24年ほど前に完成した吉田ダムは小豆島の北東端の吉田地区にあります。
そういえば、以前は小豆島では夏の渇水期にはしばしば水道の給水制限がかかっていたけれど、このダム等ができてからはとんとそんな場面に出くわしたことがない。
ダムの堰堤の北の端から山肌の階段を10分ほど登ると展望所があり、そこからの景色はなかなかのものです。
この写真を撮った夜に再びこの地を訪れてみると、岡山市や高松市の街明かりからも離れるので、島の西北端の長浜に比べると、より暗くきれいな星空が拡がっていました。
展望所からダムを臨む
ダムの南側端から北側を臨む
展望所から吉田地区を見下ろす。遠くに姫路沖の家島諸島が見えます。海の上の白い点状のものは姫路港~小豆島福田港フェリーです。
吉田ダムから寒霞渓に上がる道の途中で福田港を見下ろす。
小豆島の北西部、小江漁港の北西沖に浮かぶ千振島にはカヤックでしばしば訪れてます。
最近、土庄町在住のM氏より、千振島の大坂城残石の写真撮影を所望されたので、昨日撮影に出かけてきました。
実は、氏に教えてもらうまで、千振島の周辺の岩礁に点在する岩石群が大坂城の築城に使われた石の残石であることを知らなかった。
小豆島北部の小海地区や東部の岩谷地区の石丁場は有名ですが、千振島に石丁場があったとは。
千振島の周辺にはそれらしき巨石が岩礁の上にゴロゴロしているけど、調べてみるとどれも大坂城残石群のようでした。
豊臣秀吉の大坂城ではなく#1、秀吉の城が破壊された後、徳川によって再築城された現在の大坂城の石垣に用いられたものであり、その後も近代まで採石は続けられていたようです。
参考文献:東瀬戸内海島嶼部における大坂城築城石丁場と石材輸送水運に関する研究(徳島文理大学、研究者代表:橋詰茂)
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#1: 2020-8-4 追記
豊臣秀吉の大坂城ではないと書きましたが、土庄町立図書館で四海村史を調べたところ、天正年間より千振島には福岡の黒田藩管轄の石丁場があったようで、秀吉の大坂城の築城に千振島の石が用いられていた旨の記録がありました。
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千振島の大坂城残石調査報告が上記文献の32~38ページにあります。
(上記文献より参照)
残石の写真を以下に掲載しておきます(記号は上記航空写真のものを使用)。
1.千振島北東部のF地点(鳶島)の残石
2.千振島南~西南部の3つの岩礁部
左よりイチノソワイ、ナカノソワイ、白石の岩礁
2-1.イチノソワイ岩礁
2-2.ナカノソワイ岩礁
2-3.白石岩礁
長浜の集落の少し奥まった場所にスモモの古木のある一角があります。
今、スモモの花が満開です。
1本だけですが、樹齢を重ねた木には趣を感じますね。
何年か前にはこの木のそばのベンチで弁当を食べましたな。
長浜の浜のはずれ、小江側にある水仙の花畑、いま花盛りです。
天気も良く、花が鮮やか。
車を止めて、花壇に立ち寄りました。