牛頭天王信仰とその周辺

牛頭天王(ごずてんのう)信仰とそれに関係する信仰や情報を紹介するブログです。

千葉大学医学部付近および構内の七天王塚

2015-02-28 04:05:06 | 日記
 
 
 久々の牛頭天王信仰についての調査。今回は千葉大学医学部付近および構内の七天王塚についてです。








上記の写真は千葉大学医学部付近の道路の七天王塚。JR千葉駅東口下車。東口7番バス停からバスに乗り千葉大学薬学部前で降りて、前方の千葉大学病院方向に進みますと道路の右側に見2つの祠が見えていきます。
 また、千葉大学医学部構内にもいくつかの祠があります。







 一般には戦国時代については知られていますが、しかし、鎌倉時代末期から日本の多くの地が戦乱に巻き込まれていき、南北朝の動乱・応仁の乱(室町時代前期)を経て、戦国時代(室町時代後期)へと向かっていきました。
 豪族千葉氏が活躍したのは室町前期です。坂東平氏の代表格の平将門は妙見信仰(北極星・北斗七星信仰)をもって戦っていましたが、その末裔の千葉氏は妙見信仰に加えて、鎌倉末期から南北朝動乱期に著されたと思われる『ほき内伝』の牛頭天王の力を期待して戦ったというのは十二分に納得がいくと思われます。
 千葉氏は内部分裂によってしだいに房総での力を失っていきましたが、現在の県名として残り、牛頭天王信仰の担い手としての歴史的事実を伝えてくれています。