ごとりん・るーむ映画ぶろぐ

 現在584本の映画のあくまで個人的な感想をアップさせていただいています。ラブコメ、ホラー、歴史映画が好きです【^_^】

予言(鶴田法男監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;大学講師が田舎から実家へ戻る途中メールを送信するために公衆電話にたちよる。何気なく手にしたふるい新聞には未来に起こるある事件を「予言」するものだった…。
出演;三上博史、酒井法子、山本圭
コメント;昔読んだ「恐怖新聞」の映画化作品。いやなんというか原作のマンガはとてつもなく怖かったなあ。でもこの映画は家族愛とか献身の美学とかを貫いた結果、恐怖も半減。でも恐怖新聞がフワフワと空間をただよう様子は結構楽しく見ることができた。三上博史がやたらに「あわてふためく」演技をするのだが、確かに演技をしづらいシチュエーションではあるのだが昔寺山修二の作品でみせたあの端整な「落ち着きぶり」があまりみれなかったのは残念。「呪怨2」ではいまひとつだった酒井法子が逆にベテランぽくみえてしまったりもする。透視などをする女予言者に吉行和子が出演。脇の役者がとてつもないベテランぞろいなので途中で飽きることはないようには思う。
 「すべての文明は魂の内在的な出会い方が描く軌跡だ。あらゆる文化の成り立ちは運命であり、その死滅もまた運命である」(寺山修二)という言葉は死んだもの、運命であるものをタブーとしてすでに「予言」していたのかもしれない。

狐階段(ユン・ジョヨン監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;芸術専門高等学校の寄宿舎には28階段があるが、狐に願いをかけると29段目が現れるという…。
出演 ;ソン・ジヒョ、チョ・アン 、パク・ハンビョル
コメント;初めて「韓国美少女ホラー」をみた。必ずしも「美少女」かどうかについては見解が分かれそうではあるが、少なくとも学園ホラーであることは了解。しかもなぜか懐かしい感じで「お約束」なのに妙に怖くて面白い。「お約束」が怖くて「お約束でない」場合には割りたくなるという現象は個人的なものなのかどうなのか。それはさておき、バレーの練習シーンとかシューズの先から血がにじんでくるところとかもう「ガラスの仮面」とかそういうゴシックホラーぶりで鏡を使ったシーンも非常になまめかしくて怖い。「エルム街の悪夢」を彷彿とさせるような空間を無視したシーン構成に明らかに「リング」の影響を受けた白い服のバケモノ。どれをとってもお約束でそれがまたなぜかいいんだなー。実際に出演している女優は全員19歳~20歳なのだろうが、メイクや血糊もまた見事。体当たり演技と視線の力強さにコンマケしたくなるような迫力で、いや。面白い。楽しい。そして怖い。途中、日野ヒデシのイラストのような狐階段の模型やらイラストやらも登場。これがまたおどろおどろしくてひたすら怖いがこれは個人的な何かトラウマみたいなものもあるのかもしれない…。

16歳の合衆国(マシュー・ライアン・ホージ監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;ある春の日。元恋人の弟を刺殺した容疑で高校生が逮捕される。拘置所の教員は、「世界は悪意にあふれている」「感情はおぼえない」とする彼に近づき、本を書こうとするが…。
出演 ;ライアン・ゴズリング、ケビン・スペイシー、ドン・チードル
コメント ;冷徹すぎるほど冷徹にみえる高校生が、実は知的障害者と心の交流を交わしていた…というありがちなストーリーのようにも思える。画面も話も救いがあんまりなく、ラストも「これですべてが終わった」などというセリフがあっても「本当にこれで終わりでいいのか」という疑念はぬぐいされない。家庭崩壊も麻薬中毒もすべて予定されてはいるが、「人生は断片の総和よりおおきい」とする思い出や希望に未来を託す姿がヒューマンということなのか。ただこうした10代特有の不安定な心の動きをみていると確かにこういう一見とんでもない行動や言動にもそれなりの理由はあったものだなどとふと思う。「自分が弱かったのだ」「最低だ」と自己限定してそれが謝罪になるのは確かに一定の年齢をすぎてからのことではあるし、純粋であればあるほど極端にもみえるストーリーは構成可能なことなのかもしれない。画面がツギハギでみているうちに種々の謎が解けていくという手法だが、もう少し編集をうまくすればさらに良い映画になったような気もする。ドン・チードルの教員ぶりがさまになっている。
(守護天使)
主人公の恋人は、麻薬の売人と手を切るために、校則が厳しいカソリックの学校に転校させらえれるが、この娘の家庭自体もカソリック信者と思しき内装だ。そして物語の鍵となる「守護天使」という概念もカソリック特有のもので、プロテスタントでは聖書を重視するがカソリックでは天使を階層化して分類した。主人公がカソリックだったかどうか不明だがその虚無的な態度はむしろ無神論者に近いのだろう。ただしその彼が守護天使になろうとしてとった行動には「理由」はやはりない。むなしさが残るという点では主人公の狙いは成功したのかもしれない。

ジェリー(ガス・ヴァン・サント監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;男が二人車からおりて山の頂上をめざして歩き始める。「荒野の小道」からはずれて新しいルートを開発しようとして二人は砂漠に迷い込む。そして戻ってきたのは男が一人…。
出演;マット・ディモン、ケイシー・アフレック
コメント;えー。ひたすらさして美しくもないアメリカ西北部の荒涼とした景色が映し出され、もっともらしい会話がただダラダラと続くという「気取った映画」。こういう哲学的な映画が好きな人もいるのかもしれないが、個人的には非常に退屈で…。「エレファント」と「小説家をみかけたら」の間に作成された2002年の映画のようだが、これは実験作品なのだろうか。「エレファント」の構成と比較するといやに「手抜き」をしているようにもみえなくはない。もしかすると脚本とかではなく映像で勝負ということなのかもしれないが、それもまた失敗していると思う。長いカットがわるいわけではないが、その「長さ」をいかに「きる」かも映画編集の重要な仕事だと思う。本来は上映すべきではないシーンが長いとこういう映画にもなるのかも。ちなみにラストの「オチ」もある程度途中で気がついたりもして。「不条理」っていうことだとすると陳腐だが、それすらも感じ取れない退屈なシーンというのはどうにも耐え難い。またマット・ディモンの「顔」というのも映画向きではないことを途中で痛感したりもする。う~ん、なんかこの俳優を大画面とかでみるのはどうにもこうにも…。

着信アリ(三池崇史監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;2日後の日付で携帯電話に自らが電話をかけてきた。そしてその当日に携帯電話を受けた人間は怪奇な死を遂げる…。
出演;柴崎コウ、堤真一、吹石一恵
コメント;「ビデオテープ」での恐怖の感染を描いた「リング」の後、携帯電話を利用したホラームービーが2002年に公開されたのがこの映画。当時はいまひとつこの手の映画に乗り気がしなくてDVDを借りてみてみると無茶苦茶怖い上に画面もまたすごい。鉄条網がゆっくりキチキチちぎれていく場面や日本家屋特有の押入れから手が伸びてくるところなどが感覚的にこわい。スルスルという表現がいいのかツルツルという表現がいいのか、ただ手が伸びたり引っ込んだりといった仕草が恐怖を招く。シナリオ自体は非常に不自然なのだがこれはやはり監督の腕なのだろう。意味不明な粗筋で、しかも主人公は何の根拠もなく廃屋に乗り込んでいったり、「見るな」といわれるものを見たり、役にも立たないのにテレビ局に乗り込んだりといった奇矯な振る舞いをするのだがそれは見ている人間の好奇心を満足させるためなのかもしれない。通常のホラー映画の暗黙の掟をやぶって公開中のスタジオの中ですら、幽霊は大暴れ。さらには目ではみえないがフィルムや鏡には幽霊の姿は映るという吸血鬼の逆バージョンといったアイデア満載のホラー。

素晴らしき哉、人生(フランク・キャプラ監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー ;とあるアメリカの町でのクリスマス・イブ。よろよろと雪の降る中を思いつめたように歩く男とその無事を祈る家族。そしてそれをみつめて語るヨハネと神様がいた…。
出演;ジェームズ・スチュワート、ドナ・リード、ライオネル・バリモア
コメント;ライオネル・バリモアの憎憎しい金持ちぶりがまた素晴らしく、そしてまたジェームズ・スチュワートのとんでもなくオドオドした、しかしいかにも善良なアメリカ人ぶりがまた心にささる。ドナ・リードがクリスマス・ツリーの横で微笑み、レコードの回転とともにローストビーフが回転する様子や廃屋みたいな新居が家族に包まれる様子。人生100パーセント肯定映画だが、否定ばっかりのこの世の中で奇跡のような出来栄えの映画だ。1929年の世界恐慌の様子は住宅貸付会社の様子などもサラリと描かれ、映画の始まりと終わりとに降る雪がまたたまらなく美しい。橋の上からみおろす川もまたとてつもなく冷たそうで、この「冷たそうな川」というのが、なぜかこれだけ特殊映像技術が発達していてもなかなか画面ではでてこないがこの白黒映画ではでてくるのだなあ。不思議だ。
 光と影のシンプルな構成でしかも「トワイライトゾーン」におそらくとりこまれているであろう別次元の世界のお話など、どうして当時の映像技術でここまで表現できるのかが不可思議なほど。脚本もまたねられているし、善人にもみられる感情のぶれやらなんやら身につまされるセリフの数々。「白」「黒」「光」「影」そして1920年代から30年代のハリウッド映画がもっていた心意気みたいなものがひしひしと伝わってくる。
 さて「チャーリーズ・エンジェル」などのドリュー・バリモアはこのライオネル・バリモアに連なる名門バリモア家の一員だが、ジェームズ・スチュワートにもつながるのはおそらく「ファイト・クラブ」「レッド・ドラゴン」などのエドワード・ノートンではなかろうか。けっしてスッキリした体型ではないのだが、どことなく不器用なその仕草は両者に通じるものがあるような気もする。クリスマスに、そして新年にはやはりふさわしい定番映画ということになりそうだ。小道具の使い方もすばらしい…。

シルミド(カン・ウソク監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;1968年から映画は幕をあけ、朝鮮民主主義人民共和国の特殊部隊約30名が韓国大統領府近くまで侵入。韓国警察部隊にも被害者を出しつつもそのほとんどを殲滅するという事件発生。その後、大鑑民国中央情報部でも危機感が強まり、対朝鮮民主主義人民共和国への特殊ゲリラ部隊創設を決定する。特殊訓練の対象は死刑執行前の犯罪者が中心で彼らの多くは極秘のうちにシルミ島に送られ、特殊訓練を受ける…。
出演;ソル・ギョング、アン・ソンギ、ホ・ジュノ
コメント;南北の朝鮮半島の複雑な歴史をみる。実は一度ソウルとプサンに行ったことがあるが当時はかなり北と南とで緊張感が漂っていたように思う。プサンで映画をみたときに上映開始前にスクリーンに韓国の国旗が映し出され、観客全員が直立不動の姿勢をとるという国家意識の浸透ぶりだった。朝鮮半島の緊張感と日本の国家意識とではまた事情が違うことをそのとき感じた。というのもかなり市街を歩いていても警官や軍人の姿をよくみかけるので、街の中に軍隊と市民が共存する形式になっている。日本で自衛隊がもし同じようなことをすればすぐ世界中にばれるだろうが、韓国ではソウル市内で銃撃戦とはいっても70年代であれば確かに共産武装ゲリラといっても不可思議ではない緊張感があると思う。
 ただし映画としての完成度は個人的にはちょっとなあ、という感じ。映画の冒頭あたりの音楽は「ザ・ロック」にあまりにも似通っているし、ラスト近くのバスのシーンではどうしてもクリント・イーストウッドの映画を思い出す。しかもクリント・イーストウッドのほうが面白いわけで、あれだけ陸軍や警官隊に銃撃されながら、バスのタイヤは無事というのも解せない話ではある。イーストウッドの銃撃戦は「駅馬車」と同じく映画的虚構の上に成立するわけだが、この映画は一応ノンフィクションを「もとにした映画化」というタテマエなので説得力が欠けるなあ…。あまりこうした非公式部隊を美化するのもどうかと思うし、おそらくはベトナムへ派遣とか中央情報部の「暴走」とかいろいろ諸説がでてくるのもやむをえないとは思う。ただこの手の映画ではどうしても武装決起した人間の美化になってしまうのだがやっていることはとんでもない国際法規違反と暴力公定、武装決起美化のイデオロギーでこういうのはあれかな。日本にも「皇帝のいない八月」とかいろいろな映画があったけれど、東南アジアとくに儒教の強い国では美学になってしまうのかな。でも映画の美学と軍人の美学、そして国際法規の美学のいずれにてらしてもこの種類の映画がヒットしてしまうというのは危険だと思う。映画は一種のイデオロギーの装置でもあるわけだが、だからといって確信犯としてそうした歴史の事件を材料にこの時期にこうした映画を作るというのは、もしかすると映画というものを映画以外のことに利用しようという危険な「匂い」すら感じずにはいられない。ま、それに2~3年訓練したぐらいで特殊精鋭部隊ができあがるということもちょっとありえないと思われ…。「精鋭」ってやっぱり単に銃の扱いがうまいとか「勢い」があるとかそういうことでもないっていうあたりまえのことをもう少し丁寧に考えていく努力は必要ではないかと思う。そうした丁寧さがない場合には映画にも民族にも法律にもちまたの平和主義的イデオロギーにも逆の軍国主義的イデオロギーにもどこにもひっかからない「中途半端な」「英雄きどり」を量産するだけになってしまうとも思われ…。

ギャラクシー・クエスト(ティーン・パリソット監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;1979年にテレビで放映されていた(という想定の)「ギャラクシー・クエスト」。熱狂的なファンに囲まれつつも出演していた役者たちはあまり恵まれない役者生活をおくっておりワゴンでファン会場をまわり家電製品の安さなどをアピールしていた。そこへある日本物の宇宙人があらわれて…。
出演;ティム・アレン、シガニー・ウィーバー、アラン・リックマン
コメント;シガニー・ウィーバーはこの映画作成時には49歳か50歳と思われるが、そうは思えないほどの妖艶ぶりでみているほうもクラクラするほど。アラン・リックマンも英国俳優で「リチャード3世」にも出演している「名優」(?)という役どころ。実際のところ「ラブアクチュアリー」など最近でも大活躍しているが、なんとこの映画では飛び蹴りシーンまで披露してくれる大サービス。シガニー・ウィーバーはもちろん「エイリアン」シリーズとだぶらせてみるのが本筋だろうが、いや50歳にはみえない…。あほらしいといえばあほらしいが、なんとなくうらぶれたオッサン、オバハンたちとかつての彼らに夢を抱くティーンエイジャーとの落差が非常に面白い。現実とテレビと映画と3役の演じわけになるのだがこれもまた名優が揃っているのでぜんぜん違和感なし。B級映画の王道をいく名作といえるのではなかろうか。「ネバー・サレンダー」と叫ぶ彼らの姿はもちろんアメリカ合衆国の政治状況そのままを写像した「正義感一直線主義」なのだが、それを一種のギャグにまでもして、さらにファン会場にあふれるコスプレファンなどに微妙に日本のアニメなどの影響も感じさせる。もちろんこの80年代初頭という舞台設定にはもう戻れないわけだが、それにしても面白い。巧みな舞台設定と、物語の枠組設定が二重三重となって快楽としての世界へ導かれる…。
 保安主任となるサム・ロックウェルの名わき役ぶりもまた面白い。「確信犯」としてテレビシリーズの乗務員6の役を演じていたりするわけで「マッチスティックメン」で輝いていた詐欺師ぶりと妙に役がだぶる…。
 そしてタガート船長の自宅という設定の家。この家「チャーリーズ・エンジェル」にも使用されたロスアンゼルスの有名な邸宅ではなかろうか。結構有名な家で崖に面していてロスの夜景が見事という話を聞いたことがある。多分「ベティ・サイズモア」でも舞台に使われていたはずだが、この家にすんでいるという設定でティム・アレンのみが非常に経済的に成功していたという様子が伺える。いや、王道をつっぱしってて本当に面白い…。

呪怨(清水 崇監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;福祉ボランティアの代役としてある一軒家の老女の介護に赴くが、その老女はほとんど反応がない。しかし2階から物音がするので押入れをあけるとそこには…
出演;奥菜恵、 市川由衣、上原美佐
コメント;もう一人伊東美咲という女優が妹役で出演していたが、え~と。とりあえず「可愛い」と世間では称される女優が揃ったって言うかんじなのでしょうか。現在、テレビ版の「電車男」のエルメス役ででも注目されているみたいな人らしいですが個人的にはまったく関心がわかないタイプ。一番面白いと思ったのが、死んだ刑事の忘れ形見の役を演じた上原美佐で、奥菜恵はジーパン姿だと足の短さがやや目立つ感じがしていただけない。やたらにレトロな服装を着ていたのは演出なのだろうけれど、演出で救われたタイプの女優だと思う。市川由衣はこの後「2」にも出演しており、「呪怨2」から先にみた当方としては「2」の方がまだ面白かったのかもしれない。一説にはビデオの1・2を先にみておけば劇場版の1・2も楽しめるという趣向らしいのだが、それってある意味観客を度外視した映画構成でもう少しなんとかならないものか。もっともハリウッド版はもう少しわかりやすくされているみたいなのだが。ただ、小さなエピソードを積み重ねていくホラー映画方式は今後もっと発掘していっていいジャンルではないかとも思う。もう少しストーリーとか「呪い」とかにひねりがある方式でないとなあ…。まったく怖くもなんともない。

駅馬車(ジョン・フォード監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;アパッチ族のジェロニモが大暴れをしている最中、ローゼンバーグに向けて駅馬車が走り出す。わけアリの銀行員、粛清婦人会に追い出された呑み助の医者、売春婦、そして行商人などいろいろな事情を抱えた人間を乗せて駅馬車は走り出す…。
出演;ジョン・ウェイン 、クレア・トレバー、トーマス・ミッチェル
コメント ;だいぶ前にみた映画で粗筋もおぼつかないので再び見直してみる。この映画を見る前になくなれた淀川長治さんの「映画千夜一夜」ですごく楽しそうに映画が語られていたのが印象的だったということもある。先日なくなったハリウッドのアン・バンクロフトのお父さんであるジョージ・バンクロフトが保安官の役で出演しているのだがすごく味わいがある。監督のジョン・フォードが映画を撮り始めた歴史もこの本に詳しい。ジョン・フォーそのお兄さんがフランシス・フォードという活動写真の監督でそのヒキでハリウッドにはいってきた歴史が詳しく語られている。で、このお兄さんのフランシス・フォードはこの「駅馬車」にも出演していたりする。癖のあるイカサマ賭博師の役にはジョン・キャラダイン。この人の息子がデイビッド・キャラダインで「燃えよ!カンフー」を経て「キル・ビル」でかつての愛人に殺害される役を演じている。
 今はどうか知らないが本郷あるいは根津といったほうがよいのだろうか。坂の途中に「駅馬車」という居酒屋があり、その中には淀川長治さんのサインと色紙が置いてあった。「ステージコーチ」を翻訳で「駅馬車」としたのは、この淀川長治さんで一説にはこの映画の宣伝をやりすぎて映画会社を解雇されたとかしないとかという逸話もある。ただ日本の映画ファンにとっても「ステージコーチ」が「地獄馬車」とかにならなかったのは良かった。
 もちろん名作だししかも出演している俳優の息子や娘がハリウッドでベテランの領域からすでに亡くなれたり、老け役に徹している時代となった。しかも現在でも十分鑑賞に堪える面白さ…というより現在でも群を抜いて面白い。もちろんアパッチ族の撃った弾丸やら矢とかがなぜ馬にあたらないのかなどという映画的虚構にあふれているが、それがまたその後のハリウッドの歴史を作り上げていったのだろう。スピード感やら走る馬車から銃撃をしたりする場面などは今でもカーアクションなどで相当に引用されていると思う。いわばその後のアクション映画のプロトタイプと同時に最先端のアイデアを持ち込んだ映画なのだと思う。ダラス(おそらくは売春婦)を演じるクレア・トレバーと他の乗客との微妙な視線のすれ違いや距離のとりかた。そして逆光を浴びながら夜の家の外へゆっくり歩くクレア・トレバーの後姿がなまめかしくて無茶苦茶美しい。なぜ外の方が家の中より明るいのかなどということはまったく、気にならない照明の美しさで、夜のシーンをはさんだあたりがまたすばらしいと思う。


ガタカ(アンドリュー・ニコル監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;人間の誕生は一生に一度のことであり、親は性別からその身体的特性まで受精卵の段階で指定できる時代になっていた。「最初からハンディを背負うことはない」として肌の色から病的特性の排除まですべて遺伝子段階で可能な時代で恋愛のすえ自然出生した子どもは「普通ではない」とされ、新被差別階級として位置づけられていた。その中でも宇宙産業ガタカは入社試験やその後のプロジェクト採用試験などで頻繁に尿検査や遺伝子検査をおこない、すべて遺伝子レベルで「VALID」か「INVALID」かを重要な参考資料としていた。その中で不適正者として宇宙飛行士になれるはずもないビンセントはある賭けに出る…。
出演;イーサン・ホーク、ユマ・サーマン、ジュード・ロウ
コメント ;マイケル・ナイマンの音楽をピーター・グリーナウェイ以外の作品では「ピアノ・レッスン」以来はじめて聞く。哀切がこみ上げてくるような音楽で、しかもわりと残酷なストーリーでもあるのだが、ラストは一応ハッピーエンディングということになるのだろうか。
 この映画では「遺伝子レベルでほとんどの人生や才能は決定される」という「思い込み」(フレームワーク)をもっている社会の中でいかにしてその「フレームワークを打破」するのかを描いている。一種の根性ストーリーではあるが、もちろんその努力は最後には周囲の理解と犠牲によって達成される。非常に苦い目標達成ではあるのだけれど。
 で、こうした遺伝子問題についての「批判」ということでもなく、ただ一人のビンセントのみの目標達成でラストは土星のタイタンに「夢」めざして旅立つという旅立ちのストーリーにもなっているわけだが、この映画がなぜある程度ヒットしたのかといえばやはり人間は努力すれば報われるといった話に弱いためだろう。いわばかなり保守的なストーリーなわけで、ちょっとこの映画があまりにも多くの人に見られるようだとかえって社会的によくない傾向がうまれるかもしれない。一応「差別反対」「階級反対」といった民主党的なハリウッドの正義感があふれているようで、その実、非常に時代遅れで反動的なイデオロギーもみえかくれする。努力して宇宙飛行士になった…といったところで実は、なんの解決にもならない。むしろ、現実がいかに非科学的で差別的にできあがっているか…人種、性別、貧富…といったことをかえって浮き彫りにしてくれるような映画でもあるようだ。やや危険かもしれない。ナイーブな見方をするだけでは。

テキサス・チェーンソー(マーカス・ニスペル監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;1973年若者が5人惨殺された事件を伝える報道シーンから始まる。おりしもメキシコ旅行からアメリカに戻った5人組は、路上をよろよろ歩いている女性を救出するが…
出演 ;ジェシカ・ビール、エリック・バルフォー、ジョナサン・タッカー
コメント;トビー・フーパーの「悪魔のいけにえ」よりもその続編の「悪魔のいけにえ2」のほうが実は心底怖かった。デニス・ホッパーの復帰第1作も「悪魔のいけにえ2」だったのだが、ありえないというほどレザー・フェイスが大暴れをし、その下劣さは群を抜いていたように思う。もともとはエド・ゲインが実際に人肉を料理して近所に配ったり、皮膚を加工して椅子を作ったりといった「虐殺」をしていたことが、「サイコ」となり「悪魔のいけにえ」そしてこの「テキサス・チェーンソー」へつながる系譜だが、やっぱり個人的には「悪魔のいけにえ2」だなー。
 ただ精肉所で逃げ回るシーンで天井から水が飛び散るあたりには「サイコ」のシャワールームのイメージが引用されているし、さりげなく置かれている「皮革の椅子」が妙に怖かった。1980年代以後、こうした連続殺人鬼も「コングロマリット化」しているらしく、そうした集団作業ぶりが非常に気味が悪い。時代錯誤といった感じもするのだが、この映画の時代設定は1973年。つまり携帯電話というツールがない。おそらく携帯電話があればこうした映画のほとんどは成立しなくなるため、あえて時代をさかのぼったのではなかろうか。妙にレトロな衣装がかえって新鮮にもみえたりもする。特に主役のジェシカ・ビールは結構可愛いし、うっとりするほど気丈な感じ。「エイリアン2」の女性兵士バスケスのイメージかな。
 「汚れ」→「悪辣」「南部」→「粗野」といった「制度的な反動精神」があふれていて、アメリカ南部はもちろんのこと北部でもちょっと受け入れられにくいのかなあ、などと思いつつ見ているうちにレザーフェイスの方にも感情移入している自分自身に「自己嫌悪」に陥らせてくれるというメリットもあり。いや、あんまり進歩しそうでしないホラー映画だが、「お化け」は「物理的に制約されている」といった最低限のお約束はちゃんと守ってくれており、そのあたりは好感がもてる。悪夢の映像化と考えて、あるいは今30代、40代の若き頃の「悪夢」と考えてみると、けっこう味わい深いかも。

地球で最後の二人(ベンエーグ・ラッタルナーン監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;タイ・バンコクに住む青年は自殺願望と空想壁がある読書好き。ただし無口で神経質な彼には話し相手もいない。そんな彼のバンコクの部屋に大阪から兄がやってくる。組長と揉め事を起こしたのだ。一方タイの風俗店で働く姉妹は男のとりあいで路上で喧嘩を始める…。
出演;浅野忠信 、シンヌー・ブンヤサック、松重豊
コメント;カメラは終始固定され、最初から現実と空想の世界が入り混じっている。最初からラストまでずーっと冷徹に出会うはずのない二人が現実に出会い、そして空想で再会するときには二人の心象風景も変化しているという具合。途中、乱雑な部屋の汚れ物がスーッと空に舞い上がる瞬間はまるで御伽噺とか絵本の世界のようだ。現実世界はひたすら暴力的でしかも冷徹でもあるが空想の世界は終始ロマンティックでもある。女子高生の服装をしたシンヌー・ブンヤサックと学生風の浅野忠信がタイのラーメンとコップの水だけで無言に近い会話を映画で展開するのも、すばらしい。だれかがだれかにあって、何かの変貌を少しだけ遂げる。そんな一瞬のドラマをはてしなくギリギリの演出で描いた名作。「殺し屋1」の三池崇史監督も大阪のヤクザとして出演。また竹内力もヒットマンとしての出演で日本映画について造詣が深い監督のまなざしを強く意識。ロケの国際交流基金バンコクセンターの図書室には「殺し屋1」のポスターがさりげなく貼ってあったりする。

オペレーション・ワルキューレ(ヨ・バイアー監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;1943年第三帝国の戦況はかなり悪化しており、スターリングラードでもドイツは大きな損失を出した。しかし総統には負け戦の情報は知らされず、勝手な作戦のみが下される状況だった。シュタウンベルグ大佐はチュニジアで移動中に航空機から爆撃され、右手と左目を失う。そしてベルリンに戻ってみると、本土ですら空襲警報が何度も鳴り響き、ポーランド戦線では村人全員が虐殺されるなど悲惨な「神聖帝国」の戦況だった…。そして同志がつのられ、1944年7月20日。ヒトラーが居住している「狼の巣」にシュタウンベルグ大佐は会議のため赴くことになった…。
出演;セバスチャン・コッホ、レモ・ジローネ、ハーディ・クリューガー
コメント;ヒトラー暗殺を取り扱った映画には「マンハント」というかなり昔のフリッツ・ラングの「名作」(?)がある。このテーマはかなり面白いのだが、もちろん歴史の結果はすでに知られているのでプロセスでみせてもらうより他はない。東部戦線(ロシア、ポーランド)と西部戦線(チュニジア方面)のどちらも映画で紹介されるが少ない予算の中でここまで歴史的に大きなテーマに取り組むのもドイツ人的な几帳面な映画だと思う。独裁国家でものをいうことがいかに難しいかを証明してくれている映画だが、その圧迫感が見事に表現されている。歴史的題材を扱う映画はやはりどれだけ小作品でもそれなりに後世に残る何かがあるのではなかろうか。自決に失敗した将校などその間の悪さはなんとなく実話に基づいていそうな気がしないでもない。なおスターリングラードの興亡については、ロシア側からみた映画で、ジュード・ロウが出演している「スターリングラード」がある。この映画で知ったのだがヒトラーはあともう少し戦車を配備すれば勝てる戦を失っている。そしてその当時すでにナチスドイツに見切りをつけた将校にエド・ハリス、さらにポーランド方面に移送されるユダヤ人の様子などが描写されている。
 この映画のアドルフ・ヒトラーやゲッベルスは妙に生々しい青い光があてられており、凄みが増す。本場ドイツの映画だけに妙な衣装とか演出ではなく、微妙な仕草にリアルな感じが漂い、非常に怖い。なおこのワルキューレ作戦について英国に協力を求めるが断られるシーンが出てくる。この後、フランスにノルマンディー上陸作戦などが展開されるため、このナチス・ドイツの歴史というのはこれからさらに題材が膨らんでいくのだろう。時間も短いし、それなりに楽しめる上いろいろと小さな知識が膨らむ映画。関連諸作品との比較も面白いかも。
(「ヒトラーの積極的な死刑執行者たち」)
 ハーバード大学助教授のダニエル・ゴールドヘイゲンが出版した書籍のタイトル。ユダヤ人迫害、とりわけナチスドイツのおこなった残虐な行為の背後に、アメリカや英国などでも延々とおこなわれていたのがユダヤ人差別(最近はかなり緩和しているらしいが1933年以後ドイツとアメリカの距離感がどれほどだったのかは定かではない)。映画ではまるで民主・自由といったテーマでヒトラー暗殺が企てられたかのような描写だがこれはかなり怪しいとは思う。ドイツ人全体を告発するかのような論調がこのアメリカの大学助教授によってなされた。クーデターというのが必ずしも民主化ではなくアンチヒトラーだとしたら英国がこの行為に協力しなかったとしても無理はないところかもしれない。

エクソシスト・ビギニング(レニー・ハーリン監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;「エクソシスト」より25年前のケニアにさかのぼる。5世紀ごろのケニアの東遺跡から教会が発見された。ただし外観はとても1500年が経過しているとは思えないほど。第二次世界大戦の記憶で考古学者として働いていたメリンが、非公式なバチカンの要請を受けて遺跡の鑑定に向かうが…
出演;ステラン・スカルスゲールド、ジェイムズ・ダーシー 、イザベラ・スコルプコ
コメント;「エクソシスト」でみたオブジェが再び姿をみせる。こういう前ストーリーだとするとケニアでなくしたオブジェが再び1970年代にイラクで発見されたということになるわけだ。マックス・フォン・シドーが演じた複雑怪奇なメリン神父がえらくシンプルな存在になってしまったなあ。おそらくは、ハイテク技術が相当に多用されているのだがアナログな「エクソシスト」と比較してもぜんぜん怖くない。
 ただ「エクソシスト」でメリン神父がイラク遺跡で話をしているときに突然時計が止まり、それがえらく怖かったわけだが、そのシーンへのオマージュはこの映画でもほんの少し使われている。またハエを画面にちらっとみせることで、悪魔のイメージをかもし出すのは、「パッション」とか「コンスタンティン」と同様。この虫にはどうしてもベルゼブブのイメージが…。「ビギニング」では「ルシファー」が悪魔の本来の名前という設定だが、ルシファーが天国から追放された後におりてきたのがこのケニアではなかろうか…という話になっている。逆さ十字とか得体の知れないハーケンクロイツとかいろいろ表現は面白いのだが、ぜんぜん怖くない上にメリン神父にはもっととてつもない過去があってほしかったものだ。つまらなくはないが怖くないホラー映画というのはどうにもこうにも。また、「音」とか「カラス」で怖がらせるという邪道も許しがたい…。