牛頭天王信仰とその周辺

牛頭天王(ごずてんのう)信仰とそれに関係する信仰や情報を紹介するブログです。

安神社と広島市の牛頭天王信仰

2015-05-04 05:23:10 | 日記
安神社
 広島市安佐南区祇園2-21-3

 広島駅から可部線で下祇園駅下車。あたりは祇園の名に満ちている地域。


列車の進行方向に進み、徒歩15分くらいの所に鎮座。由緒書によれば、江戸時代には祇園社と称していましたが、明治2年に安神社と改称したとのこと。明治維新政府の牛頭天王信仰弾圧の影響がここにも見られます。
 祭神は須佐之男命・稲田姫命・大己貴命(大国主命)・伊邪那岐命・伊邪那美命・少彦名命・大山咋命・・・・。もともとは出雲系の神々を祀っていたようです。古代・中世にあっては出雲の影響を受けながらも、銀山や鋳造技術者の守護神を祀っていたとも想像されます。
 この社の前は以前は海であり、常夜灯も残っていますし、疫隈の国の社に比較的近いので、古代より武塔神を祀る祇園信仰もあったしてもおかしくはありません。

 


 安神社の向かいに安神社末社えびす神社と常夜灯があります。
 いろいろな神々を祀り地域の中心となっていた地と考えられます。牛頭天王信仰が流行っていた江戸時代には牛頭天王を中心にいろいろな神々が祀られていたのでしょう。
 

 

鞆祇園宮沼名前(ぬなくま)神社

2015-05-03 11:29:59 | 日記
沼名前(ぬなくま)神社
 広島県福山市鞆町後地1225
 
 福山駅から鞆鉄道バスに乗車。「鞆の浦」バス停下車。 (乗車時間約30分、下車後徒歩10分)

 鞆の浦は幕末、坂本竜馬の船が紀州藩の船と衝突した地。竜馬が紀州藩に弁償を迫った港町。昔ながらの風情の残っている町並みで、たびたび映画やテレビのロケ地となっています。当の沼名前(ぬなくま)神社は火災により鉄筋の建物になりました。

 鞆祇園宮と称しており、地元の人たちからも「祇園さん」と言われ港町の中核的存在ですが、祇園祭・天王祭と称してはお祭りは行っていません。

 
 港町に鎮座していることからして、元々は海神を祀っていたのでしょう。大綿津見命を祀って「海路の安全」を祈願したことに始まったということが当社のパンフレットにも記されています。牛頭天王の人気が高まると共に牛頭天王も祀るようになったと思われます。ですから、私個人としては、沼名前(ぬなくま)神社が『備後風土記逸文』の「疫隈の国の社」とは思いませんが、当社を「疫隈の国の社」としている人もいるとのことです。

 
 わたしが感動したのは小さな小さな「茅の輪」が玄関上に飾れている家々が目立ったこと。6月30日の「大祓の儀式」の時、茅の輪くぐりに使った茅をその場でバラしてわけてくれるので、人々はそれを家に持ち帰り小さな茅の輪をつくって玄関に飾ることができるというのです。疫病退散を願う大衆の気持ちに立とうとする、また伝統を守ろうとする神社の姿勢にうれしくなりました。

「疫隈の国の社」として誇りを持つ素盞嗚神社

2015-05-02 08:09:37 | 日記
素盞嗚神社
 広島県福山市新市町大字戸手天王1-1

 福山駅から福塩線で上戸手駅下車。駅のそばに鎮座。
『備後風土記逸文』にでてくる「疫隈の国の社」とは当社と誇りを持っている素盞嗚神社。地元の有志による、当社を説明する石碑も並んでいて地域からも厚い信頼が寄せられている神社です。境内には蘇民神社と並んで疱瘡神社もあります。











神戸市平野の祇園神社

2015-05-01 03:08:03 | 日記
神戸市平野の祇園神社
 神戸市兵庫区上祇園町12-1

 新幹線新神戸駅から地下鉄西神山手線で大倉山駅で降りました。徒歩20分くらい。神戸大学付属病院の先。付近には天王川が流れています。
 地元では「祇園さん」と慕われている神社で、祇園神社ではきれいなパンフレットをつくって、『天王社』であったこと、牛頭天王を祀っていたことを紹介しています。



 


(祇園神社のパンフレットの一部)

明治維新政府は神仏分離を進めていきましたが、江戸時代までの伝統を守り、仏教世界の祇園を神道世界にとどめんと、祇園にこだわりつづけた、数少ない神社の一社。
 7月中旬から下旬にかけて「祇園まつり」を行っています。平野の地元の商店街では店を閉じているところが目立ちました。牛頭天王の力を借りて商店街を活性化させるのもいいかもしれません。
 現在の祭神は素戔鳴尊と櫛稲田姫命です。境内社として白玉稲荷社・猿田彦社などがあります。