牛頭天王信仰とその周辺

牛頭天王(ごずてんのう)信仰とそれに関係する信仰や情報を紹介するブログです。

京都大学付属図書館蔵『祇園牛頭天王御縁起』より

2010-09-08 10:40:33 | 日記
 以下の原典は、京都大学付属図書館蔵の『祇園牛頭天王御縁起』です。変体仮名の多い縦書きの草書体ですが、個人の課題として分かりやすい「古文体」にしたものを紹介いたします。もちろん間違っている箇所も多いと思われます。その都度訂正する必要があります。不明なところもあります。今後の課題です。



祇園牛頭天王御縁起       朝場所持

夫大小のものをすくふ事 月の水にうかめるがごとし。神明の感におもむく事 雲の大居(「大居」と読まないかもしれない)におほふ(覆う)がごとし。ここに本誓す。浄瑠璃の教主十二の大願ををこし 牛頭天皇とあとをたれ給ふ その濫觴(らんしょう=根本・起源)を尋に(尋ねるに) 須弥山(しゅみせん)の半腹に国あり。豊饒国とゆう(言う)。其の国の王を名づけ武答天皇と申す。一人太子御座(おわす)。七歳にしてそのたけ七尺五寸あり。頂に三尺の牛頭あり。又三尺のあかき角あり。父天皇奇代(希代)の太子を御物(「御」と読んだが、違うかも・・・。紙の破損でよくわからない)かなと思い給ふて、大王の位をさりて、太子にゆつり給(譲り給う)。其御名を牛頭天皇と号し奉る。時に関白殿下さびしうせん気して(寂しい気)して此天皇をいて后の宮をむかへ奉らんとほつす(欲す)といへども 御姿に驚おそれて ちかつき奉る女人是なく 是によりて大王心をなくさめ(なぐさめ)給ふ。たよりなし。この故に常にしゆゑん(「酒宴」であろう)をもよおして 遊論んじ給ふ。時に人まうさく(「申さく」であろう)。山野海辺に御出でなつてひづめ(みずくさのこと)・も草・うろくす(魚のうろこのことか?)をすなとり(砂 取り)て え(得)らんあらば 其の真尤なるべきや。則(すなわち)かしこにをひて御出(御出でに)なり。先(先ず)酒をすすめ奉る時に山はと(山鳩)飛来て おさかづきの上にありしかも よく物言うこと鸚鵡のごとし。則給て曰 君に后をむかへ奉んが為に来ると云々。則大臣といて(問いて)曰 其の人行方にましますうや。 鳩答て云 大海中しやかつ龍王のむすめその数あまたあり。第一は八歳成仏女 第二はちんりんき女 第三は婆利采女也。第三の女 天皇の后と成給ふべし。大臣又とつて曰 いかなる方便をもってかこれをむかへ奉んといふ。鳩こたへて曰 われ ほくしやうし(祝くしょうし)たてまつり 此所よりすぐに君を龍宮へ入たてまつるべし。その為に今日来るなり。則数千万人の御眷属(けんぞく=家来)有 悉(ことごとく)龍宮に具足し奉るべし。其の教えにしたがつて則出給ふ。然に(しかるに)その日まさに暮なんとする間 宿所をもとむるにいとなむへき屋なし。時に里人かたつて(語って)曰 この所に古単といふ長者あり。彼(かの)屋御宿所にしかるべし。 則(すなわち)しせつをつかはし 屋ど(宿)を可申(もうすべき)に あへて放間さず。た而(たって?)大臣いかるに 更に請乞(うけごい)す。其の時にみずから往(ゆき)て 宿をかり給ふに かの長者けんどん 世に越て(おって)邪見也。心を恐にするがゆへに かえて(かえって) 天皇を怒りのって 終に(ついに)御宿を放間したてまつらざりけり。其時に天皇大にいかつて(怒って)の給はく。如比(かくのごとき)邪見のやからをば世にをく(置く)べからずとてけころさむ(蹴殺さん)とし給ふ。大臣申してまうさく 御祝の時節□□□□□□□□□(不明)罰あるべしと云々。よって 余(他)の家に向(き)て宿をもとむる。家主の曰御宿はのぞみたりといへども 宇羅む(うらむ)らくは貧乏のらう(のろう)為(なり)。御宿にたらず。天皇曰旅宅□・・・・・・□(不明)貧富をえらまずと家に入り給ふ。彼家(かの家)の躰(てい)の為 うへ(上)は□(不明)もつき 垣□(不明)こもはり 敷物はちかや莚(ちかやむしろ=茅・萱でできた敷物)なり。則亭主ちかやむしろ一枚取出し云ふ。これはあたらしき茅萱莚なり。天皇にしかせ奉るべし。諸大臣三公等はふるき地か屋(ちかや)むしろにざす(座す)。然に(しかるに)供御(きょうぎょ)には粟の飯をそなへ奉る。夜明たれば既に出給ふ。天皇あるじに給て よろしく人は慈悲を以って本とす。今夜の旅宿のかんたん(感嘆)極(きわまり)なし。己が名はいかに。 あるじ 蘇民将来と答奉る。 天皇□□(2文字、破れていて不明)宜(のたまう)己心さし(志し)儀にふし 貧家なるによつて 玉をあたふ(与ふ)べし。此の玉をば牛玉(ごおう)と名づく。是を持する物は諸願悉成就(諸願悉く成就)して 満足せずといふことなからんと給(給う)。玉をあたへおはつて(玉を与へ終わって) 則(すなわち)龍宮に御幸(行幸)なり。 婆利采女の宮に入て ハチ年(八年)送給ふ間に八人の王子を誕生す。七男一女也。第一の皇子をば相光天皇名づけ 第二をば満王(後のページには魔王天王とある)と名づけ 第三をばく□ら(一文字不明だが後のページには、倶摩羅天王とある)と名づけ 第四をばとくたつ神(後のページには徳達神天王とある)と名づけ 第五をば羅じ天王(後のページには羅持天王とある)と名づけ 第六をばたつにかん天王(後のページには達尼漢天王とある)と名づけ 第七をばぢ志さう天皇(後のページには侍神相天王とある)と名付 第八をば宅相神せう天王(後のページには宅相神勝天王とある)と名づけ奉る。如比(かくのごとく)八人の皇子を誕生し給ふ。志かふして(而して)後 天皇 子と后宮を相具して 婦にらふ国(「ふにらう」と書かれているが、ぶねう国=豊饒国の意味だろう)へ還御なる。其の時に蘇民が家をして御宿所に定(定め)被申候(申されそうろう)。彼(かの)折にあたつて 蘇民が心中に念願して曰 仰願ば(仰せ願はくば)富貴の人となつて 今一度天皇の恩宿にめされば 生前の大慶たるべしと 彼(かの)牛玉にむかつて常の人にむかふがごとくに 諸願の次第をかたる時に則屋宅に七珍万寶如意(意ごとく)涌出すふしぎの思(思い)をなす所に 其の期に当而(あたって) 天皇御幸あり。そミん(蘇民)大に喜悦の眉をひらき かふへ(頭)を地になげて 天皇を恭敬し奉る。御眷属の中に 見るめかぐはな(見る目かぐ鼻 )と云人あり。か連(彼)に勅しての給はく 己等古単の家に往て 何事かある是を見べしと宣下あり。武人承て 則かしこに行(行く)。 しかるに かれらが神変は人に見えずしてしも行。ここに古単 相師をめしていはく(曰く)此間以外に怪異多し。是を占相師が云。三日の中大凶は天王の御はつ(罰)なりと云々。古単大に驚ていはく(曰く) いかなる祈祷を以て かの災難をのが連んや(逃れんや)。さうし(相師)が曰 縦(たとえ)さんふくの(読み方が違っているのか?意味不明?)祭をなすといふとも 天皇の御罰は遁れる(のがれる)は難し。身体あやうきにあり。古単 さうし(相師)が袂をひきとめて曰 祢がはくば(願はくば)祈祷のつとめを志めせ(示せ)。相師答て云々 千人者大法の法師を具しうして大般若の講読を吟ずること七日七夜をば 若や(もしや)此難を可遁(のがるるべき)や。古単大に悦て則千人の法師を請して大般若のかうとく(講読)を始(はじめる)。 見るめかくはな(見る目かぐ鼻)はしり帰てこのよしを奉言す。天皇 八万四千眷属に勅して宜(のたまう)。古単が家にゆひて(ゆきて)のろいばつすべし(呪い罰すべし)。従類眷属まで邪見の輩は未代のなやみ也。皆悉(ことごとく)けころす(け殺す)べしと云々。則ばつかうせん(罰行せん?)とて古単が家を見る。千人の法師ならび為(い)て大般若を読誦す。彼六百巻の経は くろがね四十丈六重の辻となり経の箱は天蓋となる。更以(さらにもって)入べき様もなし。ここを以はしり帰て(走り帰りて)此の旨を奉言す。天皇勅して宜(のたまう) 急還(いそぎかえり)て彼所を順見(巡見)すべし。 千人の法師の中に片目にきす(傷)ある法師 飯酒に化満(この2文字は違う読み方かも?)して祢ふり(眠り)て経をよまず。時に驚くといへども文字にあたらずいわれなき字をよむ法師あるべし。(「酒に酔っているため、経文の文字でない関係ない文字を読む」という意味) 彼所より乱だれ入て古単がけんぞく(眷属=家来)ばけころすべし。時に 蘇民将来申さく 彼古単将来がおとひめ一人の之 是をゆるしめぐみ給へや。彼姫 正心かう志セん(行使せん)なりと云々。天皇然者(のたまう しかれば)ちかや(茅萱)の輪をつくり赤絹の糸につたうて(伝えて)そミん将来の孫なりと云札を付けよ。彼災難まぬがるべし。勅言のごとくかの姫一人のこし其外は皆けころし候。今も未代なりといへども古単にをいて皆ばつし(罰し)給ふや。誠にけんどん放逸のものは諸天宝の罰と可蒙(こうむるべき)や。然にそミんは貧賤第一の者なりといふ共慈悲守るるによりてそミん(4文字不明「そ」を長く書いたため4文字に見えるが「そミん」(「蘇民」と書いたのかも?)擁護の徳をかふむる(こうむる)。然間古単を志ゆそ(呪詛?)する者は天皇の御けんぞくとおほし召て(思し召して)おふこ(御封戸=特別の臣民)あるべき御誓約これあり。然(しかるに)此の世上の祝儀かれを呪詛するを表す也。十二月末の此人々□(1文字不明)酒を作事 古単の血を表す。餅をつきあたらけと名づくるや 古単が肉にかたどる。餅を輪にいるるは 古単が骨なり。赤餅は 古単が身の血なり。ぎつちやうと云て玉をうつ事は 古単が眼なり。十五日に注連(しめ=しめなわ)を焼事は 古単が志かい(死骸)なり。あく魔を罰し凶邪を排すつる心なり。然間そミん(蘇民)は子孫に及まで擁護あり。八皇子皆年中の守護の屋く(役)をさだめ給ふ。第一の皇子は大歳神 春三月(三か月)を行(行う)役神也。 第二の皇子をば大将軍と変化して四方をつかさどる。あひめつること三年づつ也。 第三の皇子としとくの神と変化して秋三月(三か月)行なふ。 第四の皇子をば 冬三月(三か月)を行給ふ。 第五の皇子をば 黄幡(おうばん=神の名)を変して満平成収等 十二し(十二支)をつかさ取る(司る)役神 也。 第六皇子をば ふくりう神と変して 八専をおこなう。第七皇子をば へうび(ひょうび=豹尾)とへんし(変し) 四季の土用を各々十八日を行(行う)役神也。第八の皇子をば 大壱神と変化して夏三月(三か月)を行(行う)役神也。此の八皇子のけんぞく八万四千六百五十四神也。その外十二鬼神 七鬼神等を具足して彼蘇民を守護し給ふ也。正月に堂社において牛玉寶印つくことは此の謂(いわれ)なり。またおこなひと云て堂社をたたくは八万四千六百五十全神眷属 古単が家に乱入て垣壁を打 表相なり。又五月五日に粽ハ(ちまき)は古単がもとどり(髻)也。早蒲はかしら(頭)の髪なり。又六月一日に天段神下行時 正月餅を取出 古単が死骨と号す連(れ)ば 天皇おおきに歓喜し給也。然間未代の人々ふかく古単を降伏してふかく天皇の御ふこ(封戸)にあづかるべき者也。私謹而曰

於当社御祷秘伝曰号寶曰陀羅尼或一遍十篇百遍千遍万遍唱之祈之
南無大悲牛頭天王 武答天神 婆利采女 八大王子 相光天王
 魔王天王 倶摩羅天王 徳達神天王 羅持天王 達尼漢天王
 侍神相天王 宅相神勝天王 蛇毒気神王 興官受福神 摩訶
羅大黒天神 各々 八万四千六百五十余神等眷属

誠(まことに)今役病(厄病)の難のが蓮んとほつセん(逃れんと欲せん)者は六月朔日より十五日いたるまで毎日七度南無天役神南無牛頭天皇屋く病(厄病)消除災難擁護ととなへたてまつるは 息災安穏寿命長遠ならん。若(もし)不信の屋から(輩)あらば たちまちに天皇の御罰をかうむつて(こうむって) 疫病現来セん事うたがいなし。ふかくこの旨をまぼる(守る)べき者也。
右以往昔草創之古本令書写者也
□(「時」の異体字)寛永第拾壱年歳舎甲戌戊辰月中澣二戊戌日


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4 コメント

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補足 (gozu)
2010-09-08 11:24:32
 それにしても、読みにくい文章ですね。
「茅萱むしろ」を「地か屋むしろ」と書いたり、「示す」が「志めす」になったり、「司る」が「つかさ取る」になったり、蘇民が「そミん」となったり、「厄病」が「役病」となったりしています。昔はおおらかだったからこれで通用したわけでしょう。今の時代に読む身にとってはいい迷惑です。読み「安く」書いてもらいたかったものです。


さて、本題。
(1)他書に見られるような「蘇民将来之子孫也」と書いた「蘇民札」「蘇民符」については、本書には書かれてはいません。

(2)こたんの「おとひめ」ひとりを助けることを蘇民は牛頭天王にたのみます。他書では、蘇民将来の娘がこたんのところに嫁にいっているので、その娘のみ助けるように頼むようですが、本書ではこたんの「おとひめ」(姫)となっています。そこで、牛頭天王は「そミん将来の孫」ということにしてそれを札に書いて茅萱の輪につけて、赤い糸につるして送り届けるようにと述べます。受け取った姫は助かることとなります。こたんの「おとひめ」(姫)ひとりは「正しい心の持ち主」と書かれていますが、具体的にはどう「正しい」のかは分かりません。

(3)一般の人々は、どうすれば、牛頭天王の御利益にあずかるかというと、本書にそって言うと「毎日七度南無天役神南無牛頭天皇屋く病(厄病)消除災難擁護ととなへたてまつるは 息災安穏寿命長遠ならん。」とのことです。札(符)でなく「言語」による唱えが大切とういうわけです。

(4)他書では五節句(1月1日・3月3日・5月5日など)の起源がこたんの肉体の部位から生じていることが書かれているようですが、ここでは明確には月日にそっては書かれてはいません。

(5)江戸時代、「見る目かぐ鼻」は閻魔大王の部下で地獄に堕ちた亡者の罪を調べる役目の者と考えられていたとも思われます。本書では牛頭天王の部下になっています。
摩訶羅大黒天神・蛇毒気神王とはどういう存在なのか、龍王の次女「ちんりんき」とともに調べてみるとおもしろいかもしれません。

(6)本書では「八王子」は七男一女となっています。「七王子一王女」というわけですが、誰が王女なのか。「達尼漢天王」なのかもしれません。「尼」という文字が遣われているから・・・・。

(7)それにしても、牛頭天王は龍王の娘さんと結婚したというのですから「獣婚」の可能性もあるわけです。現代人の感覚では考えられません。

(8)本書では「牛玉」と「牛玉寶印」が登場します。「牛王寶印」(ごおうほういん)と書かれた紙を重視する地域もあるようです。
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武塔神と牛頭天王 (gozu)
2010-09-08 23:39:32
(9)他書の中には、武塔神と牛頭天王は同じ人物になっているものもありますが、この書物では、武塔神は、牛頭天王の父親として描かれています。
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補足 (gozu)
2010-10-30 15:56:20
『神道集』の「祇園大明神事」においては,八王子の本地などを記しているようです。
 
第一王子  太歳神 相光天王  本地普賢菩薩
第二王子  大将軍 魔王天王  本地文殊師利菩薩
第三王子 歳刑神 徳達神天王  本地観世音菩薩
第四王子 歳破神 達尼漢天王  本地勢至菩薩
第五王子 歳殺神 良侍天王   本地日光菩薩
第六王子 黄幡神 侍神相天王  本地月光菩薩
第七王子 豹尾神 宅相神天王  本地地持菩薩
第八王子 太陰神 倶摩良天王  本地竜樹菩薩
 
第八王子が女性のようです。
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Unknown (青面金剛)
2023-03-03 22:12:20
素晴らしい訳と解釈でした。
感嘆しております。
読みながら 系図凄い!!!!と思いました。
とてもとても面白かったです!
ありがとうございました、参考にさせていただきます。
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