牛頭天王信仰とその周辺

牛頭天王(ごずてんのう)信仰とそれに関係する信仰や情報を紹介するブログです。

小海線の小海祇園祭

2011-05-30 05:41:53 | 日記

 小海線から見える風景への人気は今もって衰えてはいません。清里と並んで小海線を代表する駅である小海駅は高いビルはなく、昔ながらの名前を持った商店の並ぶ落ち着いた雰囲気の町。駅前商店街が中心となって、毎年「祇園祭」を行っているとのことです。 昨年は諏訪大社で「御柱祭」があり、この小海でも御柱祭を行いました。「祇園祭」「御柱祭」が長くこの地域に根づいていることが分かります。

小諸祇園祭

2011-05-29 07:31:06 | 日記

 小諸駅を降りて歩いて12,3分のところにある建速(たけはや)神社のお祭り。この建速神社の社紋が印象的。

また、入り口付近の道の脇の道祖神も印象的。それほど大きくない神社なので、お祭りの実際は、ほんまち町屋館の向かいに仮宮を置いて盛大に行われるようです。町屋館付近は昔ながらの風情を感じさせる建物が多く、「歴史遺産」を残そうとする行政や市民の意気込みが感じられます。



小海線の岩村田祇園祭

2011-05-28 07:09:00 | 日記

 小海線の岩村田駅を降りて、佐久警察署の方へ向かいます。駅から二つめの信号の商店街が中心になって行っているのが、岩村田祇園祭。線路を渡って少し行ったところにある若宮神社の境内社「祇園天王」のお祭りですが商店街が中心になって毎年の7月に二日間に渡り行っているようです。無病息災を願って行われる「水渡し」は見応えがあるとのこと。ふだんから商店街にはたくさんの提灯が飾られていて、町おこしの気迫が伺えます。




長野県の諏訪大社近くの牛頭天王信仰(その3)

2011-05-27 06:25:40 | 日記
下諏訪駅から上諏訪駅の方に向かって徒歩30分位の所、(歌人島木赤彦宅近く)にある高木津島神社。今でも毎夏盛大に「高木祇園祭」と称してお祭りをしています。由緒書にも牛頭天王社であったことを記しています。


 小高い丘の上にあり、その途中の道には、民間企業のつくった「高木祇園祭」の様子を大きく引きのばした写真ポスターが飾られています。
 広い境内に高く伸びる木々が印象的でした。山の神牛頭天王が水の神諏訪大明神と共に諏訪湖およびその周辺の恵みを守ってきたとしたら、最高の地となると思いましたし、パワースポットでもあるとも思いましたが・・・・。



長野県の諏訪大社近くの牛頭天王信仰(その2)

2011-05-26 05:52:56 | 日記

 下諏訪駅から御田町(みたまち)交差点信号付近の温泉「新湯」をはさんで、村社津島神社がふたつあります。
 この地区には旧中山道もあり、江戸時代には門前町・宿場町として栄えていました。商人・農民たちは、諏訪大明神様の「御柱」のお祭りだけでなく、毎夏には祇園祭を行っていたと思われます。現在は祇園祭・天王祭としてではなく、「津島様のお祭り」として地区の氏子たちによって毎夏お祭りが行われています。
 かっては遊郭もあり、男相手の若い女たちが「病気除け」を牛頭天王に祈願したことも想像できます。
「牛頭天王社は江戸時代には一村一社あった」という研究者がいるようですが、それは大げさにしても、牛頭天王信仰は諏訪地方にも根付いたことが分かります。特に下諏訪地方には牛頭天王社は「一村一社」あったとも思えてきます。


(駅に近い方の津島神社)



(御田町交差点に近い方の津島神社)


長野県の諏訪大社近くの牛頭天王信仰(その1)

2011-05-25 12:00:37 | 日記

 諏訪大社と言っても、4つの神社の総称で、ひとつは上諏訪駅と茅野駅の間にある諏訪大社上社の本宮。もうひとつは本宮が元々あった前宮。そして、下諏訪駅近くの春宮と秋宮。合計4社という訳です。4つを一日でお参りするのは大変ですが、行ってきました。 下社秋宮には境内社として、旧牛頭天王社である八坂神社があります。(他の3宮にはありません。)



 この秋宮には驚くべきことがありました。諏訪大社の御祭神は建御名方神(タケミナカタノカミ)とそのお后である八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)ですが、建御名方神を出雲から追い払ったのは、ヤマト朝廷側の神、建御雷神(タケイカヅチノカミ)であることが『古事記』から分かります。その建御雷神(タケイカヅチノカミ)も境内社として祀っているのです。

 境内社でしょうか、摂社でしょうか、恵比寿社もあります。他の3社と違って、この秋宮は時代の流れに「敏感」でいろいろな信仰を取り入れてきた過去を知ることができます。
 ということで、下諏訪駅付近は諏訪信仰一色ではなかったことが分かってきます。そこで町を丁寧に歩くと、各地区に津島神社があり、江戸時代は牛頭天王信仰の地であったことを知ることもできます。今回は諏訪大社秋宮の近くの青塚古墳の手前にある村社津島神社を紹介します。
小さなお社ですが、今でも地区の氏子たちによって「津島様」のお祭りをしています。


岡山県の牛頭天王信仰(その4)

2011-05-21 06:55:00 | 日記

 日本三大稲荷のひとつ、最上稲荷(さいじょういなり)。岡山駅から吉備線に乗り換えて備中高松駅で降ります。駅から5~6kmの所にあります。正しくは最上稲荷山妙教寺と言い、日蓮宗のお寺です。ご本尊(主神)は最上位経王大菩薩。脇神は八大龍王尊と三面大黒天で、最上三神と言います。鳥居をもち神宮形式の本殿があります。神仏習合を残した寺院で、境内には荒熊天王・朝日天王などさまざまな天王を祀っています。牛頭天王も祀ってあります。




 備中高松駅、または足守駅から5~6kmくらいの所にある龍泉寺。日蓮宗の寺院ですが、最上稲荷同様、境内に稲荷神社があり、神仏習合の寺院です。ここには「○○天王」「△△天王」と刻まれた石碑が数多く建っています。最も大きい石碑は荒瀧天王と刻まれた水神の石碑です。「○○天王」「△△天王」と刻まれた石碑は元々は本寺のものではなく、個人宅の守護神で場所を提供しているとのことです。
 

 自分で思い思いの守護神をつくり「○○天王」「△△天王」としているとは、想像力が豊かというか、自我が発達しているというか、関東ではほとんど見られない信仰形態です。岡山県では守護神だけでなく、自分の氏神様の神社をつくることもめずらしくなく、佐藤という姓であれば「佐藤神社」とか、山田であれば「山田神社」をつくる場合もあるようです。「佐藤天王」や「山田天王」が登場する可能性もあるのです。天王信仰と言えば、ほとんどの場合において牛頭天王信仰を指しますが、この岡山の地ではそうとは言えないようです。

岡山県の牛頭天王信仰(その3)

2011-05-19 22:30:49 | 日記

 岡山県では自分が牛頭天王信仰の持ち主なら積極的に屋敷の中に牛頭天王神社を造るということもしていたようです。自宅の庭に小さな稲荷神社をつくることは、関東では名主庄屋・大商人階層を中心に見られますが、牛頭天王社はほとんど聞いたも見たこともありません。ところが、岡山県では江戸時代のことでしょう、「祇園社」「天王社」と称して多く造られたようです。自分のもっている山の上に小さな「天王社」・「祇園社」をつくりそこを「天王山」と称するということもあったようです。もっとも、全国的に見れば、名主庄屋・大商人たちが自分のもっている山や土地に神社を造りそれを村や町の鎮守とした場合も多かったのでしょうが、岡山県では牛頭天王を祀る場合が結構あったようです。「祇園」という苗字の人もいるとのことです。
 岡山県は、稲荷信仰と結びついた牛頭天王信仰の地、原始のアラハバキ信仰と結びついた牛頭天王信仰の地、一般庶民の氏神信仰と結びついた牛頭天王信仰の地であり、宗教および信仰心を研究するには貴重な場所と思われます。

岡山県の牛頭天王信仰(その2)

2011-05-15 06:43:29 | 日記

 木山寺から少し離れた所にあるのが木山神社。江戸時代までは一体の牛頭天王信仰の地でしたが明治維新以降分離。先代の宮司様が『木山神社由緒記』を発行しています。これを読むと木山神社の歴史が分かり、牛頭天王信仰の地であったことも善覚稲荷信仰の地であったことも分かります。大変読みやすく書かれていますので牛頭天王信仰を調べている者にとってはありがたい資料です。
 この木山神社は元々は今の地にあったのではなく、木山寺のすぐ横にありました。そこは現在奥宮と呼ばれています。(下の写真)わたしが訪問して驚いたことは、この奥宮の門の横には「門客人」と書かれた支柱が立ち、門には「履き物」が飾られていることでした。木の山に「門客神」(まろうどのかみ)が祀られていて、「はきもの」があるということは、この地は牛頭天王信仰の前は「アラハバキ」信仰の地だったのではないかと思いました。この地の「木山」という名前は、もしかすると、多くの恵みをもたらす多くの樹木とその山を神として讃え、その使いであるヘビをも神として敬ったところから始まった「アラハバキ」信仰に基づいた名前なのかもしれません。





岡山県の牛頭天王信仰(その1)

2011-05-14 22:13:59 | 日記

 姫路と新見を結ぶ姫新線の美作(みまさか)落合駅から木山街道を上っていきます。タクシーで20分くらいの所にある木山寺。正しくは、高野山真言宗別格本山木山寺。御本尊は薬師如来ですが、その垂迹(化身)である牛頭天王を祀っています。かって、木山地区は、西国地方においては、京都祇園の牛頭天王信仰、播磨広峯の牛頭天王信仰と並んで、牛頭天王信仰の盛んな地域だったようです。

 境内には伏見稲荷神社もあり、高層善覚が伏見より勧請しましたので、特に「善覚稲荷」と呼んで、その神様を善覚稲荷大明神と言っています。本寺も神仏習合寺院です。本堂前の二本の御柱に描かれてある「相互礼拝」「相互供養」の文字が印象的でした。

福島県の須賀川(すかがわ)のきうり天王祭

2011-05-09 07:03:31 | 日記

かっては旭が岡公園の朝日稲荷神社の境内に牛頭天王社があり、そのお祭りが須賀川の天王祭だったようです。現在では南町の郵便局付近に仮殿をつくり須賀川商工会議所が主催して、毎年7月14日に盛大に「きうり(きゅうり)天王祭」を行っているとのことです。きゅうりを2本持参してお供えをし、代わりに別のきゅうりを1本持ち帰り、それを食べると1年間病気にかからないと言われ行っているお祭りです。

 現在の朝日稲荷神社は荒れ果て石も転がった状態。痛々しい限りです。本殿の屋根の修理も早急に必要です。
 


きうり天王祭をする所から10分ほど歩くと、五老山があり、その近くの小高いところに須賀神社があります。この町の名前はこの神社からきたのかもと思ったのですが、江戸時代はこの須賀神社は妙見神社だったとのこと。牛頭天王を祀っていたのではないことも分かりました。須賀川の地名はどこから来たのか、地元の人に聞くのを忘れました。「すがかわ」と言わず、「すかがわ」という理由も・・・・。



 須賀川駅付近は高いビルはなく落ち着いた雰囲気の地方都市といった感じのする町風景です。わたしは2011年5月1日の日曜日に行ったのですが、商店街の人通りはほとんどなく、歩いているのはわたしの他1,2名という状態でした。原発事故が原因しているわけではなく、町の人の話では、車社会になってからここ30年こういうう状態とのこと。 牛頭天王祭の他、龍神祭・八王子祭・招き猫祭など、どんどん企画して街を活性化してもらいたいものです。
 東北本線が4月下旬に全線開通。原発事故で観光客の少なくなった福島県を応援する意味でも、須賀川に行ったのですが、「がんばれ須賀川」などの張り紙が多く見られました。いろいろなアイディアを出し合い、大いにがんばってもらいたいものです。


福島県の会津田島祇園祭

2011-05-08 07:38:04 | 日記
 
 東北関東大震災から二ヶ月近くになりなした。亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。
 4月下旬に東北本線が全線開通しました。
 福島第一原発の事故処理は早くとも半年かかるとのこと。長期化が予想されます。避難されている方々、避難地区にはなっていませんが、地元で暮らしている方々、関東各都県で農業に携わっている方々に、牛頭天王・そのお后婆梨采女(はりさいめ・はりさいにょ=歳徳神)・御子八王子神・義父龍王様の御慈悲御加護あらんことをお祈りし、連休中は福島県の会津田島・会津若松・須賀川などに行ってきました。
 
 
 東京の浅草から東武線・会津鉄道線で3時間半。会津鉄道の風景は日本の原風景を伝えるすばらしい農村風景。さて、会津田島駅について町並みをみると、ものすごくきれい。道には小さなゴミひとつありません。平成になってから建設されたと思われるモダンな住宅も並びます。高いビルがありませんし、ひとつひとつの建物の敷地が広いので、町全体がゆったりとした感じ。山間にすばらしい町が存在し、この地の最も盛大なお祭りが祇園祭。そして、それは日本三大祇園祭のひとつとなっています。




 会津田島祇園祭は毎年7月22日から24日に行われています。地元の田出宇賀(たでうが)神社と熊野神社の共同主催で行われますが、神社は駅の裏手に当たり、鳥居の左側が田出宇賀神社、右側が熊野神社になっています。中央には熊野神社・田嶋天王と書かれた祭殿があります。 神社のすぐ近くには祇園会館があり会津田島祇園祭について学べる場所になっています。また、レストランもあり会津田島の郷土料理を味わうこともできます。