卓袱台の脚

団塊世代の出発点は、狭いながらも楽しい我が家、家族が卓袱台を囲んでの食事から始まったと思います。気ままな随想を!

2020年「令和2年 第1空挺団 降下訓練始め」

2020年01月29日 11時26分44秒 | 日記・エッセイ・コラム

2020年「令和2年 第1空挺団 降下訓練始め」

 

 

自衛隊に任官している親戚より、連絡がありました。「1月12日に習志野で訓練始めが公開されますが、行かれますか?」とのことで、平成28年秋の自衛隊記念日に朝霞訓練場で行われた「観閲式」に次いで、2回目の ゛お知らせ ゛でした。

平成23年3月の東日本大震災にてKの実家も津波により大きな被害に遭い、災害派遣された自衛隊の皆さんの必死な活動に接して、A&Kの考え方もあからさまに変わりました。

 

゛北習志野駅まで迎えに来てくれる ゛との申し出に便乗、駅から「習志野演習場」近くまで車で送ってもらい、入場/持物検査所に着いたのは、10時を少し回った頃でした。

当日は、早朝より厚い雲に覆われた曇天、昼よりは小雨模様の予報でした。お知らせを頂いた親戚より「非常に寒いから、くれぐれも防寒には気を付けてね!むとのアドバイスをもらっていたので、上下とも厚手2~3枚の重ね着に、ホッカイロ2、3個をポケットに忍ばせる重装備です。風が無いのが幸いでしたが、1万人の人出などの口コミ情報も入っていましたので、空挺降下開始(11時頃)にも幾分余裕を持った積もりでした。

 

手荷物検査所は思いのほか空いており、気を削がれました。平成28年の観閲式の時には ゛30分待ち ゛の話もありましたから。また、「会場まで2000m」の立看表示があり、検査所の敷地から会場までの「シャトルバス乗降所」には、100人ほどが待っていました。私達は、バス乗車客を眺めながら、一直線に伸びた舗装路を行く人並みの列に加わりました。

 

 

(①「習志野演習場」入口)

 

 

※写真のタイトルについている①(番号)は、後から出てくる演習場地図の中の番号です

 

 

(③案外空いていた ゛手荷物検査所 ゛)

 

 

(③ ゛手荷物検査 ゛を喚起する看板)

 

 

(③→④演習場内の一本道をひたすら歩いて会場へ)

 

 

演習場内は、要所要所に警備のための自衛官と警備車両である ゛軽装甲機動車 ゛が配置されていました。一般人が最初に目にする自衛隊車両ですので、結構目立ちます。しげしげと見つめ、ついカメラを向けてしまいました。

 

 

(④→⑤ついつい目立つ路肩の ゛軽装甲機動車 ゛)

 

 

徒歩15分ほどで、燃料蔵置所脇を通り、車両運転教習場らしき場所を通り抜けました。教習場?脇には大きな駐車場があり、その先の生け垣の向こうには、会場用のシャトルバス乗降所がありました。バス乗降所には、男女トイレも用意されていました。

 

 

(⑤→⑥燃料蔵置所脇を抜けてその先へ向かう一般観覧客)

 

 

バス乗降所の目前には、こんもりした土塁があり、相当数の観覧客が立見している様子が望めました。「これは出遅れたな!」と思いながら土塁を上がると、そこは二段になっており、その先にも別の土塁が連なっていました。携帯椅子や広げたビニールに座る人・立見の人で、土塁上の細道は混雑し、演習地全体を見下ろせる良い場所は立錐の余地もありません。A&Kもゴルフ観戦で使用した組立携帯椅子を持ってきましたが、すでに置く場所が探せません。

仕方なく次の土塁を目指して下におり、来賓・関係者用と思われる駐車場を通り抜けました。制服姿の自衛官が受付け/案内する脇を、声を掛けられないのを幸いと進みますが、やはり様子が違います。番号が振られたパイプ椅子が2~300整然と配置された、見通しの良い会場でした。会場後ろには、観覧スタンドもあります。「指定された来賓・関係者用なので、違うみたいよ?」と、Kが袖を引っ張りました。パイプ椅子の外れには、マイクスタンドも見えましたので、式典もあるようでした。

二つ目の土塁上も人集りが多く、結局初めの土塁上の隅に椅子を定めました。演習場の地上展示は見えず、上空よりの降下展示の観覧のみとなりました。

 

 

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「第1空挺団」のHPの中に、本日の行事コンセプトは、このようにありました。

「陸上自衛隊は、平素においても我が国の抑止戦略の主体を成しています。更に、有事においては、第一線部隊となって国土で戦い、海上・航空自衛隊や米軍の戦力発揮の条件を作為し、領域横断作戦の要の役割を果たします。本日は、島嶼部の作戦において第1空挺団がこのような日米共同作戦を持って事態に初動対処することにより日米海空打撃力発揮の条件を作為し得る陸上自衛隊の戦い方について、その一例を展示します。」

 

 

(来場者に配布されたパンフ)

 

 

(当日の降下/地上展示内容とタイムスケジュール)

 

 

11時前、高度約340m・CH-47ヘリ(通称チヌーク)より試験降下があり、航空機の飛行経路・隊員の飛び出し地点の確認等が行われました。引き続き「降下展示」として指揮官降下が行われ、その説明の中、最年少降下員(18歳)と最年長降下員(54歳)の追加説明がありました。最年長者については、今年が最後の降下であり、36年前には最年少降下員で参加した旨が補足説明されました。誰からと無く拍手が沸き立つ瞬間でした。

11時半頃にはヘリ2機に分乗して、幕僚幹部・政府関係者が飛来する中に昨年防衛大臣に就任した河野太郎氏が臨場しました。双眼鏡を持参しましたが、着陸し習武台の視察席へ向かう大臣の様子は、良く分かりません。習武台は、演習場の中でも最高地にあるとの説明員の話でした。

 

 

(⑧A&Kが陣取った土塁の観覧場所から右手奥に習武台の視察場所が望めました)

 

 

(⑧から⑩A&Kの観覧場所より来賓・関係者駐車場を望めました)

 

 

臨場した防衛大臣を迎え、いよいよ空挺部隊の降下開始です。柏・下総航空基地よ情報収集哨戒機P-3C、木更津駐屯地より航空偵察機LR-2などが頭上を飛行します。福生・横田基地の米空軍の隊員を含む先遣隊の降下は、C-130J輸送機です。主力の降下は、各遠隔地より飛来した輸送機のオンパレードでした。C-130H(愛知県小牧基地)、C-1輸送機(埼玉県入間基地)、C-2輸送機(鳥取県美保基地)などで、落下傘の花が次々に曇天の空に咲き並びました。Kは、「大変ね!怖いわね!」の連発です。

 

 

(⑧C-130Hからの先遣部隊の空挺降下)

 

 

(⑧C-1輸送機からの主力の空挺降下)

 

 

(⑧C-2輸送機からの主力の空挺降下)

 

 

主力空挺団の降下を目の当たりにする頃、曇天の空が泣き始め、ポツリポツリと雨粒が僅かですが、頭を叩き始めました。オートバイ偵察部隊やCH-47によるエキストラクションロープによる卸下(しゃが)などの地上展示を観覧すること無く、土塁を後にしました。土塁下には、飲食物や自衛隊用品を販売する模擬店が並び、家族連れや若い人達で賑わっていました。

 

 

(⑧「降下訓練始め」を一般人向けイベントと演出する模擬店の列)

 

 

(⑧模擬飲食店は家族連れ・若者に結構な人気!)

 

 

往路を復路として帰りますが、途中一歩道脇の雑木林には、待機中の攻撃ヘリAH-1S(コブラ)2機が、ホバリングしておりました。また、上空をCH-47(チヌーク)が、機外に120mm迫撃砲を搭載して飛行しておりました。

 

 

(⑤→④AH-1S(コブラ)2機のホバリング)

 

 

(⑤→④CH-47(チヌーク)の機外搭載120mm迫撃砲の様子)

 

 

紹介してくれた親戚より大分脅かされた「寒気」ですが、異常気象のお陰で、移動する度に ゛うっすらと ゛汗をかくほどの陽気でした。気に掛けない一般人には、なかなか経験の出来ない一時を親戚より頂きました。自衛隊という国防組織を再認識する良い一日になりました。

 

 

 

 

地図作成に10日ほどかかりました。①→⑧までを2000mほどの縮尺と考えて下さい。運動不足のA&Kには、北習志野駅→習志野演習場内→習志野駅(新京成)の16000歩は良いウォーキングになりました。

上記、文中の車両・航空機、降下内容は、「第1空挺団」のHPの事後動画を参考にさせてもらいました。ありがとうございます。写真は、全てAの撮影したものです。