浜ちゃんの小豆島写真日記 二代目

特に変わったことのない日常ですが

無言まいり。 飽浦神社NO,1

2007年08月20日 17時05分20秒 | Weblog
七百年前足利尊氏の側近で高師秋の恋人お才の局を略奪愛でうばった
佐々木信胤は小豆島を基地に南朝方につき、北朝連合軍と激しい戦さ
となり、三ヶ月にわたる攻防は多勢に無勢信胤軍は星ヶ城より大麻山
高壷山、上庄、笠ヶ滝、滝宮、と敗走し、ついに長浜まで追い詰められ
ました。夕暮れの浜で組討となっている所へ皇踏の山城より援軍の兵
が駆けつけ、藻婆の陰で見ていた村人に殿は上か下かと怒鳴りました、
村人が思わず下と言っため,兵は上の武将に切りつけましたが、これが
逆で上になっていたのが殿だっのです。
震え上がって逃げ帰った村人は、その後打ち死した、信胤を弔うため
祠を建て(口は災いの元)と言う事で、一切口を利かずにお参りする
{無言参り}の風習が出来上がったそです。
この項、広報とのしょう町長室より拝借。
尚10月12日のお祭りには佐々木信胤二十三世の青木氏が毎年大阪
より参拝に来られて村人と一献酌み交わされます。



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