでしょう。わたしが訪問した日には賽銭箱の横にキュウリが供えられていました。


 境内には蘇民将来を祀った「疫神社」があり、立派な「蘇民符」も出しています。「疫神社」の他、稲荷神社・菅原神社などがあり地域の中核的存在の神社だったことが分かります。 

久留米市の田主丸駅付近の祇園神社と地域の神々

2011-06-27 09:28:56 | 日記

 小倉の牛頭天王信仰のように、城主に庇護されて発展したのが久留米の牛頭天王信仰であり祇園社。久留米には境内をもつ祇園社が3あります。ひとつは、須佐能袁神社(すさのおじんじゃ)と現在は名前を変え素戔鳴尊(すさのおのみこと)を祀っていますが、地元の人たちが今でも「祇園神社」と言っている久大本線筑後草野駅付近の神社。そして、久大本線田主丸駅から歩いて7,8分。筑後街道をわたって来光寺隣の祇園神社。他に久留米市役所近くの祇園神社。
 田主丸駅付近の祇園神社を訪問。本殿の「天王宮」と大きく描かれた額が印象的でした。境内社として蛭子神社もあり「恵比寿像」が安置されていました。手足のない「蛭のような子」だったためにイザナキノカミ・イザナミノカミに捨てられたひるこは後世の人たちの手によって「恵比寿(蛭子)えびす」様として復活することができました。ここの神社は「ひるこ神社」とは言わず「えびす神社」と言います。ひるこについてのここの由緒書の内容は『古事記』とは大きく異なっていました。(『日本書紀』 の「一書」の説明に基づくため)それはとにかくも、人々は天竺の山の神牛頭天王のお社に日本の恵比寿様を招き、無病息災と山の幸海の幸がもたらされるのを期待したのです。



 
 
 祇園神社のすぐ近くには月読神社があります。全国的にも月読命を祀る神社は少なく、貴重な存在です。大きな灯籠の上にはうさぎ像があります。狛犬の代わりにうさぎが置かれているのです。かわいらしいうさぎ像にだれでも思わずほほえむでしょう。横を流れる川の橋の上にはかわいいカッパ像。この地域の人たちの信仰心の広さと共にユーモアを尊ぶ姿をも見るような気がしました。



福岡県博多の櫛田神社と博多祇園山笠

2011-06-22 00:32:43 | 日記

 博多において、博多どんたく・博多おくんちと並んで有名なのが博多祇園山笠。絢爛豪華な巨大な人形像をかつぐお祭りです。博多総鎮守櫛田神社の内に博多祇園山笠振興会が置かれており、毎年櫛田神社を出発して行われています。
 辺りには「祇園町」「祇園駅」があり祇園信仰をぬきには考えられませんが、櫛田神社のパンフレットには「牛頭天王」の文字は見られませんでした。

 櫛田神社の境内には稲荷神社があり、そこの赤い鳥居の中には「宇賀神社」と書かれた鳥居もあります。「二重構造」になっている鳥居です。白蛇(白龍)を祀った「白龍大権現」や「子安観音」もあり、かっては神仏習合の地だったことが分かります。

 わたしが注目したのは本殿のしめ縄。「出雲式」となっていて、太いしめ縄づくりです。御祭神は中央に大幡主大神(おおはたぬしのおおかみ)がいます。サイドに素盞鳴大神(すさのをのみこと)と天照皇大神(あまてらすおおみかみ)がいます。わたしは以下のことを想像しました。元々は出雲系の神社で、「はた=機織り」の神様を祀った神社ではなかったのかと・・・・。出雲には「宇賀」の地もあります。出雲は「多神教」で縄文時代からの蛇信仰も認められていた地だったと思われます。古代のヤマト政権下において、原始信仰や出雲信仰の祟りを鎮めるために出雲系の神々が祀られまた、さらに神社を強化するために天照大神が祀られたのではないかと・・・・。
 平安時代にはいり、疫病の流行とともに、流行していた「祇園信仰」が「導入」され、武士の台頭と共に、「祇園信仰」が「牛頭天王信仰」へと変化し、明治維新になって、牛頭天王は抹殺されたのではないかと・・・・・。
 それにしても、何故に「櫛田」なのでしょうか。蛇信仰についての著作もある民俗学者吉野裕子という人は「櫛」を蛇と解釈していたと思います。蛇の頭が昔の櫛の形に似ていることから、「櫛」は蛇を暗示する言葉だというのです。
 蛇は以前にも書きましたが「生物界の要」の存在で、蛇が多く生息するということはその地の動植物が豊かと言うことなのです。博多の地はたくさんの蛇のおかげで実りが「博」であり、「多」だったのでしょう。
 こんなことを想像しながら、櫛田神社を訪問しました。



小倉八坂神社と小倉祇園祭

2011-06-21 17:09:48 | 日記


博多祇園山笠と戸畑祇園祭と並んで北九州地域三大祇園祭を形づくっているのが小倉祇園祭です。小倉祇園祭は『無法松の一生』で一躍有名になり「祇園太鼓」のお祭りとして全国に知れ渡っています。

 元々は小倉城主細川氏に庇護されていた牛頭天王信仰の社祇園社のお祭りだったと思われます。明治維新以降、神社は八坂神社と名前が変わり、お祭りは宗教色を失ったようになっていったと思われます。
 小倉八坂神社は今も小倉城内の一角にあり、「祇園精舎」という名を残した会館もあり、貧乏ながら慈悲に満ちた蘇民一族の幸せを牛頭天王が保障した「茅の輪」が用意されていて購入することもできます。「蘇民信仰」を暗示する「蘇民将来」と書かれたお札をもらうこともできます。残念ながら小倉八坂神社のパンフレットの由緒書からは「牛頭天王」の文字を見ることは出来ませんでした。



 小倉城主を先頭に「牛頭天王信仰」が厚く信奉されていたと思われます。パンフレットを見ますと、細川氏の居城となる前から城内に祇園社があったようで、歴代の城主が代々の城主が「祇園信仰」を信奉していたと思われます。
 そもそも、「祇園精舎」は古代インドにおける仏教の研修所であり、古代日本の僧侶たちは「神々や尊い方々が集い語る場所があれば、そこは御利益のある場所に違いない」と思い、その建立を望んでいたと思われます。国家安泰・災害除去・疫病退散などを願い、
そこに鎮座する神々は大きくまとめられて「祇園大明神」と称されたのではないでしょうか。中世鎌倉時代に入ると「祇園大明神」の中でも牛頭天王がトップに躍り出ます。その理由については武士階級の思いやその思いに基づくかのように書かれた天下の偽書『ホキ内伝』の存在があるとわたしは考えています。


山梨県韮崎市藤井町の天王社

2011-06-04 04:28:44 | 日記

 中央本線新府駅を降りて、小淵沢方面行きの改札に出て火の見やぐらを見ながら大きな道路に出て左折。1キロくらい歩くと坂井公民館がありその向かい近くにあるのが天王社。 毎年7月に「天王様のお祭り」をしているとのことです。子ども御輿が出るようで、この神社の境内には遊具広場があり、ふだんから子どもたちにとって楽しい場所でもあるようです。村の人たちの生活に密接につながっている村社は、今でも各地に数多くあり、この天王社もそのひとつと見ることができます。こういう神社を大切にしたいと思ってお賽銭をあげようとしたのですがお賽銭箱はありませんでした。神社らしからぬ建物ですが、子どもたちを大切にするこのお社、牛頭天王は一番お喜びでしょう。

中央線穴山駅近くの天王宮

2011-06-03 05:33:33 | 日記

 JR穴山駅の城跡方面に出て右を行きます。300mくらい歩くと「天王宮」と書かれた鳥居が左手に見えます。その小道を進んだところにあるのが、旧牛頭天王社、津島神社です。牛頭天王信仰の人気が高まった頃に、地元の豪族・殿様が勧請したのでしょう。
 神主を招いてこじんまりとしたお祭りを行っているようですが、江戸時代には結構大きなお祭りが行われていたと思われます。
 付近は畑で高いビルがなく、実にのどかなところです。わたしが行ったのは4月10日、駅近くの公園の桜が大変きれいに咲いていました。

 
道路におかれている標語にも感心しました。


中央線長坂町下新居近くの天王山八雲神社

2011-06-02 21:29:22 | 日記

 車がない場合は、中央線長坂駅からバスで行くか、中央線と小海線の交差する小淵沢駅からタクシーで行くか、どちらかでしょう。バスの本数が少ないので要注意。「ひまわり市場」という大型スパー 近くの信号から見える小高い丘の天王山。その頂にあるのが旧牛頭天王社の八雲神社。山の片側に墓地が並んでいるので分かりやすい。以前は屋台も出て大変なにぎわいを見せたお祭り祇園祭だったようですが、ここ二、三十年は、夏に氏子さんたちが提灯をともして行列をつくりお参りをするこじんまりとしたお祭りになっているようです。村落の中の祭りは、娯楽の多様化・高齢化などが原因をしてどこも難しくなっているようですが、この地域もその例外ではないということが分かります。この神社の近くには泉温泉健康センターがあります。学校もあります。子どもたちや大人たちの演奏・舞踊などを取り入れた祇園祭で地域が活性化することを期待しますが・・・・。



 それにしても、この付近の景色の素晴らしいこと。わたしにとってはパワースポットのひとつです。南に富士山。北に八ヶ岳。西に甲斐駒ヶ岳。東に秩父連山。晴れていれば最高の山景色を見ることができます。「やまと(山門・山徒)民族」の誇りでもある風景と信じます。