ごとりん・るーむ映画ぶろぐ

 現在584本の映画のあくまで個人的な感想をアップさせていただいています。ラブコメ、ホラー、歴史映画が好きです【^_^】

ニューヨーク・ミニット(デニー・ゴードン監督)

2008-01-04 | Weblog
ストーリー ;双子の姉妹ライアンのうち一人はオックスフォード大学への奨学金獲得のため、またもう一人はデモンストレーションテープの売り込みのためにニューヨークに行こうとするが…。
出演 ;メアリー・ケイト・オルセン、アシュレー・オルセン、アンディ・リクター
コメント;たわいもないといえばたわいもないのだが、このオルセン姉妹は確かに可愛い。やや背が低い印象だがこれは成長とともに見守るアメリカテレビの視聴者の好意などもあってこの映画は成立するのだろう。まともにみているとかなりのご都合主義にて白けるが。
 ロック、授業サボリ、遠出、車、奨学金、大学受験といった10代特有のテーマをそれなりにミックス。でもいまどきの10代がそうした定番のアイテムで感動できるのかどうかは非常に疑問。良くも悪くも「昔の十代」の思い出を21世紀の十代に反映しているような無理も感じた。携帯電話など一部のアイテムは確かに21世紀だが、扱っている内容はまるで80年代。作り手の思いがあまりにも露骨にですぎているような印象も受ける。
(オックスフォード大学)
 英国はかなりの階級社会で、ある労働者階級の人間が学生として入学しても声もかけられないおともあったときく。本当かどうかはともかくありそうな話ではある。研究機関としての大学として著名な教育機関であるが、年間授業料は200万円を超えるともされる。奨学金制度がないととてもではないが卒業はできない。日本でいう保育園は英国ではレセプションスクールとよばれ、7歳で小学校、11歳で中学校に入る。11歳から18歳までが「中学校」に相当するが、これはかなり多様で、
テクノロジーとビジネスを重視した中学校なども制度として存在する。こうしたビジネス専門の中学校は企業がスポンサーだが、ボランティア団体がスポンサーのシティカレッジなどもあるようだ。そして「貴族階級」はパブリックスクールに入り、約2400あるパブリックスクールのうち、1440年設立のイートンなどが有名。
 このパブリックの中からえりすぐりが英国初の大学オックスフォードへ進学する。39の独立したカレッジの集合体で、2つが女子専門、残りは共学である。ちなみにケンブリッジはこのオックスフォード大学の学者が分離して設立したもの。そしてトリヒティカレッジは1546年にヘンリー8世が設立した。入学はもちろんかなりの難関であるうえ、この階級社会は現在も克服されていないため、ただオックスフォードを出ただけでは実はどうにもならないとされているようだ。ただアメリカには継続教育単位など留学先の習得単位をそのまま国内で認定する制度があり、これが利用されているのではないかと推察される。
(ダイブ)
「レコード会社のオヤジの踊りは古い」だのなんだのといいつつ「ダイブ」を楽しむ二人。ダイブももはや伝統芸能に近いということだけは指摘しておきたい。

交渉人 真下正義(本広克行監督)

2008-01-04 | Weblog
ストーリー;クリスマスイブ。交渉人真下は「レインボーブリッジ」封鎖事件の直後テレビのインタビューを受けてその映像が日本中に流れた。そしてそれは新たな知能犯罪者を刺激する。
出演 ;ユースケ・サンタマリア、寺島進、小泉孝太郎
コメント;いわゆるレギュラー陣も少し出演しているが、新たに寺島進が警視庁警視として出演するなど、北野武組と「警部~」シリーズなどの実力俳優も顔見せ。個人的に好きな矢島健一(「ソナチネ」「HANABI」)も冒頭に警視正として室井の責任を追及する役として出演しており俳優はもう日本俳優の最高レベル。八千草薫も特別出演してくれているので非常に楽しく落ち着いた映画。ストーリーも細部の詰めに甘いところはあるが、日本映画の中では出色の出来だろう。ただし福知山線の事故を想起させるシーンがいくつかあり、複雑な思いで映画をみた観客も多いかもしれない。実際の事故の時にはニュースを見るたびに心が痛んだが、この映画では鉄道事故を回避する指令センターの仕事の厳しさや規律の厳しさといったものもかいまみせる。実際にはもっと大規模な人数で司令しているはずだが、職人気質の元管理職など見所は多数。
 そしてまたこの映画での相変わらずのセリフまわしはうますぎる。
「責任は私がとる」(一度言われてみたい、あるいは言ってみたいセリフ)
「カンで仕事するのが面白いところ」(そのとおりだが、それは口に出せない)など日本のサラリーマンには泣けるセリフが多い。また最後は集団の仲間意識がめばえてくるところも実生活ではよくあるところ。ユースケ・サンタマリアの抑制気味のセリフとやや貧相な体つきがかえってリアリティを増してくれている。

 このシリーズはおそらくこれからいくつかの名作を生む可能性が高いが、あとは脚本をどれだけ品質を維持できるか、というところにかかっているように思う。入場料金分のお金と時間に見合う内容と演出はしてくれているし、職人という失われた言葉を復権させてくれている。爆弾処理の演出も取材を相当にしているふしがみえて細かいところに気を使っている映画。ストーリーの一部につじつまがあわないところはあれどそれを上回る面白さである。
(地下鉄14号線)
 首都圏の人にはわかる東京メトロと映画の類似。東陽町と早稲田を結ぶ地下鉄は地下鉄東西線。クモは東陽町から早稲田方面へずっとくだりそこで姿を消す。そして何かの手段で今度は永田町にあらわれるが、この2つの駅は飯田橋を基点として考えると、東西線から地下鉄有楽町線へ乗り継いだことになる。映画の中では特定企業のロゴは巧妙にかくされてはいたがそのロケの背後には南北線や有楽町の文字が…。でもパソコンのロゴはオリジナルで作成していたのでおそらく臨場感を出すための演出だろう。さて現実にはまだ地下鉄14号線というすばらしい計画は存在しない。ただし13号線は都市計画の認可がおりて、池袋~新宿~渋谷~横浜~みなとみらいを結ぶことになる。平成24年開通の予定だが実際にはこの13号線が映画の14号線に相当すると考えてよかろう。もしこの13号線が開通すると山手線や総武線といったJRの既存路線の強力なライバルになると同時に場合によっては地下鉄のほうがメインになるかもしれない。

完全なる飼育 赤い殺意(若松孝二監督)

2008-01-04 | Weblog
ストーリー;三流ホストの関本は、バーの女性主人から500万円の借金の取立てを受けていた。金策に困った関は、携帯電話の誘いで北陸の中年女性の誘いにのあるが、それは仕組まれた罠だった。
出演 ;伊東美華 、佐野史郎、 石橋連司
コメント;モデル出身の伊東美華がすばらしい。この手の映画では大体主役の女優には「大根」が多いとされているが、何気に目を下に配ったり、曖昧な笑みをうかべたりといったさりげない表情に才能がみえる。あまり長いセリフ回しには耐えられそうもない上に、顔もいまひとつだが素顔の品の良さと淡々とした演技がかえって魅力的である。また、女性として「自我」がでてくるあたりのさりげなさもうまい。
 それに比べると大沢需生の演技がどうにもいただけない。顔は確かに三流ホストといった感じだが演技がどうも大仰なのでついていきにくい。これって稲垣吾郎あたりがやるともっと面白くなっただろうに。でも感性で画面を構成し携帯電話とどうにも60年代風の北国の映像のなんとみえない美しさがたまらなく魅力的な映画である。「体当たり演技」などということではなくさりげない表情でみせる伊東美華の美しさをもっと評価してあげてもいいのでは。とにかくすばらしく別の作品でも彼女の演技をみてみたくなる。

 若松孝二監督の「顔」が実は映画監督というよりもむしろ「俳優」としても通じそうないい「顔」である。おそらく相当に酸いも甘いもかみわけてきた方ではないかと思うが扱っている題材はおそらく意図的に「わびしい」「日本」「ぐろい」といった世界である。はたして男性ファンと女性ファンのいずれがついてこれるのか、あるいは誰もついてこれないのかは不明だが、このストーリーを「地」でいく「オオバカモン」が最近警察につかまっており、ストーリーと映画、そして現実との区別もつかない時代なのか…とやや暗澹とする思いもする。いいとか悪いとか、倒錯だとかそうしたこととはおそらく縁がない世界の話で一種のファンタジーでしか成立しえないのに。そして後に残るのは何もない雪化粧という時代劇にもにたラストである。

ケミカル51(ロニー・ユー監督)

2008-01-04 | Weblog
ストーリー ;1971年。ヒッピー風に身を固めた薬剤師エルモは、運転中に薬物使用で逮捕されるその後、裏社会で化学のわかる薬物製造人として有名になり、合法的な風邪薬などを調合して既成のマリファナを上回る薬品POS51を開発して製造に入ろうとする。そして舞台は英国リバプールへと移るが…。
出演 ;サミュエル・L・ジャクソン、ロバート・カーライル、エミリー・モーティマー
コメント;とにもかくにも主役の男性二人よりも殺し屋を演じるエミリー・モーティマーがとにかく美しい。皮のズボンをはいて黒い革ジャンを着込み、ゆったりと仕事にかかる美しさ。女優としてもとにかく最高クラス。ストーリーはまあ、こんなものかもしれないが、カメラがやたらにぶれたりパンしたりするので疲れる。こういうカメラワークで映画をひっぱるのはやめにして欲しい。映像がよくみえない上に何度もそういう演出をすると、ワンパターンで先が読めてしまう気がする。
 エミリー・モーティマーが光り輝く美しさを漂わせる映画でお風呂場でのロバート・カーライルとのラブシーンもなかなか凝っていて面白い。
(積極的中毒)
 ラストはおそらく脳内にあるエンドルフィン系統に関連するものだろう。薬物に頼らないエンドルフィンの発生を積極中毒ともいう。でもこれはジョギングや水泳などで分泌可能だったりもする。人間の脳は数百億の神経細胞とそれを養うグリア細胞からできあがっている。1970年代ではジョン・ホプキンス大学でエンドルフィンをめぐる研究成果が発表されたのだが、冒頭のシーンはそうした時代背景も考慮にいれたものなのだろう。
(A10細胞)
 人間の創造的活動は前頭葉でおこなわれるが、ここを走っている重要な神経回路がA10.記憶や学習などにも大いに関係があるという。ただし快楽系統は視床下部とよばれる部分に相当する。この部分にもA10は関与しているとされている。ただし簡単な身体運動などでもこのA10は刺激できるという。

バイオハザード2 アポカリプス(ポール・アンダーソン監督)

2008-01-04 | Weblog
ストーリー;「バイオハザード」の2作目。「バイオハザード3」ともリンクしているともいう。ゲームを知らなくても楽しめるストーリーなのが嬉しい。
出演;ミラ・ジョボヴィッチ、マーティン・クルーズ、ミッシェル・ロドリゲス
コメント;婦人警官役のバレンタイン(シエンナ・ギロリー)がとにかく魅力的。銃器の持ち方や精神力などにメリハリがついており、他の作品でもみてみたい女優をこの映画で発見。ミラも可愛いのだがやはり「ヒフスエレメント」のイメージが強すぎて…。ただしその「ヒフスエレメント」撮影時に空手などの訓練をしていたのだがこの作品の演技にもつながっていると思う。
 最初はあまり期待せずにみていたのだが、こった低いアングルからの爆破シーンやブルーを基調にした建築空間など演出も細部にまでこっていてすばらしい。「バイオハザード」よりも「バイオハザード2」のほうが面白いようにも思う。アクションシーンもすばらしく、ビルをロープを使ってかけおりるミラの姿が美しい。そしてこの作品の何よりもすばらしいのは、墜落したヘリコプターや交通事故を起こした自動車など、停止している「壊れた機械」が見事に装飾されているところだ。一番手を抜きたくなるのではないかと思われる部分にこだわりがみえ、それがまたパート2にありがたいなチープ感を与えずに、この作品を独自に楽しめる土壌をかもし出している。ぜひともパート3を期待したいシリーズ。今度は大画面で見てみたい。
(アポカリプス)
 紀元前の「種々の黙示録」に由来するようである。もともと新約聖書の一番最後にあるこの黙示録はおどろおどろしい伝説とも予言ともつかない話が「ヨハネの黙示録」として羅列されているが、ローマ帝国の圧政下の下で1世紀ごろに新しい世界の到来を示したものともいえる。アポカリプス自体はユダヤ教やキリスト教などのすべての黙示録を総称して用いられるケースもある。善と悪の二元論でしかもその戦いをしめすもので、「神」が少数の「選ばれた人間」に対して垣間見せた世界観ともいわれる。仏教でいう「彼岸の世界」のようなものともいえるのだろう。伝奇的色彩が強いイメージがあるが…。これをCGで展開するとまさしくこうした映画になるのだろう。
(アリス)
 ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」からとったものではないか。「マトリックス」にも「白いウサギ…」といったくだりで連想させる場面があるが、何かそうしたイマジネーションを想起させる何かがこの小説にはあるのだろうか。迷路のような世界を歩き彷徨う、という展開はまさしく「不思議の国」。
(ネメシス)
 これはもうギリシア神話に由来したものだろう。トロイア戦争は「トロイ」でも映画化されたがあのヘレンのお母さんといわれているのがレダ。ゼウスとの白鳥の物語でも有名。このヘレンのお母さん(レダ)が見つけた卵が実はネメシスという女神とゼウスの卵(ネメシスはガチョウになっていた…)。このネメシスは人間の乱開発に対しての「怒り」から生まれた女神とされている。実にわかりやすいが、そうなるとラストは「フランケンシュタイン」を彷彿とさせる展開となる。人間の傲慢に対するギリシアの神々の「怒り」ともされるこの名前は人口物に対する科学と宗教の対立…といった昔ながらの構図。ワンパターンではあるが、しかし解決をみない命題の象徴でもあるのではないか。


八人の女たち(フランソワ・オゾン)

2008-01-04 | Weblog
ストーリー;真冬のフランスに女性が8人雪の中に閉じ込められる。そして一見平和な普通の上流家庭にみえたが実はその背後に…
出演;カトリーヌ・ドヌーブ、ファニー・アルダン、エマニュエル・ベアール
コメント ;久しぶりに最初から最後まで辛い映画をみた。世界に名だたる女優が8人出演し、男優はなんと背後からの撮影のみという構成だが、推理小説のあまりにも常道すぎる展開にくわえて、おままごとのような歌と踊り。さらにありきたりの暴露というストーリー展開が続いて非常に辛い。わざとらしい俳優の演技もみていて辛く愛だの恋だのといった恥ずかしくなるセリフのオンパレード。もちろんこの映画は大ヒットをしたらしいのだがこれはもう人それぞれの感性とか個性とかそうした部類に属する問題かもしれない。カトリーヌ・ドヌーブも老けたなあとか女性は化粧でずいぶん印象がかわるなあとかそうした見方もできるかもしれない。ただしセリフなどから推察するに脚本は女性ではなく男性が書いたものだろう。あまりにもかたよった見方が多すぎるような気もする。また8人の女優の中ではやはりファニー・アルダンが一番すごい。女優といった雰囲気が漂い、唯一、みれる演技を展開しているように個人的には思う。

アイ、ロボット(アレックス・ブロヤス監督)

2008-01-04 | Weblog
ストーリー;2035年シカゴ。レトロに2004年のファッションで決める刑事はある事情からロボットには警戒心を抱いてる。ある日、ロボット製造企業の著名な研究者が不審な死を遂げる。サミーと自称するロボットが「容疑者」として浮上してくるが…。
出演 ;ウィル・スミス、ブリジッド・ミナハン、ジェームズ・クロムウェル
コメント;CG が織り込まれているのだがどれもチープな印象を抱く。未来図ももう少し想像を超えるような展開があればいいのだが、これまで過去100年間に人類が予想してきた未来図とさして変化がない。「ブレードランナー」の未来図がそれまでのシステマチックな未来像を変革させるのに十分なオリジナリティとエスニシズムに満ち溢れていたのに比較するとあまりにも想像力が貧困なのでは…といった印象がぬぐいされない。メインコンピュータの人の顔の立体アイコンもすでにでつくしているし。「2001年宇宙の旅」のHALのほうがよっぽど未来的である。
 監督のアレックス・ブロヤスは「ダークシティ」という作品を昔劇場でみたことがあるが、これは日本の押井守監督の「うる星やつら2」のほうが作品の完成度が高かったし、興行的には「トゥルーマンショー」のほうが成功したように思う。着眼点はいいのだけれど、しかし今なぜにロボットものなのかが不明。未来映画というのはもっと独創的な映像が連続していないとみていてあきるような気もするのだが。
 ジェームズ・クロムウェルが科学者役で出演。この人悪役めいた役回りが多いのだが(「将軍の娘」など)この映画では理知的な顔をいかして変死するロボット工学者の役回り。ウィル・スミスの学芸会のようなわざとらしい演技には途中でうんざりするが、たまにジェームズ・クロムウェルのおさえた演技が画面に展開して映画をすくってくれる。ラストはもはや「風の谷のナウシカ」のようだ。
(われはロボット)
原作は「われはロボット」として早川文庫から出版されている。ロボット3原則は以下のとおり。第一条・ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。第二条・ロボットは人間に与えられた命令に服従しなくてはならない。但し、与えられた命令が、第一条に反する場合は、この限りではない。第三条・ロボットは、前掲第一条及び、第二条に反するおそれのない限り、自己を守らねばならない。もちろんこの3原則によってこの作品は伝説となったわけだが、21世紀に映画化するにはやや「通俗的」すぎる結論になってしまったのが残念。あとは「見せる」だけというのがやや惜しい。

レディ・キラーズ(コーエン兄弟監督)

2008-01-04 | Weblog
ストーリー ;ミシシッピ川河口の町でマンソン夫人はヒップ・ホップの悪口いい、教会に通う。死んだ夫がまだ生きているものとしてみえる彼女はやや現実離れしたところもあるようだ。そこへ「プロフェッサー」と自称する印象派後期音楽を愛する男が現れる…
出演;トム・ハンクス、イルマ・P・ホールズ、マーロン・ウェイアンズ
コメント ;195年代の映画「マダムと泥棒」をリメイクしたものという見方でよさそうだ。この映画は個人的には久方ぶりのトム・ハンクスの魅力を再確認する映画となった。「フォレスト・ガンプ」のトム・ハンクスよりも「ビッグ」のトム・ハンクスの方が魅力的だったし、「フィラデルフィア」のトム・ハンクスよりも「スプラッシュ」のトム・ハンクスのほうが「哲学的」にみえた。最近やや権威がついてきたトム・ハンクスよりもこうした犯罪映画で可愛くおどけるトム・ハンクスのほうが画面には映える。そもそも3枚目の役どころだったのに妙に「ロード トゥ パーディション」などで父親役などを演じたり「キャスト・アウェイ」で猛烈ビジネスマンなどを演じるよりもこうした悪人ぽい善人のほうが画面にはあうような気がする。顔をみればかなりいい人だというのは伝わってくるだけに、本性を活かした無理のない映画にでたほうがいいようにも思うし、無理のある演技にアカデミー主演男優賞を与えるのはやめたほうがいいのではなかろうかとも思う。コーエン兄弟の演出のワンパターンぶりもつぼにはまっっており、それなりに楽しめる作品だ。

キングダム・オブ・ヘブン(リドリー・スコット監督)

2008-01-04 | Weblog
ストーリー;「カノッサの屈辱」に象徴されるカソリックの宗教体制が完備されるとともに、その23年後に十字軍が派遣され、エルサレム王国が建国された。その後100年、ボードワン4世はらい病にかかりながらもイスラムの王サラディンとの協調体制を築いていたが、その均衡が崩れ始める…
出演;オーランド・ブルーム、エヴァ・グリーン 、エドワード・ノートン
コメント ;1184年フランスのとある村の風景から映画が始まる。どうやらなにかの葬式のようだが、フランスといえばカソリックが宗教改革後もかなり厳しい国。自殺者の葬式らしく首が切断される。さて12世紀にはキリスト教国がエルサレムを奪還し、ボードワン4世によるエルサレム王国が統治されていた。このあたりは非常に微妙な演出だが、テンプル騎士団がサラディンたいして戦闘をしかけ、イスラムとの均衡が崩れ始める。
 このあたりはややイラクに「進出」したアメリカ合衆国への政治的批判の要素を感じる。が、後半から12世紀とは思えない相対主義の観点がオーランド・ブルームによりもたらされ、宗教改革より3世紀も前にカソリック制度についても疑問を呈するとともに、近代戦争の戦術をもエルサレム防衛にあたって繰り広げられる。もともと城壁の防衛戦闘シーンについてはこれまで「トロイ」「ロード・オブ・ザ・リング」などで繰り広げられていたが、この映画がもっとも事実に即しているとも考えられる。「アラモ」の城壁防衛などは論外ではあるが。こうした異教徒が城壁に入ってくる…という構図の映画には、おそらく「ドーン・オブ・ザ・デッド」も取り入れられている気がする。サラディンも実在の人物でリチャード1世と戦い、1192年に休戦協定を結ぶ。キリスト教徒にエルサレム巡礼を許したそうだから当時の情勢としてはかなり開かれた名君だったのだろう。聖地エルサレムに十字軍が向かったのは1096年。エルサレムが十字軍によって「回復」されたのは109年。巡礼者保護のための騎士団がテンプル騎士団ではあるが、映画ではかなり悪辣なふるまいをしていてように描かれるが実際には彼らのフランスでの財産もその後凍結される運命にある。またフリーメーソンとの共通性を指摘される場合もある。この映画で描かれたバリアンというのは実際にイスラムと休戦協定を締結するのに成功したフランス人貴族だったようだ。ただ、12世紀にはありえない思想と、フランスでは前半のべつまくなしに雪がふってるあたり、そしてラスト近くでいきなり登場するリチャード1世など、やや盛り込みすぎの感もいなめない。戦闘シーンも城壁戦闘シーン以外は、案外リドリー・スコットにしては乱雑な演出もある。城壁をはさむ戦闘になると重い甲冑をみにつけ、馬をあやつるのがスタンダードの騎士というのはあまり見せ場がない。「鍛冶屋」がどうして指揮をとれるのか、という疑問もこうした合理性が一番重視される戦闘シーンでは職人の合理性が、戦術を変えたものとして指摘することができる。籠城にあたってなによりも必要なのは戦力の適正配分とアイデアであり、それを忠実に実行し、さらに目標地点が「和議」と「民衆の安全」というように明確化されていれば交渉もうまくいくという寸法だ。リドリー・スコットは肝心の剣術についてはさほどのものではない、というシーンを織り交ぜているがこうしたあたりはこれまでのヒーロー型中心の時代劇とは異なる面白さである。
(聖ヨハネ騎士団とテンプル騎士団)
 この映画の中ではわりと穏健派だった騎士が映画の中で「キプロスに帰る」というセリフをいうのをきいてもしかして「聖ヨハネ騎士団のモチーフか」と思った。もともと医療中心の穏健派ともいえる騎士団で、しかもテンプル騎士団とはそれほどなかは良くない。チュートン騎士団というのもあったが、この騎士団はその後プロシアの植民地化に力を入れる。この聖ヨハネ騎士団は赤十字の紋章のゆわれにもなったようにもともとはエルサレム奪回と医療介護の騎士団なので白地に赤十字なのだが…映画の中ではテンプル騎士団がその紋章をいれている…。
(テンプル騎士団)
 フランスに帰ろうとしたが、実は一番割りのあわない運命をたどる。1314年に団長は異教徒の接触をうたがわれて火あぶりになる。ただしその原因は、フランスにかかえていた財産が異常に多額だったためフランス国王から目を付けられたのだろうといわれている。魔女狩りなどで火あぶりになると、その財産は没収されたためだ。映画の中ではテンプル騎士団と聖ヨハネ騎士団が混在しうて描かれているようにもみえたのだが…。
(イギリスとイスラム)
 こうした休戦協定にはもう一つのエピソードがある。プロテスタントにとってはカソリックよりもイスラム教徒のほうが組みやすい相手だったという事実。たとえばエリザベス1世はオスマン帝国のスルタンにスペイン打倒で同盟をよびかけたこともある。
(エドワード・サイード)
 イスラム教徒はもともと都市宗教としての性格をもっているがこれが遊牧民とイメージが結びついてしまったのはあまりよくないことかもしれない。砂漠というイメージとイスラムはまた結合しているがこれもまた正しいイメージとはいえない。ということでエドワード・サイードの次の言葉を想起する。
「おのおのの文化の維持発展は、異なる別の自己としての他の文化の存在を求めることにある」

トーマス・クラウン・アフェア(ジョン・マクティアナン監督)

2008-01-04 | Weblog
ストーリー;メトロポリタン美術館に明細違いの馬の彫像が運び込まれると同時に金融投資家のトーマス・クラウンは印象派の絵を昼食をとりながら鑑賞する。そしてその日、時価1億ドルの絵が消えた‥
出演;ピアース・ブロスナン、レネ・ルッソ、フェイ・ダナウェイ
コメント;レネ・ルッソがだいたんなシーンをかなり演じるのだが、やや遅きに失したのかもしれない。首筋には年齢的にかなり厳しい「スジ」が写り、目尻の皺なども相当にきびしくなってきている。美術品などが相当に豪華に使用されているので、生身の人間が(レプリカとはいえ)ヨコにたつと比較されてしまうのは辛いだろう。
 42歳独身投資家をピアース・ブロスナンがうまく演じているのだが、007でもこの人は「ピータパン」的な役割だったが、この映画でも中年でありながら、少年のようにファンタジーに生きる世界を演出。メトロポリタンはトーマス・クラウンの野球場と化す。ただし、せこいのか大胆なのかわからない独自の領域でとにかく美術品をめぐる攻防は熱を帯びる。予想しないトリックと予想できるトリックとがあるが、予想できるほうについてはちゃんとセリフなどでフォローがされており、一定程度犯罪映画の歴史などをふまえてきたようにもみえる。モネのかわりにピサロをだしたり、ルネ・マグリットのイメージの多用などは非常に面白い。ラストは恋愛映画の王道を破る展開すら漂う。
 リメイク映画だが、「華麗なる賭け」(原作)にスティーブ・マックイーンと共演していたフェイ・ダナウェイがカウンセラーとして登場。それなりに楽しめるが途中あまりの成金ぶりに辟易する人もいるかもしれない。
(ルネ・マグリット)
 ベルギーの画家だが、「人の子」という絵がかなり引用されている。1898年に生まれたということでちょうど100年目を意識した引用かもしれない。シュール・レアリスムの作家だが、タイトルといい引用といい、「これは人の子ではない」という解釈も許されるぐらいのはちゃめちゃぶり。
(メトロポリタン美術館)
メトロポリタン美術館は1870年に創立され、その後1880年にゴシック建築に改築されている。約6000の美術品が公開されているが実際には24,000の所蔵品をもつといわれている。
(無意識と幼児性)
さて無意識というものはフロイト以後の話になるのではなかろうか。そもそも意識というものが「意識」されるには、デカルトとフロイトの研究成果が必要だったと思う。20世紀初頭のアンドレ・ブルトンの「シュールレアリスム宣言」の影響もルネは受けていると「されている」(実際にはほんとうにそうなのかどうなのかはもはや誰にもわからないが)、夢や幻想といった世界をどんどん作品にとりこんでいったというのが大きな流れであろう。でもそれで人間が「解放」されたかどうかはまだわからない。二次元の映像の中で人間が解放されるには夢でも幻想でもなく、現実の人間関係でしかなかった…というのがこのオチか。それだとするとなぜシュールなのかあるいは印象派でなくてはならないのかはまるでメトロポリタンのように不可解な迷路の世界となる…。