博多において、博多どんたく・博多おくんちと並んで有名なのが博多祇園山笠。絢爛豪華な巨大な人形像をかつぐお祭りです。博多総鎮守櫛田神社の内に博多祇園山笠振興会が置かれており、毎年櫛田神社を出発して行われています。
辺りには「祇園町」「祇園駅」があり祇園信仰をぬきには考えられませんが、櫛田神社のパンフレットには「牛頭天王」の文字は見られませんでした。
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櫛田神社の境内には稲荷神社があり、そこの赤い鳥居の中には「宇賀神社」と書かれた鳥居もあります。「二重構造」になっている鳥居です。白蛇(白龍)を祀った「白龍大権現」や「子安観音」もあり、かっては神仏習合の地だったことが分かります。
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わたしが注目したのは本殿のしめ縄。「出雲式」となっていて、太いしめ縄づくりです。御祭神は中央に大幡主大神(おおはたぬしのおおかみ)がいます。サイドに素盞鳴大神(すさのをのみこと)と天照皇大神(あまてらすおおみかみ)がいます。わたしは以下のことを想像しました。元々は出雲系の神社で、「はた=機織り」の神様を祀った神社ではなかったのかと・・・・。出雲には「宇賀」の地もあります。出雲は「多神教」で縄文時代からの蛇信仰も認められていた地だったと思われます。古代のヤマト政権下において、原始信仰や出雲信仰の祟りを鎮めるために出雲系の神々が祀られまた、さらに神社を強化するために天照大神が祀られたのではないかと・・・・。
平安時代にはいり、疫病の流行とともに、流行していた「祇園信仰」が「導入」され、武士の台頭と共に、「祇園信仰」が「牛頭天王信仰」へと変化し、明治維新になって、牛頭天王は抹殺されたのではないかと・・・・・。
それにしても、何故に「櫛田」なのでしょうか。蛇信仰についての著作もある民俗学者吉野裕子という人は「櫛」を蛇と解釈していたと思います。蛇の頭が昔の櫛の形に似ていることから、「櫛」は蛇を暗示する言葉だというのです。
蛇は以前にも書きましたが「生物界の要」の存在で、蛇が多く生息するということはその地の動植物が豊かと言うことなのです。博多の地はたくさんの蛇のおかげで実りが「博」であり、「多」だったのでしょう。
こんなことを想像しながら、櫛田神社を訪問しました。