ごとりん・るーむ映画ぶろぐ

 現在584本の映画のあくまで個人的な感想をアップさせていただいています。ラブコメ、ホラー、歴史映画が好きです【^_^】

ドッグヴィル(ラース・フォン・トリアー監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー ;ロッキー山脈のふもとにある小さな村ドッグヴィル。冒頭で道徳の退廃を憂えたトムが村で集会を開き、「道徳」について考えようとする。そこへギャングに追われてきたグレースが登場。村人にグレースを紹介して、試用期間のあと、ギャングもしくは警察に引き渡すかあるいは村全体でかくまおうかということになるが…。村の出入り口は事実上ジョージタウンに向かう道一本で俳優は扉や道路をすべて演技と音声で表現していく…。
出演;ニコール・キッドマン 、ポール・ベタニー、クロエ・セビニー
コメント;製作したのはデンマークだが、出演している俳優がとにかく豪華。前知識がないままに見ていたら「え…」というような大物俳優が端役で出演している。合計3時間にも及ぶ大作だが見始めるとあっという間だ。性格の悪い飲食店の女主人にローレン・バコール、ナレーションを「エレファントマン」などのジョン・ハート、ギャングにジェームズ・カーン。とにかく「突飛」な設定で物語が始まり、あんまり舞台芸術中心の映画は好みではないのだが俳優の熱演に引き込まれてしまう。やっぱり競争の激しい映画世界でトップクラスの俳優が集まるとさして予算がなくてもこれだけの「物語」が演出できたりする。やや露悪的すぎて途中で気分が悪くなるのだが、それはそれでここまで具合を悪くさせてくれる殺風景な映画というのは面白いのかも。空想と現実の世界に遊ぶ主人公がまたとてつもなく気持ち悪いし、他の村人もまた…。赤狩りで恋人のハンフリー・ボガードと戦ったローレン・バコールがこうした役を演じるために出演するというのも意味深でラストシーンのあとタイトルロールに映し出される報道写真も非常に「意味」がありすぎて怖い。ナレーションは「なんの答えもない」と観客を突き放すのだが、舞台装置のようなところでよくこんな激しい演技をニコール・キッドマンは展開できたものだ。かえって非常にやりにくいところもあったとは思うのだが人間の偽善やら小市民性やらといったことをすべて「告発」しているようなストーリー(全部で9章)となっており、非常に具合が悪い。つまり誰しも思い当たるような自己弁護などが延々と展開されるため逃れようがないくらい追い詰められる…。
 ラストでは「ギャングと他の世界とでさして違いはない」などと断定されてしまうわけだが…。オチはありふれているがプロセスが非常に巧妙。いや、根性がなければ見続けるのは辛い映画だ…。

ファイトクラブ(デビッド・フィンチャー監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー ;雑居ビルの中で銃をつきつけられている男。やや神経症気味で不眠症に悩む彼は北欧家具のマニアでもあり、車両のリコール査定をつとめるサラリーマンでもある。地道に暮らす彼だったがある日突然自宅のマンションが「爆破」される…。
出演;エドワード・ノートン、ブラッド・ピット、ヘレン・ボナム・カーター
コメント;1999年の作品だが、この時期はデビッド・フィンチャーについていろいろ思うところもあってみるのを自粛していた。「ゲーム」という作品があったのだが、これがとてつもなく「ヒドイオチ」で非常に疲れた…ということがあったため。ところがこの映画はなかなかの完成度。オチも全然最後までわからなかったし、映像も衣装もスタイリッシュ。
 エドワード・ノートンはもともと好きだし、「眺めのいい部屋」などでエドワード朝の貴婦人を演じたヘレン・ボナム・カーターもすごい役どころ。マーラ・シンガーという名前の役だが最初は誰だかわからなかった。ブラッド・ピットもすごいし役者はもう最高レベル。カメラアングルもハリウッドではあまりお目にかかれない細部にこだわった造り。ややフェティッシュな感じすら漂うほどの家具などへのこだわりがみえる。一種の「こだわり」から生まれた偶然の産物なのだろうがそれがラストには「どん底」へのこだわりで締めくくられるという見事さ。
「どん底」にこだわるのであればもちろんここまでやらなければならないのだろうが、それにしてもよくスポンサーが許可したものだと思うシーンも連続。パソコンショップが爆破されたりするのだがこれは一体…。昔はパソコンといえばマックという感じだったが、1999年の段階でマイクロソフトのショップが出現しているのも興味深い。とにかく「文化」「物質」「商品」といったものをすべて否定しようという「ファイト」なのだが、現実には存在しようがない都会の廃墟そのものが文化だったりする。最後は「資本主義の象徴」が瓦解するところまで描写するのだが…。これが50年代であればデビッド・フィンチャーはハリウッドから除名されているだろうな。

ヒューマン・キャッチャー(ビクター・サルヴァ監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;「ジーパーズ・クリーパーズ」の続編。23年間に23日だけ生物を食べつくし、食べた生物の「機能」を取り込むクリーチャーが中西部と思われるボホ郡に突如現れた…。時代設定は現代とも80年代とも70年代とも説明がまったくつかない荒唐無稽でしかも怖い特撮映画。俳優も美術も気合が入った仕事でとにかく観客を楽しませようというプロ意識が感じられるホラー映画。前作で警察署で暴れまくったクリーチャーなのですでに大方の観客には警察も軍隊も役に立たないことを知っている。近代兵器を何も持たないスクールバスの生徒はいかにしてこの怪物と立ち向かうのか…!!
出演;レイ・ワイズ、エリック・ネニンジャー、ギャリカイ・ムタンバーワ
コメント;やはりホラー映画とはいっても、たとえ付き合い程度でしかフランシス・フォード・コッポラが名前を連ねているだけでも、スタッフの気合の入り方はとにかく「段違い」ということを認識させてくれるB級ホラー映画。美術とか装置とかで予算や技術に手を抜くのがだいたいこの手の映画の「見所」でもあるのだが、細かい設定にまで割りと気を使っている点でサルヴァ監督の評価かなり高し。「ダーティハリー」も真っ青の黄色いハイスクールバスに乗った高校生の一群。バスケットボールの試合の後という設定だが、高校生役の若手俳優人にも手をぬいた様子なし。もちろんこの映画で別の監督、うまくいけばフランシス・フォード・コッポラ、あるいはその娘のソフィア・コッポラ、あるいはその妹のタリア・シャイア、いやいやその親戚の…とハリウッドに蜘蛛の巣のように張り巡らされたコッポラ一族。なんとなく製作に一つ名前があるとこうまで…。
 前作「ジーパーズ・クリーパーズ」の続編ではあるが、この映画だけでも十分に楽しめると思う。ただ意図的な演出だろうが、時代性を全くみせない。車の種類についてもおそらく年代物の車を選び、ほんの少し携帯電話も出てくるが、大体はアナログな無線通信。そして銃も一応画面には姿をみせるのだが、発砲シーンはなく手作りの「銛」が大活躍する。友情アリ涙アリではあるのだが、それだけではすまない究極のキャッチャーぶり。タイトルはおそらくUFOキャッチャーをイメージしたのではなかろうか。楽しめるホラー映画で実は「ジーパーズ・クリーパーズ」よりも面白いのではないかと思う。
俳優の中では霊感のあるという「美少女」ミンクシー役のニッキー・エイコックスが割りときれい。しかも突然インスピレーションに満たされて前作での主役もカメオ出演してくれる。


CODE46(マイケル・ウィンターボトム監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;「外」と隔離された近代未来都市。そこでは特殊な「パペル」という通行カードがなければ移動できない。しかし偽造された「パペル」が上海で発見され捜査員がでむくが…。
出演 ;ティム・ロビンス、サマンサ・モートン、ジャンヌ・バリバール
コメント ;ミック・ジョーンズもカメオ出演している。遺伝子技術を題材にした映画だが、最初に「謎」。そして最後に「謎解き」がされるという作り自体は面白い。ただサマンサ・モートンがいまひとつ可愛くないので感情移入できないというのが本音。髪を短くしてキュートな感じを出そうとしているのはわかるのだけれども顔が丸すぎてダメ。地下鉄とか上海郊外とかアラビア半島などのイメージは面白いけれども。
 ティム・ロビンスが白髪交じりの渋い中年男を演じてたまらない。相手役の女優にはやはりそれなりの人をぜひ。上海のロケシーンも入っていると思うが、かなり近代化されていて、これは絵空事ではなかろう。国際都市上海とシアトルを結ぶ近代未来は、「ブレードランナー」よりもリアル。

フライ・ダディ、フライ(成島出監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;通勤電車の中で居眠りをしている鈴木はどこにでもいる平凡なサラリーマンでしかもバス停には妻と娘が車で迎えに来る暖かい家庭の持ち主だ。ローンはまだ23年分残ってはいるが、一軒家も保有している。そんな中、会社に娘がカラオケルームで顔が変形するほど殴打されて入院したという電話がかかってくる…。
出演 ;堤真一、岡田准一、須藤元気
コメント;最初の画面は天井からの俯瞰図。ゆっくり左へ流れてそして通勤電車の中にすいこまれていく。こうした設定はうまいと思う。だって推定40代前半の鈴木は、中年男性のある意味「ヒーロー」でもあるわけだから。こうしたサラリーマンはだいたい哺乳類動物のように自分自身の世界をもっているし、他人に余計な干渉をしないのが大前提。保守的といわれるかもしれないが、いや実際会社勤めをしている人にはわかるはず。世間話であれなんであれ会社で他人のプライバシーにふみこむようなことはあまり少なくとも表面的にはしない。これ、映画館にはいろいろな年代の人が集まっていたのだけれど、20代の観客ってどう受け止めるのかしら。というのはこれから人生の機軸を固める時期だろうし高校時代はすでに終了しているだろうし。映画の中の高校生はちょっと80年代風でついていけないのだが、これもまた10代が支持する高校生とは違うと思う。在日朝鮮人という設定のスンシンにしてもリアリティがあまりない。「戦う方法は教えるが勝つ方法は教えない」というある意味10代にしては不敵なセリフをはくわけだが…。もっとも岡田准一がそうしたなぞめいた美少年を演じること自体がこの映画の眼目かもしれない。
 堤真一主演の「弾丸ランナー」はおそらく日本映画史に残るランナーズハイのシーンを映画館に展開したが、この映画で家庭を保有した後の弾丸ランナーぶりを堤真一が好演。40代前半でしかも新プロジェクトの担当待ちという「微妙な時期」のサラリーマンが「飛ぶ」姿を演じる。堤がどこまで走り続けるかは不明だがこのまま50歳になっても60歳になっても弾丸ランナーでいてほしいものだ。「灰とダイヤモンド」へのオマージュもでてくるが、これ、ポーランドの歴史と堤を重ねるとまた面白い見方もできる。アンジェイ・ワイダは「地下水道」で走ろうとして走れない。飛ぼうとして飛べない青年を描いたが、この映画ではとことん外へ、上へ、と舞い上がっていく。しかも現実に足をつけているあたりで「ロッキー」とはまた異なるリアリティをもたせて。ラストではモンゴル風、朝鮮風、そしてスペイン風であり80年代的ともいえるカーニバルが画面に展開するのだが、いや、面白い。

 モロ師岡、田口浩正、塩見省三なども脇を固め、鴻上尚司もゲスト出演。「しこふんじゃった」「12人の優しい日本人たち」「キッズ・リターン」など90年代の映画好きな人にはたまらない脇役。
(主役の名前が鈴木さんの理由…)
 日本人の名字で一番多いのが、鈴木だからではなかろうか。中世に発生した名字で、刈り取った稲を積み上げてその上に棒をさして神を呼ぶという儀式に用いられたのがススキ。その後、熊野神社の神官が鈴木と名乗り始めて、拡大し、豊作を願う農耕民族の願望とか神を招聘しようとする意志とかがあるとされている。ただ映画の中で用いられたのはどこにでもいる「普通の人」という意味だったのかもしれない。ただこれだけアットホームな家庭というのは実は探してもありそうにもないが、満員電車で疲れたサラリーマンというのは自分も含めて確かにたくさんはいる。変わったヒーローではない、という演出の一つなのかもしれない。

ケイブイン(レックス・ピアノ監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;アメリカ中西部のわりと近代化が進んでいる炭鉱で出水事故が発生。その炭鉱では初の女性現場監督に就任するが、現場からの信頼をかちえて、地下90メートル下に閉じ込められた家族を含む4人を救出しようとする…。
出演 ;ミミ・ロジャース、ブルース・アルブレス、テッド・シェッケルフォード
コメント;ミミ・ロジャースが炭鉱始まって以来の女性監督官に就任したところから物語が始まる。画質が悪いのと粗筋が粗雑なのが気になるがそれでもミミ・ロジャースは頑張る。さらにいえば字幕のミスもひどい。いや、全部英語でききとれているわけではないから自分の英語力が正しいと力説するつもりはないが、それにしてもこれはひどいと個人的には思う。英語の語感と日本語がまったくミスマッチでこれでは字幕でみている人間には途中でわけわかんないシーンが続出だろう。それでもミミ・ロジャースは、さりげなさの中に知的さもあって映画の中では一人画面にはえる。それ以外はいまひとつではある。炭鉱が出水した場面もいまひとつだし4人が逃げ遅れるあたりも設定が微妙。そもそも音楽聴きながらドリル操作をするなど現実的ではない。問題解決ということでも消防庁とかではなく炭鉱の現場監督官などが中心に対策本部を設定するのも不自然。おそらくこうした出水事故が発生した場合のマニュアルなどはもっと詳細に作成されているはずなのだが…。ただし地下90メートルという重圧はなんとなくわからないでもない。また地域のパーティの野暮ったさというのはこれもまたアメリカ中西部という設定が全面にでてくるのでまあまあ。日本の労働基準法では、女性でも妊産婦以外はすでに炭鉱で働けるようにはなってはいるが、これはこれで本当にそれいいのかは実はわからない。ただ炭鉱労役というものがこれだけ機械や情報設備が発達してもどうしても肉体労働的な要素が強くなる上にリスキーということはわかるので、21世紀にこうした労働・家族・女性・ビジネス・トラブルを題材にする「社会的意義」みたいなものはまああるのか。ただ金を払ってみるべきかどうかはまでは…。いやー辛い時間だった…。

バレットモンク(ポール・ハンター監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー ;1943年チベットの山奥で修行を極めた僧侶は秘伝の巻物を奪おうとするナチスドイツに狙撃される。そしてそれから60年後にニューヨークの地下街にて再びその身を狙われるが、「奇跡の僧侶」としてすでにマスコミに出まくり放題にもかかわらずなぜか逃げようとするわけで、要はストーリーなどないに等しく、ただ見て楽しめばいいのではないか。「ロミオとジュリエット」のパロディとか「マトリックス」の模擬シーンなども満載のアクション。
出演;チョウ・ユンファ、ショーン・ウィリアム・スコット、ジェイミー・キング
コメント;直訳すれば「弾丸坊主」。秘伝の巻物を読み上げると「弾丸をよけられるほどの超能力が身につく」ということで「弾丸坊主」。そんなとっておきの巻物はやはり1943年チベットにやってきたナチスドイツの知るところとなり、その戦いを延々60年ひきずって、舞台はアメリカへと移る。いや、ストーリーは確かにばかばかしいのだが、車が走り抜けたり、夜の街を映し出したり、あるいはチョウ・ユンファの何気ない仕草とかところどころ面白かったりもして。感動するために見る映画ではもちろんないから、そうしたピースごとにみていくという趣旨に徹すればそれほど悪くはない。なにせ他人の女性の家にあがりこみ、「人の家にどうやって入ったの?」と問い詰められても「今はそれどころではない」と言い捨て、巻物を奪うナチスの話を延々と話はじめるチョウ・ユンファ。ありえない展開にどこまでついて行けるかは人それぞれだが、話がやたらにでかい割には、人間の脳をスキャンする機械はやたらにアナログで、意味もなく配水管に水が流れ込んだりする。けっこうそうした展開はいいなあ。60年間というのもそれほど深い意味はないとは思うが、チベットに英国が入り込んだときに60進法を教えたとかそうした流れなのか…とかいろいろ考える。ばかばかしさの究極とその裏腹に「人権団体」「柔と剛」といったテーマもちりばめられ、ほどほどか。老けメイクや各俳優のアクションシーンもけっこうすごいと思う。このワイヤー・ワーク、大変だったと思うがなあ…。


頭上の敵機(ヘンリー・キング監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;1942 年英国931部隊は部下思いの大佐のもとでドイツ占領地域の白昼爆撃作戦を実施していたが成果があがらない。「運が悪い」というこの931部隊にたいして「運などは信じない」と断言し、基礎から見直す准将が931部隊の指揮をとりはじめる。デンマークなど各地の爆撃に成功しつつ、そしてまた名誉勲章受賞者をはじめとする全員の異動願いなどが出され、准将は監察官の監査などにその地位が危なくなるが…。
出演 ;グレゴリー・ペック、ディーン・ジャガー、ヒュー・マーロウ
コメント;1949 年の作品で時代設定は1942年の英国で爆撃を繰り返す米国人航空部隊。20世紀FOX録音部がアカデミー録音賞、ディーン・マーロウがアカデミー助演男優賞、主役のグレゴリー・ペックはニューヨーク批評家協会賞を受賞している。白黒の映画でいわゆる「名作」というと、とてつもなく面白いものと途中で眠たくなるものとに極端に分かれるが、この作品は出演者の99パーセントが渋めの男優ばかりで、脚本やカメラワークそのほかむちゃくちゃ面白い。当時の作品としては異例の2時間10分を超える長編だが、時間を感じさせない。作成時代が1949年ということもあり、冒頭の英国の町並みや電車の中の様子などからすでに現在ではみることのできない舞台装置や風景をみることができる。とくにおおがかりなCGはないのだが、実際に空中戦争の様子を撮影したフィルムを使用していることもあり、迫真性が増しており、「そういえば飛行機というのはこれほどまでにも滑らかに着地したり飛行したりするのだ」などと飛行機が飛ぶ姿にも感動する。どぎつい血液の氾濫などといった俗悪なシーンは一つもなく、「航空用の靴」だけで台詞がなくとも「物語」が進行していく。さらに白黒なのに英国の風景や風が画面にみえるというのもすごい。帽子が風にとばされたり、草木が風になびいたりするがこれがまた今の扇風機でおこす風とは微妙に違ったりする。映像技術と映像の美しさとはまた別個であることが確信でき、ドラマに必ずしもアクションは必要ではないことも確信させてくれる。
 役者も全員抑制の効いた美しい動作で特にグレゴリー・ペックの表情やしぐさの一つ一つが美しい。「白い恐怖」にもつながる汗をにじませる演技や椅子の上に硬直し、やがて硬直が解ける瞬間など一人の俳優が特に大げさなしぐさもなくすべてを表現できうるところに一流の所以をみる。そしてロバート・デ・ニーロやアル・パチーノといった役者がいかにハリウッドをだめにしたかもこの映画の役者の演技をみるとよくわかる。
(当時の爆撃)
 ドイツは英国を爆撃すると同時に、英国もドイツを爆撃するという空爆の応酬といった様相を第二次世界大戦はていしていた。当初はこの映画にもあるように軍事工場が攻撃のターゲットだったが、欧州は雲が低くたちこめるため爆撃目標にむかった的確な爆弾投下ができない(その様子は映画の中でもでてくる)。「白昼爆撃」というのは夜に出撃してもターゲットに狙いをつけることができないという地理的事情も大きい。この映画では1942年当時のまだ「美学」があったころだが、この後、どちらも市街地爆撃作戦に目標を転換していく。ドイツ本土への空爆をこの部隊は彼岸にしていたが、ドイツはフランスを占領していたため、市街地爆破のためにはドイツはフランスから航空機を出撃させればよいが、イギリスは本土からベルリンまで飛行しなければならない。また爆撃機の数もドイツのほうが10倍くらいあったものと推定される。なぜここでアメリカ人を描いているかというとおそらくは、ドイツによるロンドン爆撃や英国によるベルリン爆撃など倫理観が麻痺しつつあった欧州戦線でアメリカ人部隊には精密爆撃といった思想が残存しており、当時のルーズベルト大統領もその旨を表明していたためではないかと考えれる。ただしドイツの航空力は相当に高かったからアメリカのB17ややB24が爆撃される「率」も上昇し、その独特の倫理もゆらぎがみえてくる。東京大空襲などは、部隊は違っても欧州戦線での倫理のゆらぎと無関係ではないだろう。映画「パール・ハーバー」でもベン・アフレックが扮するアメリカ人飛行士は、英国から欧州へ飛び立ち、ドイツ空軍に爆撃される様子を描いている。アメリカが真珠湾攻撃で正式に世界大戦に参加するまで、アメリカ人軍人が寄与できるのはこの英国航空部隊だったということを一連の映画は語っているのかもしれない。ちなみに「パール・ハーバー」では米国航空部隊は太平洋湾沿いの軍事工場への攻撃をすることになっているが、実態はそんなものではなかった…というのは周知の事実。譲れない倫理観と語れない倫理観といったところか。ただしこのようなことが映画のよしあしに関係してくるわけでは、もちろん、ない。
(戦艦主義と航空主義)
 語りつくされているこのテーマだが、それでも制空権〔いまだとすると情報か?〕の戦略的重要性は反省してもし足らない。おそらく映画「エニグマ」から類推して、工場建設などの情報解読部隊を航空部隊が入手してターゲットをしぼるという流れだったろう。パールハーバーでは日本のゼロ式の性能が評価されたが、ナチスドイツの制空権もまた「電撃戦」とよばれるすさまじいものだった。ただし「バトルオブブリテン」には失敗するが、飛行距離が短いことなどからイギリス防空部隊に敗北。このときのイギリスの航空機が歴史に名を残すスピットファイア。ただし1935年代の航空機だったわけだが…。またUボートも(映画「Uボート」参照)、戦争初期には活躍したが、護衛空母に搭載された飛行機の対潜戦略が始まると勢いをなくす。
この後、ドイツ本土はアメリカのB17、英国のランカスターなどに重爆を受けて本土が荒廃していく。ドイツの航空機といえばメッサーシュミットだがこの映画ではあまりはっきり機体がみえない。

スカー・フェイス(ブライアン・デ・パルマ監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;1980年。キューバのカストロ大統領は米国に家族のいるキューバ人のアメリカ行きを認めた。しかしその中には政治犯とまじって刑事犯が何人も混じっていた…
出演;アル・パチーノ、ミッシェル・ファイファー
コメント;アル・パチーノの演技が大仰でついていけない上に、家族を大事にする姿勢となりあがりぶりが途方もなさすぎる。ここまで成功するのに、その方法はないだろうという無茶苦茶ぶりで、現実性が乏しい。画面も信じられないほど汚い。だがミッシャル・ファイファーが独特の美しさを披露してくれているのがいい点か。「ゴッドファーザー」ではダイアン・キートンが演じた役をどぎつくした感じかもしれない。こうしてみると「ゴッドファーザー」という映画の美学は亜流のギャング映画ではおいつけないほどの美学をもっていたのだなあ、などとも思ったり。アル・パチーノが一人でお風呂に入っているシーンでは小説の「華麗なる一族」のほうがショッキングではなかったか。
 80年代という時代のまがまがしさがでているあたり、骨董品的な興味でこれからも見る人はでてくるかもしれないが、脚本がオリバー・ストーンというあたりで話の運びが80年代学生ヒッピーの思い込みに支えられているところに気がつくべきだった…。

アイランド(マイケル・ベイ監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;2019 年。世界中が汚染されて選ばれた人間のみが汚染されずに厳重な健康管理と隔離政策をうけて暮らしていた。抽選により外の世界では唯一アイランドとよばれるところへ月に一人か二人行くことができる。しかしこうした管理された世界に疑問をもつ者があらわれはじめた…。
出演;ユアン・マクレガー、スカーレット・ヨハンソン、ショーン・ビーン
コメント ;いやスカーレット・ヨハンソンみたさで最後までつきあったが途中ラストシーンが3回ぐらいあったようにも思えた。いやシーンごとの設定は悪くはないし、最初からいきなりどきどきさせてくれる。舞台設定が明らかになるについれてスピードアップといきたいところだが、なぜか背後関係が明らかになるについれて話の進行が遅くなり「聞いてないよ~」という隠しネタがたくさんでききて盛りだくさんのシーンが突如終了する。いろいろ「アルマゲドン」や「パールハーバー」などと比較して「今作品は違う…」という批評もあったが、それほど変わりがないじゃん。というよりもスカーレット・ヨハンソンは頑張っているし、ユアン・マクレガーもなかなか。ショーン・ビーンはもちろん大作慣れしているベテランだし、美術もなかなか。人間愛を高らかにうたいあげる脚本も好き好きだが、悪いというほどではない。演出もピカソを壁紙に使うなどこっていると思う。「ダークシティ」や「ブレードランナー」などの作品とは赴きをかえる 2019年の舞台設定。となるとこの作品のまとまりのなさは監督のマイケル・ベイにあるとしか思えないのだが…。

呪怨2(清水崇監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;かつて殺人事件があり、犯人である夫もその後路上で不審死。そして息子は行方不明というあの家でロケをするというのだ…
出演;酒井法子、新山千春、堀江慶
コメント;「呪怨」はみずにいきなりパート2からみたのだが、女優のアップで肌が汚いのが画面にみえてシラーっとしてしまい、後は感情移入がまったくできないままエンディング。ノリピーは大画面でアップに耐えられる女優とはちょっと思えない。体当たりの演技はそれなりに評価もできるが、体のこなしがやはりアイドルなんだよなあ…。ホラーのアイデアとしては、コピー機関連で紙がなぜか大量にでてくるというあたりがちょっとアイデア賞ものか。
 梅図かずおの「蛇女」の影響は相当に大きいと思う。特に階段のあたりはそうだろう。「トイレの花子さん」などからのアイデアもあると思う。ニコラス・ローグの「赤い影」をラストで想起したが、おそらく清水監督はみているはずだ。「赤い影」‥。
 ホラー映画もうまく作ってくれれば楽しめるが、女優の選択からまず気をつかって作ってくれんかなあ、などと思ったりもして。いや別にノリピーが可愛くないとかしばらく見ない間にずいぶん「大人びて」「それなりに」いや「女優魂」みたいなものをみせようとしてくれているあたりは…いやいや…。なんとも…。
 主役が栗山千明だったらもっと…どうなのだろう…。ホラー映画と美人。あんまり相性がよくなく、「ホラー映画とほどほどの美人」で「アップは避ける」‥これかな…鉄則は…。

真珠の首飾りの少女(ピーター・ウェーバー監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー ;1655年。カソリック宗徒の農家の娘が父親が失明したためカソリックの貴族の家に働きに出る。その家には娘の旦那としてフェルメールがキャンバスに向かっていた…
出演 ;スカーレット・ヨハンソン、コリン・ファース、キリアン・マーフィー
コメント;「フルモンティ」で部下に威張り散らす役を演じたトム・ウィルキンソンがフェルメールのパトロン役として出演。もちろん画家のパトロンだからバカではなく、芸術もそれなりに理解しているという役どころ。ラスト間際にはただ椅子に座っているだけで映画の流れを作り出す重要なワンシーンがでてくるのが印象的だ。

 キリアン・マーフィーもすごくかっこいいのだがいかんせん歩くテンポが「28日後…」にそっくりだ。まだあの映画の演技を引きずっているのか…。とはいえオランダの青年役にはふさわしいリンゴ顔。

 画に興味がない人間でもヨハン・フェルメールの名前はどこかで必ず耳にする。17世紀オランダ絵画は世界でみても最高レベルの画家が誕生した時代であり地域だが、その中でもフェルメールというのは贋作が多数生まれるなど、一種のなぞに満ちた天才ともいうべきか。「光」がキーワードだが映画の中でも「光」を材料にした演出が数多くちりばめられている。また主役の女性が「真珠の首飾りの少女」と瓜二つなのがまたすごい。舞台はオランダデルフトで、海(川?)の上を船で横行するシーンが美しい。世界に現存するのは36点。主題はもちろん「真珠の首飾りの少女」だが、絵画では「青いターバン」をまいているが映画の冒頭では白いターバンだ。いつこれが入れ替わるのだろうか。フェルメールの妻はカタリーナといい、1660年ごろに妻の家に移り住む。母親のマリア・ティンスは相当に経済的な援助を与えた模様。ただしフェルメール自身はプロテスタントだがこの母親はカソリックであった。カタリーナは合計で15人の子供を生む(うち4人が死亡)。1672年にオランダとフランスとの間で戦争が始まりその3年後に心臓発作で死亡。
(ネーデルランドという地域)
 もともとこうした海よりも低い地域のことを「ネーデルランド」とい、プロテスタントが多い地域。このネーデルランドがカソリックであるスペインからの支配脱却をはたしたばかりだった(一時期、1477年にハプスブルグ家フェリペ2世の支配下にもなったことがある)。プロテスタントの中でもカルバン派、特に「こじき」(ゴイセン)とよばれるプロテスタントが多かった。15世紀のフェリペ2世はカソリックだから相当に新教徒を弾圧した。宗教裁判もあれば重税もあった。これが後のネーデルランド独立戦争の下敷きとなる。1558年にオランダ独立戦争がオラニエ公ウイリアムの指導によってなされ、北部のカルバン派(造船、貿易業者中心ゲルマン人)南部のカソリック(毛織物、牧畜、ラテン系統)とにネーデルランドは分離され、北部がオランダ、南部がベルギーとして分離独立し、南部は引き続きスペイン系統のハプスブルグ家の支配下に入る。しかしオランダの独立が完全に承認されるのは1648年のウェストファリア条約(30年戦争)になってからだ。
 17世紀はフェルメールだけではなく、哲学者のスピノザ、法律学者のグロティウス、画家のレンブラントといったそうそうたるメンバーが輩出される。経済的にもアムステルダムが国際金融の場として機能しはじめ、北海やバルト海などの内海貿易から東洋との貿易も始めた。さらにベルギー領からプロテスタントの毛織物業者が移住してきて毛織物業も盛んになる。17世紀後半には英欄戦争が3回にわたり発生しそれが国力を衰退させる。
 おそらくこの少女と画家も早くに死んだのだろう。ただし画家をみつめるまなざしをそれを受けてキャンバスにかくフェルメールはこれから地球があるかぎり生きながらえる名作となった。17世紀オランダが世界の中でつかの間に輝いた時代に、楽な暮らしではない、しかし日常生活の中で見出した光。映画としてはいまひとつだが、やはりフェルメールはすごい。
(ハープシコード)
 チェンバロとも呼ばれる。チェンバロはイタリア語でハープシコードは英語。鍵盤をおして、弦をはじいて音を出す楽器で、非常に音が柔らかい。日本におけるピアノと同様に「威厳」をもたすための家具という見方もできるだろう。真珠と同様に芸術感覚を大事にする雰囲気が画面から伝わってくる。17世紀フェルメールが活躍した時期はちょうどベルギーのフランダース地域が主産地だった。フェルメールの絵画の中にでてくるのは「リュカースチェンバロ」。おそらくは映画のとおり自宅に竜カースの製造したチェンバロがおいてあったのだろう。14世紀ドイツには発明されていたので17世紀のオランダにハープシコードがあっても不思議ではないがおそらく価格は安いものではあるまい。また狭いリビングに不相応な大きさでハープシコードがおいてあるのも効果的な演出といえるかもしれない。ルネサンス時期にイタリアで量産されたものが北欧さらには英国へ運搬されたらしい。フランダース地域のあとはフランスのパリで量産された。
どうしてもバロック音楽はハープシコードとされるが古典派でもベートーベンやハイドンがチェンバロを弾いていたことがあったらしい。ただし17世紀にはまだバッハもヘンデルも曲を書いていない。このハープシコードがクラビコード、そして現在のピアノとなるのは18世紀末。いったいフェルメールはどんな音楽を聴いていたのだろうか?


欲望(ミケランジェロ・アントニオーニ監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;売れっ子カメラマンは平和な風景を撮影しようとして公園にいく。老紳士とたわむれる女性を撮影するが、現像して拡大してみると予想もしない「もの」が撮影されていた…
出演;デビッド・ヘミングス、ヴァネッサ・レッドグレーブ、ジェーン・バーキン
コメント;主役のデビッド・ヘミングスは「グラディエーター」にも出演していたというが記憶にない。60年代のインテリカメラマンという役どころを見事に「顔」で表現。所在なさげにプロペラなどのアンティークを収集しクラシックカーを乗り回す。緑のビロードのジャケットと白いズボンが非常にお似合い。マリファナパーティやロックコンサートなど66年の時代には背を向けつつもしっかりその時代の若者として生きている姿。白黒写真の中にみたものは幻想だったのか真実だったのかも「不明」。ただ虚構というものにもてあそばれた中で虚無感だけが最後に残った…というところだろうか。そして事実としては身近な女性たちの「裏切り」。
 バネッサ・レッドグレーブはひたすらきれい。タイトスカートがキュートな美人を演じる。「17歳のカルテ」で精神科医を演じていたはずだがそれは記憶にある。曇り空の下の英国公園の芝生の上を小走りで走り抜ける姿だけでも画面が生き生きするのだからスターとはこういう人のことをいうのだろう。ジェーン・バーキン(シャルロット・ゲンズブールのお母さん)も出演。60年代、特にその夢やらサイケデリックやらが沈滞しつつある時代の鬱蒼とした雰囲気が画面全体に漂い、けっして楽しいものではない。ただこういう時代をへて今があるという…その点だけは確認ができたりもして…

リディック(デイビット・トゥーヒー監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;ネクロモンガー軍団と戦う一匹狼のようなリディック。とにかくアクションでつないでもたせるが…
出演;ヴァン・ディーゼル、ジュディ・デンチ、ダンディ・ニュート
コメント;なんだかよくわからないが、ラストは途中で大方の人間には判明するが、問題はヘリウム星だのなんだのと星の名前がやたらにキャプションででてきて、まず位置関係を把握するのが一苦労。俳優がどの設定でどのような演技をしているのかもいまひとつわからないままアクションが展開していくという思いつきシーンの連続で非常に辛い。一種の宗教物語のようでもありやたらに説教めいているし。
 ただ美術関係は非常に面白い。とくにネクロモンガー軍団の軍艦だのなんだのはエジプト美術のリメイクのようでそれはそれで楽しめる。美術関係のみを楽しみにしてなんとか映画終了までなんとかかんとかたどりつく…。


ザ・ウォッチャー(ジョー・シャーバニック監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;緻密な研究をたてて慎重に行動する連続殺人鬼グリフィン。低空飛行でブロンクスに2機のヘリコプターが飛び、パトカーが走り抜ける。廃屋倉庫の一室にてグリフィンが踊っているがそのシーンの由来は時間とともに明らかになる…
出演 ;キアヌ・リーヴス 、ジェイムス・スペイダー、マリサ・トメイ
コメント;二枚目ではあるが、並んで立つとジェイムス・スペイダーよりキアヌ・リーブスのほうが百倍もかっこがいい。これは身長の問題ではなく一重に顔つきの相違による。つまりジェイムス・スペイダーには昔から思っていたことだが「知性が感じられない」。捜査官を演じていても確かに自己嫌悪に陥るのもやむをえないと思えるほどの失態ぶり。薬漬けの毎日をおくっていて連邦捜査官の、しかもリーダー格として職場に復帰できるのも驚きだが、捜査方法には確かに見過ごしにできないほどの失態ぶり。ある種適役なのかもしれないが…。
 一方キアヌ・リーブスのほうはシナリオ上もこれ以上はないというパーフェクトな展開。このままピカレスクロマンにしてしまっても良かったのに。中国人らしき美人女性も登場するのだが、なんだかなあ。