2016年 一泊二日 上州ドライブ (2)
8月19日朝、目的通り、正式な会員番号Cardを発給して貰い、早朝より降り出した雨の中「かんぽの宿 磯部」を出発しました。
二つ目の味、「峠の釜めし」購入は、信越本線横川駅前 ゛ おぎのや本店 ゛ を考えていましたが、時間つぶしに急遽「妙義神社」に寄りました。神社への足掛かりとなっている駐車場の「道の駅 みょうぎ」は、降り止まぬ雨が水溜まりとなって、観光客もまばらでした。
(妙義神社境内 写真撮影ポイント)
Kは、気が進まぬ様子です。お揃いのバーバリーの雨傘の使い初め、「一の鳥居」より急坂を100mほど登った所の「総門」目前で、「先に行って!」とKが辛そうに、音を上げました。
( ① 神社への入口 県道に面した「一の鳥居」)
( ② 仁王がそれこそ仁王立ちの「総門」)
色鮮やかな「総門」を目の当たりにして、「本殿」を是非見たくなりました。「下の茶屋で休んでおいで!」とKに一声掛けて、カメラにタオルを巻いて石段を登りました。
……創建は「宣化天皇の二年(537年)に鎮祭せり」と社記にあり、元は波己曽(はこそ)の大神と称し後に妙義と改められた……、そもそも妙義と云う所以は、後醍醐天皇に仕え奉りし権大納言長親卿、此の地に住み給いて明々魂々たる山の奇勝をめで、明魂と名づけしものを後世妙義と改めたと思われる。……農耕桑蚕の神として広く世に知られ、関東・甲信越地区より参拝する者が多い…… (妙義神社HP 由緒より)
「総門」を過ぎると、左手「銅鳥居」の先に雨に煙る165段の石段が臨めました。境内鬱蒼として、「樹齢500年の大杉3本に囲まれた三角形の空間は近年パワースポットとして評判」と同HP参拝案内に記載されていましたが、降りしきる雨の中、苔むして角割れした細い石段を一歩一歩滑らないように進む身には、立看板の説明書きをいちいち読む余裕はありませんでした。
( ③ 「総門」より「銅鳥居」・165段の参道石段を奥に臨む)
ふと気付くと後ろにKがおり、「もう少し行くわよ!」と、不機嫌な御様子です。
「銅鳥居」をくぐると「社務所・御殿」のある広場に出て、目前には、垂直に立て掛けたか?…と思われる石段がそびえていました。さすがにこの光景に「待っているから!」と一言、Kは「社務所」の方へ雨宿りのようです。
上部神域への165段の石段は、萎えた足にはきつく、100%の湿度も災いして、びしょ濡れの汗まみれで、「随神門」をくぐりました。
( ④ 「随神門」 北東隅より上部「御本社」を臨む)
左側の石段より「御本社」の入口にある「唐門」へ向かいます。松に鳳の透彫りが素晴らしい扉を通り、神域「御本社」の領域に入り「拝殿」正面を拝みました。「拝殿」正面の浮き出たような金色(こんじき)の神額(しんがく)と、向拝屋根(こうはいやね)の中、日光東照宮の彫刻師が彫り上げたと言われる繊細かつ雄渾(ゆうこん)で雅やかな配色を施された鶴、鷹ととんびの彫り物が、見る者を楽しませます。
( ⑤ 「唐門」 素晴らしい透彫り)
( ⑥ 「拝殿」側よりの「御本社 )
( ⑦ 「拝殿」正面 )
( ⑧ 「拝殿」 金色の神額 )
( ⑨ 「拝殿」向拝屋根の鶴、鷹ととんびの彫刻 )
( ⑩ 北側・神餞所側より「御本社」を臨む )
下るとき「唐門」より「総門」下の石段までを数えてみました。280段位あったように思います。
Kは「総門」の所で「遅いよ!」と言わんばかりの顔つきで、待っていました。 ゛ 私達の後から、数人の観光客が100mの急坂を登ってきたが、「総門」の石段前で帰った ゛と、Kから聞きました。
「時間つぶし」には、清々しく心洗われる充実感のある、疲れた一時でした。
後から知りましたが、妙義神社は、平成19年の台風で土砂崩れがあり、復旧工事のため「本殿」が非公開となり、5年ぶりの平成24年12月に改めて公開されたとのことでした。また、゛ 「Myogizinzya」(妙義神社)という名称が、アマチュア天文家・渡辺和郎氏が発見した小惑星に付けられ、平成26年10月8日に正式登録された ゛と、神社のHPにありました。