神奈川県秦野市は湧き水が多く、澄んだ水で今でも有名です。古代においてはその水をつかい、帰化人秦(はた)氏が機織りをさかんにしたと考えられています。地名はそこから来たと考えられますが、正しくは「はだの」と言います。
帰化人がもたらしたと思われますが、古代日本においては、牛の乳を醗酵させて「蘇(そ)」「醍醐(だいご)」というチーズに似た食べ物がつくられました。秦野駅北口方面(横浜銀行近く)には、その「蘇」「醍醐」をつくっていた地域があり、そこの道を「乳牛通り」と言ったとのことです。「ちゅうしどおり」と読みます。牛の偉大さ・牛への感謝といった「土着の牛信仰」も下地にあって、牛頭天王信仰と結びつき、秦野駅付近の牛頭天王信仰は広がっていったのではとわたしは想像しております。
また、秦野市の牛頭天王信仰において注目すべきは、「火渡りの神事」で、火への感謝の念も強かったと思われることです。秦野駅北口から15分くらい歩いたところにある元町の八坂神社の例大祭では「火渡り神事」が行われております。恐らく、平地が少なく水田・畑作共に難しかったこの地域では焼き畑農業が行われていたのでしょう。原始の神火の神への感謝の念も強く、牛頭天王信仰と合わさったと思われます。
元町の八坂神社は牛頭天王社でしたが、現在「祇園祭」「天王祭」という名で祭りは行われてはいません。現在、昔の名前・信仰を思い起こすものとして近くの金目川にかかる「天王下橋」があります。