牛頭天王信仰とその周辺

牛頭天王(ごずてんのう)信仰とそれに関係する信仰や情報を紹介するブログです。

八雲神社の成立・管理の多様性

2013-10-30 22:56:46 | 日記
牛頭天王を祀っていた神社を大別すると
①八坂神社
②須賀神社
③八雲神社
④すさのを神社
⑤広峯神社
⑥津島神社
⑦牛頭天王社
⑧祇園神社
⑨氷川神社
⑩地名を名乗る社と
10の名前があがります。
 東京を例にとると⑤⑧を除いて鎮座していると考えられます。
①八坂神社:練馬の八坂神社・東村山の八坂神社など
②須賀神社:新宿区四谷の須賀神社・浅草橋の須賀神社など
③八雲神社:江戸川の八雲神社・赤羽の八雲神社など
④すさのを神社:北千住のすさのを神社など
⑥津島神社:参宮橋の津島神社・稲城市の津島神社など
⑦牛頭天王社:自性院牛頭天王堂など
⑨氷川神社:南沢氷川神社・沼袋氷川神社など
⑩地名:品川神社・荏原神社など

 
 八雲神社や須賀神社の中には「祇園社(現八坂神社)を勧請」した社があります。にも関わらず、名前を、「八雲神社」「須賀神社」にしたということ。「八坂神社」という名前にはしなかったのです。その理由はなんでしょうか。これは想像でしかありませんが、明治期の宮司・氏子たちの「意識」が大きく関係したのではないでしょうか。「仏教の神様のままであっていい」という「保守」の立場、祇園社本社から離れて「自主運営」したいという「革新」の立場が、違う名前をもたらしたと、わたしは考えるのですが・・・・・・・。
 埼玉の久喜の八雲神社のように天王院(曹洞宗寺院)の中にある社や、所沢の八雲神社のように牛頭天王寺院竹寺(天台宗)の牛頭天王を勧請したという神社もあります。八雲神社の場合、仏教色を残している神社や、地域で管理している神社や、個人宅で管理している神社もあり、成立・維持管理形態は多様です。しかし、氏子・地元の人たちは今でも「天王様」と呼んでいる場合が多いのです。天王様への期待・信仰の強さを感じます。

 須賀神社の場合、それなりの境内を持ち,拝殿・本殿をもった「神社建築としての体をなしている神社」であることが多く、「自主運営」という宮司の「意識」が強く働いたのではないかと、想像していますが・・・・・・・・。新宿区四谷の須賀神社も、浅草橋の須賀神社も、杉並区成田東の須賀神社もお祭りは「例大祭」であり、「天王祭」「天王様」という名前では行っていないようです。ただ世田谷区喜多見の須賀神社では「天王様」と称してお祭りを行っているようです。

東京都鶴川街道周辺の牛頭天王信仰④小野路の旧天王社

2013-10-29 07:58:40 | 日記
小野路城址(城山)の八雲神社
   町田市小野路町736



 小田急線唐木田駅から国道158号へ出て、多摩南野信号まで行き、国道156号を小野路(小野神社)の方向に進みます。「地域整備測量設計」の十字路を右に入り、「まちだフットバス・ならばい谷戸」の表示板のあるところまで行きます。そこからは車では無理。「フット」ですから「徒歩」で進んで行くと表示板がありますからそれを頼り行きます。
 
 途中「小町井戸」(小野小町がつかって病を治したという伝説がある)もあります。さらに前に進むと山頂の小野路城址にたどりつきます。

 山頂には小さなお社があり、「鎌倉八雲神社」「御嶽山神社」の木札が入っていました。「鎌倉八雲神社」というのは以前紹介した、鎌倉の古社、大町の八雲神社(旧牛頭天王社で、『佐竹天王』とも言われている神社)と思われます。この地にいつごろだれによって、祇園神・牛頭天王が勧請されたのか分かりません。
 東京の多摩地域には結構小野神社があります。平安初期小野篁(たかむら)の一族が勢力を持っていたことが分かります。平安中期・後期になると、板東平氏の流れをくむ畠山氏の勢力下となりました。分家は町田の小山田の地名をとって小山田氏を名乗り、現在の川崎市多摩区までを勢力下におき荘園をもったようです。鎌倉初期においては源頼朝の有力御家人として活躍。しかし、北条氏の陰謀により、本家畠山氏の滅亡後、小山田氏直系も滅亡しました。その後、鎌倉時代後期を経て、この地は上杉氏(扇谷家上杉)の勢力下になりました。小山田氏によって祇園神・牛頭天王が勧請されたのか、扇谷上杉氏によって勧請されたのか、江戸時代に入って牛頭天王信仰流行と共に勧請されたのか、分かりません。地形的には城にはもってこいの地。栃木県小山の祇園城のように南北朝期の豪族(武士階級)が城の守護神として祀ったとすれば、扇谷上杉氏かもしれません。

東京都鶴川街道周辺の牛頭天王信仰③稲城大橋の旧天王社

2013-10-28 05:39:59 | 日記
稲城市の下新田の津島神社と押立の島守神社
下新田の津島神社
  東京都稲城市東長沼730

 JR南武線の稲城長沼駅下車。稲城大橋方向に進みます。「ニチイホーム稲城」と「松本病院」のある十字路を右に曲がり「松本病院」を右に見ながら行き、最初の路地を左に入ります。小川を渡ってすぐ左側に鎮座。川沿いです。
小川の流れと周囲の梨畑を見ながらの参拝。のどかです。小さいながらも、氏子は多く、毎年7月中旬「天王さま」のお祭りをしているとのことです。




押立の島守神社
 東京都稲城市押立678
 稲城大橋を多摩川を渡る手前まで行きます。「飯山燃料住宅整備」のある十字路を右に入ると見えてきます。「旧天王社」ということですが「天王祭」「天王さま」としてのお祭りはしていないようです。
 主祭神は天照皇大神・秋葉大神・素盞鳴尊の三神。
 江戸時代までは多摩川は大変よく氾濫していたようで、その氾濫を鎮めるためにスサノヲノミコト(牛頭天王)が勧請されたと思われます。


東京都鶴川街道周辺の牛頭天王信仰②東長沼の八坂神社

2013-10-28 05:29:14 | 日記
稲城市東長沼の八坂神社
 稲城市東長沼1989

  JR南武線の稲城長沼駅か京王線稲城駅か、どちらか下車。稲城市役所を目指します。鶴川街道沿いの稲城市役所西信号と稲城市役所入口信号の間に鎮座。
 拝殿の中に、さらに秋葉社・八坂神社・牛頭天王社の三社がありました。こじんまりとした神社ですが、今もなお牛頭天王を守ってるのでうれしく思いました。お祭りは「例大祭」と称して7月中旬に行っているとのことです。



東京都鶴川街道周辺の牛頭天王信仰①広袴町の神明社

2013-10-27 22:49:33 | 日記
町田市広袴町の神明神社
     町田市広袴町444


 小田急線鶴川駅を降りて鶴川東口信号方向に出て、国道139号線(鶴川街道)を広袴中央信号まで行き右折。広袴会館を過ぎて、行き止まりの手前の十字路を右折すると、「神明社」表示の石塔が見えてきます。そこを上って100mくらい行くと鎮座しています。徒歩ですと駅から40分から50分かかると思われます。
 神明神社ですから天照大神を祀っている神社ですが、他に、牛頭天王社・山王社・第六天社・金山社・観音菩薩などを合祀。おそらく、付近の村々にあった神社・菩薩をこの地に合祀したと思われます。神社の奥の祠群の文字は「天王社」のみ判別できました。
 多くの木々に囲まれ昔ながらの神社の雰囲気を出しています。由緒書もあり、牛頭天王についても説明してあります。境内はきれいで好感のもてる神社です。






由緒書の一部。