ごとりん・るーむ映画ぶろぐ

 現在584本の映画のあくまで個人的な感想をアップさせていただいています。ラブコメ、ホラー、歴史映画が好きです【^_^】

サウンド・オブ・サンダー(ピーター・ハイアムズ監督)

2008-01-15 | Weblog
ストーリー;2055年。実業家ハットンは他人が発明した高度計算機「TAMI」を利用したタイムトラベルの手法を利用して「タイムサファリ」という白亜紀の恐竜のサファリツアーを開催。6,500万年前の恐竜アロサウルスに「窒素弾」を打ち込んで射殺するというツアーで巨額の富を得ていた。技術の進歩におどろいた国はすぐさまタイムトラベル監督局を設置。そのタイムサファリに監督員を同行させるなど未来に影響が及ばないように細心の注意を払っていた。ただあるタイムサファリから、ミシガン湖には何千ともいう魚が陸にあがって集団自殺を図り、地球の気温が上昇していくとともに植物の異常繁殖。そしてサルと爬虫類が結合したような新しい生物が人類を駆逐しはじめた…。
出演 ;エドワード・バーンズ 、キャサリン・マコーマック、ベン・キングスレー
コメント;う~ん、一種の未来物だし原作はあのレイ・ブラッドベリ・「複雑系」のあの有名な台詞さえイメージできればネタはすぐにばれるのだが、それにしてもかなり陰惨な未来が描写されていてちょっと憂鬱だ。生物の進化系統に大きな異変が生じるにしても、これだけの攻撃的な植物類と新生物が登場してきて人類はそのまま進歩していないというのもやや理解に苦しむ。あれだけの知能と攻撃性をもつ生物ばかりだと、もっと生命体の数は少なくなるのが妥当ではないかとも思ったが…。2055年にはワニもライオンも絶滅しているという設定なのだが、そのワニやライオンなどの特性を新しい進化系統では獲得した新生物がでてくるということなのかもしれない。ベン・キングスレーがいつもの狡猾な「悪役」ぶりを無難に展開。タイムトラベル監督局の役人が「簿給だがあと2年働いてから辞める」などという台詞をはなち、ちょっと日本とは違う労働環境を知る…働いてから辞めてその後の生活を楽しむ、というイメージは日本にはないものな…。

〔マザーボード〕
 映画の中で高速計算機「TAMI」のマザーボードをいきなり研究所から「ひっこぬき」それを大学の研究室に持ち込む過程で地下鉄の水に浸す場面などがあった…。いくら未来でもマザーボードを水に浸して電気回路が正常に動くとは思えず、また技術者がそんなことを許容するとも思えない。この水中シーンではとてつもない水中生物が登場してくるのだが、これだけの大きな体格を支えきれるような小魚なども存在しない地下水路になぜにこれほどの巨大生物が生息できていたのかは不明…。

エミリー・ローズ(スコット・デリクソン監督)

2008-01-15 | Weblog
ストーリー;クレッセント郡地方裁判所では、精神障害の女子大生に「悪魔祓い」を施し、必要な医学的治療を受けさせず死に至らしめた、としてカソリックのムーア牧師が裁かれようとしていた。野心家の女性弁護士エリン・ブルナーはシニア・パートナーへの昇進の見返りとしてそのムーア牧師の弁護を引き受けるが、検察側の緻密な立証の前にどんどん不利な状況へ。そして彼女自身が「魔の時間」とされる午前3時ごろに異臭をかぎ、不審な物音を聞くようになる…。実話にもとづく映画化。
出演;ローラ・リニー、トム・ウィルキンソン、ジェニファー・カーペンター
コメント ;アメリカの地方にはおそらくこうした宗教的に敬虔だが、しかし貧しい家というのもあるのだろう。カソリックの信者らしい聖母マリアの像や十字架のモニュメントが逆に怖い…。奨学金を獲得して大学に進学したエミリー・ローズは、ある日の午前3時に目覚め、身体がベッドに乗り込み、机の上の物が自動的に動くのをみる。そしてその後、見えるはずのないものが見え始め、「6つの悪魔」に身体を奪われた、と主張。教会の信頼も厚かったムーア牧師は悪魔祓いを施すが失敗し、エミリー・ローズは死亡…。ホラー映画というよりも法律はどこまで踏み込むことが許されるのか、といった法哲学の問題に近い。検察側にはメソジストでもある「やり手」の検事がたち、弁護側には「不可知論者」の弁護士がたち、映画をみている観客の疑問を検察官が問いかけるという構図になっている。薬物「ガンバトール」(実際の薬物の名称かどうかは不明)の投与があれば命は助かったとする検察側と、悪魔祓いが必要だったとする弁護側の主張は当初、100パーセント弁護側の敗北の様相だったが、家族側、知人そして本人の手紙といった物象をへて、最後は文化人類学対法律という対決になっていく。映像も「異様な雰囲気」を醸し出しはするのだが、けっしてオカルティズムに陥らないあたりに好感がもてる。検察側(キャンベル・スコット)の主張どおり、チベットの高僧が声帯を2つ使うことや、幻臭や幻想・幻覚ではないかという観客の疑問にも最大限配慮した演出といえるだろう。で、ラストはどうなるのであろう…と期待をした結果、おそらく「法律的には」妥当な結論に落ち着いたように思える。これが一方的なオカルティズムであればここまで評判になるような映画ではなかっただろうし、「現実にあった話」としても取り上げられることはなかっただろう。証人側のセリフや検察側の疑問といった練り上げた脚本と原作があって、そして地方裁判所の妥当な判決が、この映画を一定の話題にした根拠ではないかと思う。検察側のキャンベル・スコットは厳格な様式を重んじるメソジストという役回りを顔だけで表現。このメソジストとは日本でも青山学院大学や関西学院大学に影響を見ることができるし、現在アメリカでも(おそらくは大衆を中心に)第2位の信徒をもつとされる。その厳格さはおそらくカトリックの「いい加減さ」を許すものではないと推測され、法廷におけるキャンベル・スコットの表情がメソジスト対カトリックという宗派の対立あるいは物の見方を表現しているようだ。
 ローラ・リニーは相変わらずの美貌と演技力を発揮。画面全体に輝く美貌は、肌のハリとかきめの細やかさなどでは女優は決定づけられず、真に美しい女優はその顔の皴ですら美しいということを感じさせてくれる。
 ノースウエスタン大学の文化人類学者は、理工系がメインのノースウエスタン大学で「悪魔祓い」を研究していたので、「それほどいかがわしくない」という印象を裁判所にも観客にも与える。一方検察側の証人の医者はホプキンス大学。ボルチモアにあるやはり名門ではあるが文科系のイメージが強く、そこでの精神障害研究よりも理化学的にはノースウエスタン大学の文化人類学のほうが、「科学的」(?)というイメージを持った。「1,2,3,4,5,6」という数字の羅列には、なんとなく数秘学の影響もあるように思う。
 

花井さちこの華麗な生涯(女池充監督)

2008-01-15 | Weblog
ストーリー ;イメクラで働くさちこは新宿のお店を出てから喫茶店へ。そこでは中近東と東南アジア何某国の二人が話しこんでおり、パソコンで3,000万ドルを振り込もうとしている最中だった。さちこの足がよろめいたときに、取引の対象となっている小さな金属が通路に落ち、発砲事件が発生。さちこの額にも銃弾が貫くがそれでも彼女は死なず、そして感覚の奇妙な浮遊感と感覚の時間的遅れを感じつつ、フランス文学や哲学などの知識が流れるように頭に入り込んでくる。そしてドイツ哲学者の家に住み込みで家庭教師をしていたはなこだが、すでにスパイ組織の手ははなこに再びのびようとしていた…
出演;黒田エミ、蛍雪次郎、松江哲明
コメント;マーティン・スコセッシも映画館で見ていたという極め付きのB級エロ映画といっていいが、題材にはブッシュ大統領は南北統一問題などもからめ、最後は地球全体の「今後」まで考えさせるという不条理ぶり。コメディ映画の分類だが、そうはいってもやはり妙な「無力感」と「寂寞さ」が漂う不可思議な画面の連続。特に「指」が動きつつ、テレビの画面が屋上にひかれ、ブッシュ大統領のキッチュな演説が続く中、黒田エミがうらぶれた屋上の床でもだえくるしむ展開は圧巻だ。ハッピーエンドと思わせておいて実は結構哀しく、そしてサバサバとした感じのラストの黒田エミの笑顔が印象的。

乱歩地獄(竹内スグル 実相寺昭雄 佐藤寿保 カネコアツシ)

2008-01-15 | Weblog
ストーリー ;江戸川乱歩原作の短編を4編に分けた映画短編集。「火星の運河」「鏡地獄」「芋虫」「虫」の4編で浅野忠信はすべての作品に主役級で出演。「芋虫」では「屋根裏の散歩者」や「怪人二十面相」など他の乱歩作品へのオマージュも。冒頭の「火星の運河」では3分以上も無音状態で「画面」が映写され、次第に「仮想現実」の世界に入り込む男、「鏡地獄」では鎌倉の和鏡を題材に「連続殺人事件」を明智小五郎が読み解く。「芋虫」では戦争から帰還した傷痍軍人とその「貞節なる妻」の物語。さらに「虫」では舞台女優への一方的な愛を描く。大正ロマン風の小道具と携帯電話の取り合わせが面白い。
出演;浅野忠信 、松田龍平、成宮寛貴
コメント ;江戸川乱歩は嫌いではない(というよりも昔は全集を全部読み込んでいた)が、こうした映画化された「乱歩地獄」を見ると、人によって見方はいろいろなんだな、と思う。現在江戸川乱歩が小説を書いていた土蔵は、立教大学が管理しており、以前その土蔵が公開されたときにその蔵を見に行ったのだが、「奇談」を書いていた小説家とは思えないほど御自宅は端正でしかも御本人の細かいメモが印象的だった。理性か仮想か、といった単純な二元論ではおそらくこの「江戸川ワールド」は把握できないのだろう。といってこの映画ほど画面をビジュアルにこりすぎてもなあ…。乱歩の世界って結局、天知茂のテレビシリーズに尽きるのではないかとも思う。あのテレビドラマの明智シリーズは今でもDVD化されて根強い人気を誇っているが、鏡や虫といった小道具よりもやはり「人間」そのもの、映画でいえば俳優そのものの相互作用が一番見所ではないかと思う。「鏡地獄」で警部役の寺田農と浅野忠信のからみがすくなかったのがはなはだ残念。

CUBE ZERO(キューブ・ゼロ)(アーニー・バーバラアッシュ監督)

2008-01-15 | Weblog
ストーリー;謎の「立方体」に閉じ込められた男女数人。どこからかから連れ去られてきて運ばれてきた。そして6面あるほかの立方体への移動はトラップとの戦いだ。「キューブ」では「数」が解読の鍵だったが、「キューブ・ゼロ」では「文字」が鍵となる。そしてそのキューブ内部をモニターで監視している二人の職員ウィンとドッド。彼らは、「幹部」からの指示をエレベータで運ばれてくるフィルムで受けて、キューブに閉じ込められた男女数人の心理状態や夢の中までもモニタリングする。そしてある日、ウィンは「同意書」が欠けている政治犯の女性がキューブにいることを「発見」し自らキューブの中に乗り込んでいく…。
出演;ザカリー・ベネット、ビビッド・ハバンド、ディエゴ・クラテンホフ
コメント;「キューブ」よりも時間軸は前に設定されている「一種の種明かし」映画ではあるが、たいした「種明かし」ではない。ただ六面体の移動がメインだった第1作と比較すると、エレベーターという外部の移動装置があることから、一種の「上下関係」が画面の中で構築されているように思う。「幹部」は上からおりてきて、キューブにはモニタリング装置から下へ移動する…といった演出。かなりおどろおどろしいキーボード操作をする幹部のメンバーの手つきがちょっと怖い。
 で、どうして失敗作になったか、というと「閉じられた空間」の話をその外部に拡大するとたいていつまらなくなるという原則どおりで、ある程度の「制約」の中で登場人物が行動しなくてはならない…という原則を踏み外してしまったからだろう。「ドラゴンヘッド」でも登場人物が「外」にでていってから話が非常につまらなくなったが、それと同じことではないかと思う。みて損をした気分にはならないが、だまされた気分にはなるかもしれない…。

キング・コング(ピーター・ジャクソン監督)

2008-01-15 | Weblog
ストーリー ;映画監督カール・デナムはハリウッドのプロデューサーたちに試写会を開いていたが、スポンサーを降りるという話になり急遽ベンチャー号に乗り込んでスカル島(骸骨島)に向けて出発。おりしも1929年ごろの大不況でニューヨークのエンターテイメント産業は衰退気味。コメディ役者をめざしていた女優アン・ダロウを急遽主役に起用して太平洋南西部付近を航海。そして突然、ベンチャー号は霧に包まれる…。舞台脚本家のジャック・ドリスコルも無理やり船に乗せて公開中に脚本を書き上げようとするが…。
出演;ナオミ・ワッツ、エイドリアン・ブロディ、ジャック・ブラック
コメント ;ハリウッドの伝統は船にのって「異郷」に出かける…だっただろうか。船の中で少年がニューヨーク市立図書館から借りてきたのはコンラッドの「闇の奥」。ちょうど「地獄の黙示録」で、マーロン・ブランドがカッツ大佐を演じていたときに映画の中で読んでいた本だ。映画の中で出てくる俳優などは実際の俳優たち。「モーリーンの4号の服」というのはモーリーン・オハラのことではあるまいか。そのほかにもジーン・ハーロウ、メイ・ウエスト、フェイ・レイといった女優の名前が飛び交い、船に乗り込むときには映画撮影機材について「ベル&ハウレル社製か?」と確認する場面も出てくる。南西部という場所を指し示す会話が出てきたがベンチャー号がシンガポールやラングーン付近を航海中という設定だったのでおそらく太平洋南西部のことをさしているのだろう。30メートル近い壁が周囲を覆っているという設定だがキング・コング自体は6メートルか7メートルという身長設定。だいぶシーンによって縮尺比率が合わない感じでそれがまず一番違和感がある。
「マニフェスト」「なんのことだ」「積荷明細だ」という会話や「no funny business」(大真面目さ)という表現会話が面白い。粗筋自体は統一感がなくて実はかなりフィルムをカットしたのではないか、という気もする。スマトラ島沖で救助した少年ジミーがなにゆえに傷だらけだったのか、という話の伏線については結局触れられることなく映画は終了。さらに冒頭ではかなりの不況だったが、帰還してみるとニューヨークはかなりのにぎわいだったりするのだが、「時間の経過」とか「どうやってキング・コングを太平洋南西部からニューヨークに連れてきたのか」といった疑問については何の説明もないまま。エンターテイメントであるがゆえにその辺はぼかさないで画面に見せてくれたらもっと面白かったのかもしれない。ナオミ・ワッツの美しさだけがはえる映画だが、しかし画面に展開するナオミ・ワッツのなんともいえない美しさは確かに「ザ・リング」などとはまったく違う女優の顔を見せてくれる…。ナオミ・ワッツがあまりにも印象すぎてエイドリアン・ブロディがかすむほど…「戦場のピアニスト」の人か…。

 暗い画面の中に「緑色」の瞳が輝くナオミ・ワッツがやはりキング・コングの数十倍美しい…。
 1930年代だとするといろいろな企業や銀行が映画産業に投資を開始していたころだ。おそらく試写会に並んでいた人たちはそうした投資家が投資をする産業としてのハリウッドの「シンボル」だったのだろう。
(「フィルムの残りは?」「あと5巻ある」)
 この当時のフィルム一巻は約10分から15分。残り5巻ということは50分から1時間15分程度だが、そんなに見ることもない…というのがスポンサーの気持ちだったのではないかと台詞から推測できる。
(セシル・B・デミル)
 すでに大監督の代名詞として用いられているセシル・B・デミル。すでに1915年には「チート」を撮影してグリフィスのむこうをはっている。そのほかに「十戒」(1923年)「キング・オブ・キングス」(1927年など)。
(フェイ・レイ)
「悲鳴の女王」とよばれるほどの女優。ナオミ・ワッツは実際にフェイ・レイにあったことがあるらしい。1932年作品の「猟奇島」など。映画の中で「クーパー監督の映画に出演中です」というまさにその映画こそが、オリジナルのメリアン・C・クーパー監督の「キング・コング」(1933年)。つまりやはり時代設定は金融恐慌の3~4年後という設定だったのだろう。
(ジーン・ハーロウ)
1911年生まれ。ノーブラで映画に出演したのはこのジーン・ハーロウが最初といわれている。「地獄の天使」など。
(メイ・ウェスト)
1892年生まれ。「ラ・ブロードウェイ」など。やはりB級映画に数多く出演している「ブロンド」。

おそらく…製作者あるいは監督などの一部には「ユング」を意識した部分がかなりあったのではなかろうか。「実在」するとは到底思えない「壁」にしきられた島というのが、まあ、ユング的な一種の「心の奥」「闇の奥」という見方をしていくと、
島→深層心理
アメリカ→ビジネス的な現実的心理
 といった2分構造でこの映画がきっぱり断ち切れてしまう(わかりやすくもあり、単調すぎる映画の見方でもあるけれど)。となると「キング・コング」は男性の中にある女性的なものではなかろうか、とか女性の一部にひそむ深層心理とかそうした見方もできるわけだが、すでにそうした議論はもうどこかでかなりされているのかもしれない。最終的には、エイドリアン・ブロディとナオミ・ワッツが抱き合うシーンはやっぱり必要で、それは統一された人格が完成した瞬間ともみることができるだろう。…で、その二人のはるか下にはキング・コングが飛行機から撃たれて落ちている、という非常にわかりやすい構図にはなる。
 ただそれでも「詰め込みすぎ」と思うのはジャック・ブラックという主人公のようでいて、結局主人公ではなかった存在だ。おそらくそうした単純な構図よりも「映画への想い」みたいなものをおそらく製作者はまた織り込みたかったのだろう。最後はジャック・ブラックがモノローグを語るわけだが、そうした立場ではエイドリアン・ブロディにあの有名な台詞を語らせるよりも、映画監督役のジャック・ブラックに語らせるほうが適切だ、と考えたのではなかろうか。そして見ている観客にはストーリーを飛び越えて、ナオミ・ワッツのイメージだけが増幅していくという結果に…。

ロード・オブ・ウォー(アンドリュー・ニコル監督)

2008-01-15 | Weblog
ストーリー ; 1970年代。ウクライナからニューヨークのリトル・オデッサに亡命してきた一家。ブライトン・ビーチのその周辺はウクライナ亡命ロシア人が多く住んでいた。父親はユダヤ教にはまり母親はカソリック。そして弟は地道にコックとして働こうとしていたが、ある銃撃戦を目撃してから、ユーリー・オルノフは「武器商人」の才能にめざめる。シナゴーグでの「人脈」からイスラエル製の武器の仲買をして、利益をあげ、さらにソビエト連邦崩壊にともない、4万丁近くのカラシニコフ銃やヘリコプタを買い付ける。この時期のソビエト連邦崩壊で約320億ドル近くの軍需品が裏の世界に流出して、ユーリーは園中でいつしか「戦争の王」と表現されるまで巨大な財力を誇るようになっていた…。
出演;ニコラス・ケイジ、イーサン・ホーク、ブリジッド・モイナハン
コメント ;いわゆる武器商人の暗躍を描いた映画だが、おそらく現実的な武器の輸出入はこういう形で行われているのだろう。合法だが限りなく非合法に近い巨大な利益をうむ仲介取引。特に西アフリカ周辺の国々に舞台がうつると、独裁者の残虐さや「自由」「民主」を標榜する過激な軍閥のあちこちに武器を売りつける様子が一種コミカルな形で描かれる。現金の代わりにダイヤが用いられたりする様子や、レバノンでアメリカ軍の在庫品を買い付ける様子など、おそらく映画が描いたのとそれほど変化がない状況だったと推察される。特に皮肉なのはリベリアとシエラレオネの2カ国を描く様子。シエラレオネは西アフリカで国内の民族対立を背景に反政府戦力がダイヤ鉱山を占拠してダイヤで武器を調達しているのは有名な話だがそれを思わせるエピソードがラスト近くにでてくる。また、リベリアのアメリカ解放奴隷の子孫と先住民族の対立などをかかえていた2000年~2001年ごろのリベリアについては「ここまでやるか」というほどどぎつい演出だ。南アメリカ大陸のコロンビア反政府運動などもさりげなくちりばめられており、いわば世界の民族紛争を一気に「商売」としている様子が2時間弱のフィルムになっているというわけだ。ソビエト連邦制の武器をファシストに売ったり、イスラエル製の銃をアラブに売ったりととにかく「裏商売」の危険な分野に才能を見出した男とその男に巻き込まれて破滅していく周囲の様子が「きわめてクール」に描写されている。ドラッグなどで妄想に陥る場面などは出来の悪いオリバー・ストーンみたいな感じもしないではない。ベテランの武器商人を演じるイアン・ホルムや弟役のジャレッド・レトも素晴らしい。


ダーク・ウォーター(ウォルター・サレス監督)

2008-01-15 | Weblog
ストーリー ;1974年。雨の日に母親の迎えを待つ少女。しかし現れた母親はなにかにいらだちながら子供をせきたてて自動車に乗せるのだった。それから31年後2005年のニューヨークでは離婚調停が進んでいた。テーマは子供の親権で、ニュージャージーに800ドルの部屋を借りている父親が親権では優勢。母親のダリアは、「ザ・トラム」(TRAM)とよばれるロープウェイにのってニューヨーク郊外にあるルーズベルト島に900ドルの部屋を借り、地元の医療機関で健康診断書のコピーやチェックをする仕事に携わる。しかしそれもつかの間で、9階の部屋には無人のはずの「10F」から「汚い水」がどんどんしたたり落ちてくるのであった…。
出演;ジェニファー・コネリー 、ジョン・C・ライリー 、ティム・ロス
コメント;始終雨が降り続けている。そして映画が上空からルーズベルト島をとらえるとき、画面の一角にはかならず入ってくる時代遅れの高置式水槽。実際に日本ではすでに発生したことがある事件もあり、途中でどこに「何」があるのかはだいたいわかってはくるようにはなるが、アメリカ人にとってはショッキングな内容だったのではないかと思う。血しぶきも「切り裂き魔」も一人もでてこず、現れるのは小さな女の子と汚くどすぐろい水だけ。それだけでこんなに怖いというのもすごい。画面全体は最初からラストの一部を除いてはずっと曇っており、それがまたすごい演出だと思う。築造30年以上のコンクリートの集合団地が本当に不気味だ。ハローキティのリュックサックなどに日本原作の香りもちらほら。「ユージュアル・サスペクト」で日本人コバヤシを演じたピート・ポスルスウェイトがアパートの管理人として印象的な演技。

ステルス(ロブ・コーエン監督)

2008-01-15 | Weblog
ストーリー;ネバダ州で仮想訓練中のステルス3機。その後、人工知能エディを搭載した4機編成で、空母エイブラハム・リンカーン号から緊急指令によりミャンマーのラングーンに飛ぶ。そこで「命令違反」を人工知能に組み込んだエディはその後、タジキスタンのテロ組織襲撃作戦で規律違反行為を行い、ロシア方面へ突如飛行を始める。残った3機はエディの追撃を始めるが…。そして追撃中明らかにされる「キャビア・スウィーブ」作戦…
出演;ジョシュ・ルーカス 、ジェシカ・ビール、ジェイミー・フォックス
コメント;粗筋自体はとんでもない話でミャンマーへの不当作戦行為、タジキスタンで核ミサイルの弾頭を破壊してパキスタンに死の灰がふりそそぐ…というのはストーリーの展開にはまるで関係なく、さらに北朝鮮やアラスカ、ロシアのステルス2機を爆破と、通常であれば第三次世界大戦にもつながりかねないほどの暴走ぶり。このはちゃめちゃぶりが逆に好ましいのかもしれないが…。空中を高速で走り抜ける感覚は非常に楽しい。「ワイルド・スピード」のときもロブ・コーエンはスピードにこだわっていたようだがこの映画では音速領域にまで挑戦してくれる。
 「ビューティフル・マインド」でプリンストン大学の若き天才を演じたジョシュ・ルーカス。この映画では海軍のエリート将校を演じているのだが、非常にこういうセレブリティな役が似合う。アカデミー主演男優賞を獲得したジェイミー・フォックスは途中で画面に登場しなくなるが、まあ一種の余興のような感じで出演したのかもしれない。
 タジキスタンや北朝鮮、アラスカといった地域をおりまぜながらステルスが大突撃するのだが、ジェイミー・フォックスが映画の中で素数や3にこだわるのが非常に面白い。「正・反・合」とヘーゲル哲学を突然持ち出したり、「素数は縁起がいい」などと、「数秘学」的な思考を映画で展開する。

NOTHING(ヴィンチェンゾ・ナタリ監督)

2008-01-15 | Weblog
ストーリー;アンドリューとデイブは片方は自己中心的で活動的でロック歌手をめざし、片方は引きこもりで家の外から出ることも出来ないというまったく正反対の性格ながら9歳から24年間ずっと友人だった。そんな中デイブはサラという女性と恋仲となり、二人で共同生活をしていた自宅を出ようとするが、横領の疑惑をかけられ再び二人の家に戻ってくる…。
出演 ;デイヴィッド・ヒューレット、アンドリュー・ミラー、マリー=ジョゼ・クロース
コメント;「CUBE」そして「カンパニー・マン」という謎解き映画あるいは閉ざされた空間が主体の映画から一気に「何もない世界」へと発想を転換してしまう映画。89分の短い映画でしかも予算は「CUBE」以上にかかっていないが、まあ、こんな「遊び」もしてみたいという映画監督や俳優の「余興」のようなものかもしれない。ただただ白い世界がえんえんと続き、ビデオゲームや家すらなくてもなんとか人間生きていける…。そんな楽観的な映画ともいえるかも。

サスペクト・ゼロ(E. エリアス・マーヒッジ監督)

2008-01-15 | Weblog
ストーリー;FBI 連邦捜査局の捜査官トム・マッケルウェイは、犯人逮捕時の手続き上のミスからダラス捜査本部からさらに移動。頭痛に悩まされながらも新天地の連続殺人犯の捜査に着手する。一見なんの関連もないレストラン機材の販売員の殺害や小学校の教員殺害事件を結びつける糸口がみつかり、イカロス・プロジェクトに携わっていた影のFBI捜査官ベンジャミン・オライアンが背後に見え隠れしてくる…。
出演;アーロン・エッカート、ベン・キングスレー、キャリー・アン=モス
コメント;キャリー・アン=モスが淡々とした演技をみせてくれてほっとする。「マトリックス」シリーズでやや浮いた演技が気になっていたが、端正な顔立ちからしてこの映画のFBI捜査官のような静かな存在が一番似合うような気がする。頭痛や精神安定剤をばりばり食べているトム捜査官を演じたアーロン・エッカートもなんだかはまり役。粗筋はやはりとんでもない「キワモノ」なのだが、それでも、最後まで見せてくれるのはベン・キングスレーなどの迫力ある演技のおかげか。 BGMがいかにもおどろおどろしいのだが、南部ニュー・テキサスの風景はすごくきれいに撮影されているので音響効果がやや過剰すぎたのかもしれない。映画のロケーションは最高レベルだと思う。湿った南部の空気とシリアル・キラーの息遣いが聞こえてくるような暗い夜の画面はなかなかのもの。

イノセンス(押井守監督)

2008-01-15 | Weblog
ストーリー;前作「甲殻機動隊」の続編。草薙素子少佐が謎の失踪を遂げてから時が過ぎ、公安9課では暴走したガイノイドの対策捜査を続けていた。購入者と警官を惨殺したガイノイドの音声バッファには「助けて」と記録されており、メーカーのロックスソルネル社への疑いが強まる。捜査の過程で問題になってきたのは「人間」と「人形」の境目で、捜査員たちはこの事件の真相に迫ろうとするときに自分にとっての「現実感覚」とも戦う必要性が出てきた。そして真相を探るために北端とよばれるエトロフ経済特区に向けてさらにヘリコプターで飛び立つが、そこに待っていたのは…。
出演 ;大塚明夫 、竹中直人、RUBY
コメント ;デカルトの「フランシーヌ」、リラダンの「未来のイブ」旧約聖書の「詩篇」、ミルトンの「失楽園」といたるところから引用がなされ、画面には朗々とした漢詩が流れ出したりする。「ブレードランナー」以上のアジアハイテク未来を描写する押井監督は、「甲殻機動隊」の部隊設定(ゴースト、電脳、ガイノイド…)といったものを引用しながらも、機械と人間の境界線を限りなく縮小していくことで人間の「存在」を見事なアニメーションで追及しようと試みている。正直、すべてが成功しているとは思えないが、かといって無視はできない作品だ。人間の「魂」=ゴーストすらダビング可能な時代に、なおかつデカルトやリラダンが引用され、そしてエトロフ経済特区では日本とも中国ともなんとも形容のしがたい異様の世界が展開される。そうした「異様の世界」の「展開」ぶりだけでもこの映画ではかなり楽しめる。ネットワークとハイテクが限界まで発達したときに人間はそれでもなお古典に帰っていく…というのが面白い。


ヘル・ボーイ(ギレルモ・デル・トロ監督)

2008-01-15 | Weblog
ストーリー;1944年第二次世界大戦末期。スコットランドの奥地にナチス・ドイツが侵入。英国軍と同行した学者はナチス・ドイツと戦闘状態になり、そこで「ヘル・ボーイ」を発見する。それから数十年がたち、FBIの超常現象捜査局は異次元生物との戦いや調査にあたっていた。そのさなかにロマノフ王朝最後に死んだはずのラスプーチンがよみがえったとの知らせが…。
出演;ロン・パールマン、ジョン・ハート、セルマ・ブレア
コメント;監督のギレルモ・デル・トロの「ミミック」を映画館で見たことがあるが、この監督はおそらく相当な爬虫類好きなのではないかと思う。出てくる怪物がぜんぶは虫類的…。ただキャスティングは案外豪華で「エイリアン4」や「ロストチルドレン」のロン・パールマンが主役。特殊メイクをしていても素顔の特徴が生かされるというかなり特異な俳優の持ち味がこの映画ではなかなか見もの。「エレファントマン」で独特の「脱力感」を演じきるジョン・ハートがまたいいんだなあ。ブルッテンホルム教授役はやはりこの人でないと…。「キューティ・ブロンド」でいけすかないハーバート女子大生を演じたセルマ・ブレアがこの映画では癖のあるヒロイン役というのも個人的にはかなり良かったりして。この映画もともと主役にはヴァン・ディーゼルが予定されていたらしいが、やっぱりロン・パールマンでベストだったのだろう。かなりの「いわくつきB級映画」ではあるが、そこそこ楽しめる。大ヒットしたのもある程度うなずける。
(トゥーレ協会)
 第一次世界大戦後にゲルマン騎士団の一種の非公式組織として活動。ナチスドイツの母体にもなるが、映画ではヒトラーはこのトゥーレ協会の会員になっていて…とあるが実際にそうかどうかは疑わしい。ハーケンクロイツと剣(ロンギヌスの槍ではないかと思われる。この映画にも少しだけ画面に槍がでてくる)。
(サマエル)
 ユダヤ教やキリスト教関係の神話にでてくる「悪魔」でもあり「天使」でもあるいわば「死の天使」といった存在か。映画中では「死の天使」と呼称され、なんと卵で増殖していくという設定になっている。シュメール語では「SAM」は「毒を持つもの」という意味らしいのだが映画の中では「毒」ではなく、むしろ「蛇」(エデンの園の蛇がサムエルという説もある)や「野犬」に近いイメージ。得たいの知れなさを効果的に映画のキャラクターに使ったという感じだろうか。

容疑者室井慎次(君塚良一監督)

2008-01-15 | Weblog
ストーリー;雨の降る新宿で殺人事件発生。発見されたナイフから指紋が検出さえたことから、被疑者の警官を任意同行で調査中、被疑者が逃走。事故で死亡するが捜査本部長を務めていた室井は共同共謀正犯などの罪で被疑者の母親から刑事告訴され、身柄を収監される。一方、刑事弁護人として室井についたのは新人弁護士小原。警察庁出身で警視庁に派遣されている室井をめぐり、警察庁と警視庁とで陰謀がうずまくなか、灰原弁護士事務所が室井周辺を探索。新人弁護士小原にも圧力がかけられる…。
出演;柳葉敏郎 、田中麗奈、哀川翔
コメント;一種の「法廷もの」といえるのかもしれない。これまでの踊る大捜査線シリーズの中ではもっともアナログタイプの事件だが、デジタルカメラで撮影を繰り返す灰原事務所のやり方などは実際にそうしている「訴訟マニア」が多数うまれていることを考えると妙にリアリティがある。ただし新宿北署についてはリアリティがないなあ…。かなりの法律的圧迫を受けつつ室井が一種のがんばりをみせるのだが、ここまで耐えられる精神的エネルギーというのは誰もがもっているわけでもない。「人間には勇気はひとつしかない」と言い切られるこの映画では、みていて非常に辛いものがある…。映画の出来としてはそれほど悪くはないが、かといって無理に見る必要性もないのかも。

蝋人形の館(シャウム・コレット・セラ監督)

2008-01-15 | Weblog
ストーリー;カーリー・ジョーンズはコスモポリタンへの勤務を夢みて月3000ドルの部屋を狩用かどうか相談している。いつまでもアイオワにいるのではなくニューヨークで活躍するのが夢なのだが、彼のウェイドがあまりその話に乗り気ではない。友達のベイジはブレイクと交際しているが妊娠していることをなかなか言えずにいる…。そんな人間模様がある中、アイオワ大学のアメリカンフットボールの試合を見に、全員で出かけるが途中で、15インチのファンベルトが切れてしまった…。迷い込んだ街は奇妙なほど人が少なく、街には「蝋人形の館」が設置されていた…。1930年代、1950年代の映画「肉の蝋人形」の再リメイク。CGを多用した画面は蝋が熱にあぶられてゆっくり溶解していく様子を演出。お見事としかいいようがないセットの数々。
出演 ;エリシャ・カスバート、チャド・メイケル・マーレー、ブライアン・ヴァン・ホルト
コメント ;プロデュースがロバート・ゼメキスとジョエル・シルバーだけあって設定もいくつかの工夫が凝らされている。黒人男性と白人女性のカップルなどもホラー映画では珍しい設定だし、双子の兄妹の「善」と「悪」の対比というのも人間設定が面白い。オーストラリアと米国の合作で映画の設定はアイオワだが実際にはほとんどオーストラリアで撮影されたとのこと。エキストラの数がラストかなり増えているがおそらくアメリカでエキストラを調達するよりもはるかにコストが安かったのではないかと思う