今年も日本海方面の牛頭天王社巡りをと考えていましたが、都合により、7月は名古屋方面の牛頭天王信仰を調べに行きました。
初日は、全国の津島神社(旧津島牛頭天王社)の総社(名鉄津島駅下車徒歩15分・津島市神明町1)に行きました。私は今回二度目の訪問。今回は地元の人たちと会い、津島神社と地元との関係を聞くことができました。
7月下旬には天王祭を行うというのに、津島駅から津島神社へと続く道の商店・民家にはほとんど天王祭のポスターが貼られていませんし、蘇民将来府も見ることができませんでした。天王祭を迎えるというのに祭りの雰囲気がないのです。「なぜですか?」と率直に聞いてみま した。
そして、分かったことは、津島牛頭天王社は時の権力者たちから長く庇護を受けてきており、津島の農民・商人といった一般の人々の暮らしから遊離していたということ。そういう過去があるため、ユネスコ無形文化遺産になろうと、一般の人々は今でも津島神社の行事には積極的には動こうとはしないようです。昔から一般の人々にとって心のよりどころは、
白山社(津島市天王通り5-31)・白山神社(津島市舟戸町2)・堤下神社(とうげじんじゃ・本町2-17)などの地元の小さな神社だったと思われます。
牛頭天王は貧しい蘇民将来を救ったのです。時の権力に迎合し、一般の人々の暮らしに思いを向けなければ牛頭天王信仰は真の牛頭天王信仰とは言えないでしょう。・ ・・・・・
二日目は、豊橋祇園祭の祭神を祀る吉田神社訪問。豊橋祇園祭は「手筒花火」で有名。豊橋の店店には「豊橋祇園祭」ポスターが張られ、この祭りが市民に根付いていることが分かります。
吉田神社の、きれいな境内には祭りの江戸時代の様子についても大きく紹介されていました。
この神社の近くに神明社があり寄ってみましたら「茅の輪」が設置されており、説明板には蘇民将来についても触れていました。吉田神社には残念ながら「茅の輪」は設置されていませんでした。
三日目は掛川へ。掛川城に行き、天守閣から、戦国時代に牛頭天王社があった森、山内氏の代になって移転した森(今の天王町に鎮座している龍尾神社=旧掛川天王社 の森)を見ました。
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