牛頭天王信仰とその周辺

牛頭天王(ごずてんのう)信仰とそれに関係する信仰や情報を紹介するブログです。

牛頭天王とソシモリ

2010-11-05 06:16:41 | 日記
『古事記』には、悪事をはたらいた須佐之男命(スサノヲノミコト)が、爪をはがされ、たくさんの荷物をしょわされ、高天原を追放されたことが描かれています。
『日本書紀』では一書に曰くと断りながらも、
「素戔嗚尊(スサノヲノミコト)所行無状(しわざあづきな)し。故、諸神、科するに千座置戸(ちくらおきと)を以てし、遂に逐(やら)ふ。其の子、五十猛神(いたけるのかみ)を師(ひき)ゐて、新羅國に下到りまして、曽尸茂梨(そしもり)の処に居(ま)します。」(岩波文庫『日本書紀』より)と述べています。『日本書紀』では、スサノヲノミコトが息子といっしょに高天原を追放されて、すぐに出雲に降りたのではなく、まずは新羅のソシモリに降りたというのです。
 『古事記』と『日本書紀』のふたつの内容を比べて思うのですが、スサノヲノミコトの、「悲劇性」というか「因果応報」というかは、『古事記』の方がはるかにがあります。息子とふたりで新羅に落ちていったというのでは、女房に逃げられた男が息子と旅するアメリカ映画を見ているようです。それに、あとにつづく、クシナダヒメを救おうとヤマタノオロチ退治にも盛り上がりに欠けてしまうと思われます。孤独で、ひとりとぼとぼと歩いている時に、ヤマタノオロチの話を聞いて、「よおし、退治して男をあげたろ!」となるから、ドラマとしてはおもしろくなるわけです。もっとも、ドラマを制作している訳ではないので、『日本書紀』の方がリアリティがあると感じる人もいることでしょう。
 スサノヲノミコトの新羅の曽尸茂梨(そしもり)に降りたこのことが、後の神仏習合において、「牛頭天王=スサノヲノミコト」となる根拠となったと考えられています。朝鮮語の「ソシモリ」は「ソ(牛)」「モリ(頭)」で、「ソシモリ」とは「牛頭」を表すといいます。
 また、日本から見れば新羅は北方に当たり、『備後國風土記逸文』に出てくる武搭神とも習合しやすいわけです。

『古事記』は、奈良時代、発表されてすぐにお蔵入りになり、8年後に『日本書紀』がつくられることになりました。そして、『日本書紀』が「日本の正史」と見なされるようになったのです。8年しかたっていないのに、新たにつくられたこと、『日本書紀』記載内容そのものへの疑問が、現代の研究者ばかりでなく、江戸時代の研究者からもあがっていました。なんといっても、その代表は、伊勢の生んだ天下の国学者本居宣長でしょう。彼は『日本書紀』なんぞ日本人の心を正しく伝えていないと『古事記』を再評価して、『古事記伝』を著しました。
 それはとにかくも、なぜ、『古事記』がお蔵入りとなったのかということです。それはヤマト朝廷の恥部を描きすぎているという思いがあったり、矛盾点が出てきたり、「わいせつ」すぎると思われる内容があったりして、「国史書」とするのははばかれると、権力側が判断したからでしょう。しかし、「歴史的真実」を知ろうとする者にとっては、それだからこそ、『古事記』の方が価値があるのですが・・・・・・。
 わたしは、朝鮮からの帰化人たちが『古事記』を読んで、「なんだ?『スサ之男』『スサ』?これ、我々の言葉じゃないか?それが倭國(日本)の神様だって?おかしいじゃないか?」と言ったのではないかと想像しています。日本の神が朝鮮語を遣っているのはまずいと思った権力側は、スサノヲノミコトは新羅に行ったことにして、だから朝鮮語を含んだ名前になったと、『日本書紀』でつじつま合わせをしたと想像しています。『日本書紀』では漢字も「須佐」という意味不明な文字ではなく、「素敵」「素晴らしい」の「素」の字を持ってきています。古代朝鮮語の「ス」の意味は「1番」「優れた」であったと言われますがそれに近い漢字「素」(もと=原初・素敵の「す」。素晴らしいの「す」)を当てています。
 
 もともと、『出雲國風土記』を見れば分かるように、スサノヲノミコトは農業神です。優れた鉄器でかんがい工事をしたり田畑をたがやしたりして、収穫を上げるのに成功したのでしょう。こういう技術力を身につけていたのは当時は外からやってきた人たちであり、土着民とは考えにくいのです。「スサノヲ」が朝鮮からやってきた帰化人一族であることは間違いないと言っていいのではないでしょうか。
 朝鮮からの帰化人側としては、農業神「スサノヲ」は自分たちの一族であり、自分たちの神様ですから、朝鮮半島のソシモリ(牛頭)の神様や北方の武搭天神と習合した方がありがたいし、「筋」が通っていると考えたと思います。薬神牛頭天王と農業神スサノヲとは関係ないのですが、二神の習合は朝鮮からの帰化人たちによって行われたのかもしれません。

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3 コメント

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倭と日本 (lauramari)
2011-04-10 11:54:30
倭族は、元来より半島と九州・中国地方に跨がって居住していました。

半島では、伽耶とか加羅とか任那とか呼ばれました国々です。

韓国での最大氏族であります金海金氏の本貫の金海もその地であります。

高句麗は、扶余族の国。

新羅は、韓族の国。

百済は、高句麗からの扶余族の国王に統治された韓族の国。

伽耶は、倭族の国。


遥か古代には、朝鮮人とか日本人とかの概念はありません。
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牛頭天王 (淡路島に牛頭天王を祀っている所がありました)
2018-12-15 21:52:40
淡路島の南あわじ市賀集にある 現在の淳仁天皇陵が明治まで牛頭天王を祀っていました 今は淳仁天皇陵となって面影はありません
しかし、陵の池は天王池として今も残っています
又、江戸時代の絵図にははっきりと描かれています
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Unknown (小林一夫)
2024-07-04 22:40:51
尾張の津島神社はスサノオを祀る、全国3000社の牛頭天王社の総本山です。
同じスサノオを祭神とする八坂神社や広峰神社と違って、出雲からの陸路ではなく、【ソシモリ(新羅)➡️対馬から海を渡って来た】と云われます。
 尚、飛鳥から出土の木間に津島の記録があり、古代はヤマトからイセを経て尾張に至るウミツミチの伊勢湾岸に近い渡河地点となっていました。初期の畿内政権との関係を証明するように、近くの奥津社古墳からは三面の三角縁神獣鏡も見つかっております。
 津島神社の宮司さんに伺った所、スサノオの祀り初めは、【津島へ渡来して来た紀氏】だそうです。また室町時代には、摂社として武内宿禰も祀られる。
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