牛頭天王信仰とその周辺

牛頭天王(ごずてんのう)信仰とそれに関係する信仰や情報を紹介するブログです。

牛頭天王と金神と神々の両面性

2017-01-04 07:52:00 | 日記
新年明けましておめでとうございます。

 多忙な日々が続いているため、なかなか神社巡りができず、本ブログの更新もできない状態です。
 昨年は日本海岸の「牛頭天王信仰」について調べようと思いましたがかなわず、今年こそは実行しようと思っています。

 さて、年末、カレンダーをもらいましたら、「金神(こんじん)」や「歳徳神」の方位神の絵があり、方位の吉凶について書かれてありました。
 広峯神社の解説では、仏教で牛頭天王といい、神道ではスサノヲノミコトといい。陰陽道では武答神(武答天神)というとのこと。同様に、牛頭天王の奥様は仏教ではハリサイメ(ハリサイジョ)。神道ではクシナダヒメ。陰陽 道では歳徳神とのこと。
「金神」は?




 そもそも、縄文時代から、日本においては神様には「善」(幸い)と「悪」(災い)の両方があることになっていたのですが、時代を経るに従って「分業」されていきました。それは「荒魂」の登場によっても知ることができます。

 しかしながら、民間においては根強く両面性は生き続けていたと思われます。その代表格が「金神」でしょう。

 もっとも、牛頭天王の原点である武答神(武答天神)も両面性をもっていましたが、「御霊会」でもわかるように「悪神(疫病神)」の面が強調されていきました。それをひっくり返し原点に戻したのが『ほき内伝』の牛頭天王像と言えるかもしれません。ところが、それによ って、今度は、巨旦(こたん)が「金神」と同一視され、「悪神」になってしましました。『ほき内伝』には「金神は巨旦大王の精魂なり」と書かれました。「金神」が両面性を取り戻すのは幕末になってからです。しかしながら、「金神」には、牛頭天王にあるようなドラマチックな物語は存在しません。
 また、平安時代より、『百錬抄』(ひゃくれんしょう:平安後期から鎌倉前期にかけての公家の日記)などからもわかるように、権力側はアカデミックな方法で「金神」を調べ,その神性を否定してきました。
「為避金神方云々  二十二日自今以後 不可忌避之由 宣下」(国立国会図書館蔵国史大系第14巻の一部。保元二年十二月の記事より)
「金神方避ける云々 二 十二日今より以後 これを忌避するべからず 宣下す」

 両面性をもった神様として「金神」は民衆の中に生き続けています。神様から両面性の魅力を取り除かない方がいいようにも思えます。「人間に近い存在」となるからかもしれません。