牛頭天王信仰とその周辺

牛頭天王(ごずてんのう)信仰とそれに関係する信仰や情報を紹介するブログです。

「崇り封じ」と「天王信仰」

2012-09-12 08:28:51 | 日記
 前回紹介した『鎌倉大雙紙』では「崇り」とその「対策」についても述べています。前回同様「秋庭蔵書」の印のある神奈川公文書館所蔵本をテキストにします。
 先ず、佐竹入道の崇りについて(DSC00992)、
「応永廿九年十月三日佐竹上総入道家督の事に付て御不審を蒙り比企谷有りけるを上杉淡路守憲直に被仰付(仰せつけられ)発向しけれハ佐竹も打て出防戦候へける終に(ついに)不叶(かなわず)法花堂(法華堂)にて自害して失ぬその霊魂崇をなしける間一社の神に祭りける」
 鎌倉公方足利持氏は「独裁体制」を敷かんがため、京都の足利将軍の許可なく、独断で隣国豪族を滅ぼしていきました。そのひとつに佐竹一族への攻撃があります。配下の上杉憲直に命じて佐竹を滅ぼしました。佐竹はその恨みを「崇り」をもってしたというわけです。そこで、佐竹入道をはじめ佐竹一族を「神として祀って」神社を建てることにしたというのです。(後に持氏は関東管領や京都方の反感を買い自害することになります。)
 『鎌倉大雙紙』には書かれていませんが、この神社は後々村内の天王社に合祀されることになったようです。それが以前このブログで紹介した鎌倉市大町八雲神社で、江戸時代には「佐竹天王」と呼ばれていたようです。
 もうひとつの「崇り」への「対策」についてですが、『鎌倉大雙紙』では次のように描かれています。(DSC00996)
「梶原が譫言?(=せんげん、たわごと)して安田謀反の由頼朝へ申上ける間頼朝大に感 則(すなわち)梶原と加藤の先祖加藤景廉と二人に打手を被下(くだされ)義定(安田義定)は法光寺にて自害被成(なさる)・・・・・・・義定の亡魂有りけれハ恐れをなし法光寺に多門天皇に(助詞は「に」でなく「を」の間違えと思われる)作り其亡骨を中に治て法光禅定とて今も有・・・・・・・・」
 梶原景時と思われますが、彼の「虚言」を源頼朝は信じて安田義定を滅ぼしました。しかし、その「亡魂」は祟りをなすかもしれないと恐れられたので、その封じ込めに多門天皇(多聞天王=毘沙門天)を造ったという訳です。
 要するに、『鎌倉大雙紙』では、「祟り対策」としてふたつの方法があったことを述べています。ひとつは滅ぼされた側の本人を祀る場合と、もうひとつは力強い神様の像を造って「崇り」を封じ込める場合とです。
 鎌倉時代に多聞天(毘沙門天)が実際に「崇り封じ」に使われたかどうかは分りません。『鎌倉大雙紙』が歴史的事実を伝えているとは限らないからです。しかし、早ければ戦国時代に『鎌倉大雙紙』は書かれました。戦国時代には「崇り封じ」のために「天王信仰」が利用されることがあったということは考えられます。しかし、『鎌倉大雙紙』に登場するのは牛頭天王ではありません。多聞天王です。牛頭天王が「崇り封じ」に使われた事例あるのか、古文書からさがしてみたい気持ちでいます。


『鎌倉大雙紙』に見る「祇園天王」

2012-09-09 10:15:55 | 日記
『鎌倉大雙紙』に見る「祇園天王」
 室町時代前期の関東の武士たちの戦いを描いた古文書に『鎌倉大雙紙』があります。(『鎌倉大草紙』とも書かれます)國學院大學所蔵本(インターネットで見られます。)、神奈川県立公文書館所蔵本などがありますが、大きな所では変わりありません。わたしは「秋庭蔵書」の印のある神奈川公文書館所蔵本に沿って述べます。
 伊豆の国清寺のいわれを書いた部分に「祇園天王」が登場します。(神奈川公文書館所蔵本DSC01014)
「鎮守の社ハ清瀧権現文殊明神来宮明神祇園天王蔵王権現鷲頭明神四阿山権現等崇め・・・・・・武蔵府中六所の大明神をも此寺の内に勧請して社檀有」
 初代関東管領上杉憲顕(のりあき)は国清寺の発展につくしました。そして「祇園天王」をも国清寺の守護神として勧請したというのです。「祇園神」でも「祇園大明神」でも「牛頭天王」でもなく「祇園天王」となっている言い方に注目したいところです。
『鎌倉大雙紙』は早ければ室町時代後期(戦国時代)に書かれたと思われます。戦国時代には、牛頭天王を主祭神とする津島天王社が歴史の表舞台に登場し、北条早雲を祖とする後北条氏が牛頭天王信仰をとりいれ、武士階級に牛頭天王信仰が広まりだします。
 しかし、この筆者は牛頭天王という言葉は遣っていません。「祇園社の神」としての「祇園」を「維持」しているのです。祇園神と、『ほき内伝』によって表舞台に登場した牛頭天王を結びつける「中間的言い方」と考えることもできましょう。


あきる野市周辺の牛頭天王信仰⑥西戸倉八雲神社

2012-09-04 05:23:07 | 日記
西戸倉八雲神社
あきる野市戸倉464



 JR五日市線武蔵五日市駅から檜原街道(国道33号線)に入って山間部の方に進みます。「山渓」を過ぎ、駐在所の横に道を入っていくと神明社が見えてきます。その上にあるのが八雲神社です。神明社の隣に西戸倉地区会館があり、境内は地域の人たちに活用されています。毎年9月上旬に神明社と八雲神社とが合同で「祇園囃子」を披露するとのことです。


飯能市湯ノ沢八坂神社

2012-09-04 05:14:46 | 日記
湯ノ沢八坂神社 

 JR青梅線の東青梅駅の成木街道入口より成木街道(国道53号線)を秩父方面に向かいます。下名栗・上名栗をすぎて、飯能駅からの国際興業バス「湯の沢バス停」付近の山の頂に鎮座しています。

 山道は細く急ですので、参拝は老人子どもにはむきません。また、雨後は滑りやすく、危険と思われます。晴れの日でも、下は急斜面ですので、相当注意して上っていかねばなりません。小さい社ですが、「天王様のブナの大木」で有名です。社の中には「牛頭天王」と書かれた札がありました。