ごとりん・るーむ映画ぶろぐ

 現在584本の映画のあくまで個人的な感想をアップさせていただいています。ラブコメ、ホラー、歴史映画が好きです【^_^】

毒薬と老嬢(フランク・キャプラ監督)

2008-01-09 | Weblog
ストーリー ;婚約者との結婚届を出したケーリー・グラント。二人で済む叔母姉妹の家に帰ってくるが、近所では上品で親切で通っていた二人。だがしかし身寄りのない老人たちに毒入りワインを飲ませて天国におくることを慈善活動を思っていた。そこへ昔札付きの悪だった兄がアインシュタイン博士と「死体」をつれて帰ってくる…。
出演 ;ケーリー・グラント、プリシラ・レイン、 ピーター・ローレ
コメント;1944年作品。おそらく1928年ごろの「フランケンシュタイン」「フランケンシュタインの花嫁」を意識したメイクアップなどもあったりして。舞台ではボリス・カーロフが演じた役をレイモンド・マッセイが端整な身のこなしで演じる。
 舞台が基礎ということもあるが、どうしても舞台設定や役者の演技が舞台の演技になるのはやむをえず、あらためてケーリー・グラントの演技って下手なのだが、この演技の下手さ加減がある意味ケーリー・グラントの売りでもあるので、ここまでくると高貴な香りまで漂う。暗くなった部屋の向こう側からライトがてらされて、暗いはずの地下室から白い光が差し込む。窓の下のベンチから死体を運び出すとき、キッチンや地下室に通じるドアの隙間から白い光が差し込んでくるシーンがただそれだけで怖く、暗い画面が映し出されたシーンではただ物をひきずる音だけが聞こえる。白と黒のシンプルな画面なのに無茶苦茶怖い。血しぶきがまうわけでもなく、死体が画面にあらわれることもないのに、考えられないほど異常な出来事が進行しており、しかもそれは特定の一族全員に共通してみられる現象で、その血を引いているとおもったケーリー・グラントはただひたすらおびえる。
 アクションやコメディタッチの演技はケーリー・グラントの得意とするところ。キスシーンもあるのだが、ぎこちない演技がまた好ましいのかも。
 もともと名作の誉れが高い作品だが、見ていない方には是非お勧めしたい映画で、とても今から50年以上も前に撮影された映画とは思えないほど斬新で面白い。CGを多用した現在の映画と比較してもおそらく今後100年以上も人気をよぶであろう名作。ピーター・ローレが整形外科医の役で出演。特にセリフが多いわけでもないが、その存在がまた怖い。出演はほかにプリシラ・レイン、ジョセフィン・ハル、ジーン・アディアなど。

マイ・ボディガード(トニー・スコット監督)

2008-01-09 | Weblog
ストーリー ;メキシコ、テキサツシティ。コロンビアを転々としつつ、過去特殊工作部隊の隊員として自らがおこなった虐殺行為への自責から酒びたりになっていた男。かつての同僚を訪ねた折に、とある金持ちの娘のボディガードを引き受けることになる。酒と罪悪感から自殺を試みる夜をへて次第に心の交流が深まっていくが…
出演 ;デンゼル・ワシントン、 ダコタ・ファニング 、ミッキー・ローク
コメント;ダコタ・ファニングはこの映画でデンゼル・ワシントン、「宇宙戦争」でトム・クルーズ、「アイ・アム・サム」でショーン・ペン、「ハイド・アンド・シーク」でロバート・デ・ニーロという大物俳優たちと共演したことになる。こうした出演のオッファーが殺到していると推定されるが、出演料の方もおそらく作品ごとに跳ね上がっているのだろう。ただそうした華麗な経歴を積み重ねているのに、自然体の演技が画面にはえる。デンゼル・ワシントンの幅広い演技がまたダコタ・ファニングと調和して、ダコタ出演の映画の中では一番いい作品ではなかろうか。脇役もミッキー・ロークやラダ・ミッチェル、クリストファー・ウォーケンと幅が広い。「シティ・オブ・ゴッド」に出演していたブラジルの俳優も顔を出している。
 クリント・イーストウッドの「許されざる者」は最終的には生き延びてさらに許されない者として生き残るがこの映画のデンゼル・ワシントンは最終的には「神の平安」を得ることになる。残虐な殺害シーンは「ソナチネ」の沖縄のシーンを髣髴とさせる。また、武器を手に取る姿はクリント・イーストウッドの再現になるが、「ヨハネの黙示録」の「ペイル・ライダー」ではなく「ぺテロの手紙」を暗誦できる彼はその贖罪を最終的に果たす。「交換」が映画のすべてに貫かれているが、新しい命を再び別の命と交換することで主人公は罪のあがないを果たすという交換をする。神がそのときに許した…という流れだが、本当に資本主義的な映画だ。いや、これ褒めているのだけれど。
 画面が70年代風に切り替わるシーンはあまり好きではなく、トニー・スコットの美学というのもいまひとつよくわからなくて、脚本が良かっただけにリドリー・スコットが撮影していたらもっと違う映画になったかもしれないとも思う。ただ俳優がやはりすばらしく、力強さががんがん伝わってくるだけに、映画の世界にどっぷりはまってしまうという仕掛けだ。やや出来すぎのラストはハリウッド映画のためやむをえない選択ではあるが、それを差し引いてもすばらしい。ダコタ・ファニングの水泳のシーンなども相当取り直しをしたはずだがそうした苦労も感じさせない見事な演技。

クローサー(マイク・ニコルズ監督)

2008-01-09 | Weblog
ストーリー;ロンドン。交差点で目と目があった瞬間に「出会い」を感じた死亡記事担当の記者とニューヨークからきたストリッパー。新聞記者の写真を撮影したカメラマンと危ないネットで遊んでいた野卑な医者。4人が織り成す恋と真実探求の物語。
出演;ジュード・ロウ 、クライブ・オーウェン、ジュリア・ロバーツ
コメント;もともと舞台で評判だったシナリオを「巨匠」が映画化したということになるようだが、全然面白くない。理由はといえばこの映画でゴールデン助演女優賞を受賞したナタリー・ポートマンがストリッパーに見えないしいつまた「レオン」とか言い出すか言い出さないかと感じさせるような演技。さらにいつになく卑劣で卑怯な男性役を演じるクライブ・オーウェンがまたこの映画でゴールデン助演男優賞を受賞したりするわけだが、この映画で受賞はしてほしくなかったなあ。「言葉」と「真実」の境目を探る男性と「現実」と「恋」に生きるたくましい女性像との対立…陳腐ながらもそういうシナリオになるのかもしれないが、「言葉遊び」など舞台でやってほしいし、熱演ぶりをあからさまに画面に展開されるとついていけない自分をあからさまにも発見する。他人の恋物語や卑劣さに自分自身を見出すことが出来る人は非常に幸せなのかもしれないが、別れ話の薄汚い様子などを延々と長回しで上映されると日常生活でも見たくない光景をなぜに映画でみなくてはならないのか、もしかしてドラマとドラマチックということは別のものだと思っていたが実は「巨匠」の頭の中では同じことのように認識されているのか、などと自問自答する。ニ分割思考の対立を映画で、しかもアメリカ人2人と英国俳優2人という組み合わせで演出されるのも腹立たしい。階級も2人対2人ということになるが、ここまで対立図式をかもし出す映画って逆に言うときわめてナチスドイツ的な怖さも感じたりする。一面的な調和も単純な二強対立もいずれも「戦争」とか「デマゴーグ」とか「思想統制」とか、とにかく得体のしれない怖い方向へ世間を導く要素の一つ。こうしたある意味反動的な映画がゴールデングローブ賞などとってしまっていいものか、と怖い気分にもなる。
 ジュード・ロウが文学者気取りのロマンチストで、クライブ・オーウェンは医者で日常生活重視の男を演じる。ナタリー・ポートマンがストリッパーでアメリカ出身で、本能のままに生きるという役どころだが、ストリッパー役を演じているその姿が「レオン」の魔チルダとさして変わらないので、キャストミスだろう。ジュリア・ロバーツは英国の貴族階級出身の「芸術派」という役回りでこれもコントラストを描いたつもりでいるらしいが、失敗だ。「エリン・ブロコビッチ」のポーランド出身の活動派とか「マイケル・コリンズ」のアイルランド独立派の恋人とかならまだ許せる役回りなのだが、すでにこの時点で失敗。ジュード・ロウとジュリア・ロバーツが受賞しなかったことはまだ幸いなのかもしれない。
 ジュード・ロウとナタリー・ポートマンでいうと「コールド・マウンテン」で脱走兵の役のジュード・ロウがナタリー・ポートマンの住む家に泊まって食事を取るシーンがあったけれどあの数分間の映像はおそらくこの映画一本よりも美しい場面だったかのように思う。 


世にも不幸せな物語(ブラッド・シルバーリング監督)

2008-01-09 | Weblog
ストーリー ;ボーボワール姉弟は突然火事で両親をなくし、後見人に引き取られる。しかしその後見人の目的は莫大な遺産だった。さまざまな不幸を三人が力をあわせて乗り切る。そして…。
出演 ;ジム・キャリー、ジュード・ロウ、メリル・ストリープ
コメント;最初の画面からパラマウントの「ニッケルオデオン」というスチールが。懐かしい感じがして面白いが最初はともかくラストに向かうにつれて製作者の「遊び」がだんだん高じていく様子が伺えて面白い。通常は最初にお金をかけるのに…。クレジットエンディングでは紙芝居のようなタイトルロールが画面に展開して非常に楽しい。ニッケルオデオンはもともと映画の黎明期にニッケル(5セント)で映画を楽しんでいた時代の呼称。巨大な「目」のモニュメントは明らかにフリーメーソンのものだが、最初から観客は不幸な家族の物語を「覗く」ということになる。一種のキネトスコープのような画面になるわけで、これがまた見ていて楽しい。汽車が車に迫ってくるシーンなどもリュミエール兄弟思い出して楽しいし、主人公たちの活躍はバスター・キートンのようだ。汽車物っていえば「大列車強盗」以来の伝統だし。長女の「発明好き」という発想はエジソンのもじりのようにも思える。


アビエイター(マーティン・スコセッシ監督)

2008-01-09 | Weblog
ストーリー;1927年。史上最大の映画「地獄の天使」の撮影にのぞんだハワード・ヒューズ。彼はその後、TWAを買収し、巨大な輸送用の飛行機を製造しようとする。Uボートの攻撃を受けずにヨーロッパへ兵士を輸送しようとしたのだがそれも失敗。そして航空法をめぐるパンナムとの戦いが始まる…。
出演 ;レオナルド・ディカプリオ、ケイト・ブランシェット、ケイト・ベッケンセール
コメント;「アビエイター」‥英々辞典によると古い表現でいう「パイロット」ということになる(ロングマン「a old –fashioned a pilot」。まずは「地獄の天使」なる映画の撮影現場から話が始まるのだが、その光景がすでに異様。何十台もの飛行機(最終的には87台になる)が並ぶ中カメラをもつハワード・ヒューズ・ジュニアがいる。1905年生まれなので、まだこのメガホンを握った当時は20代ということになる。「地獄の天使」は1930年に公開された映画で、ハワード・ヒューズ・ジュニアが自らメガホンを取る前に監督が降板しているという代物。この映画ではそうした背景はすべて省略するのだが省略していてもそのワンマンぶりから多数の脱落者がでたことは想像できる演出。しかも落下と浮遊のこの感覚がすごい。レオナルド・ディカプリオをのせた飛行機が急降下していく場面があるのだが、据付のカメラが破壊されるとすぐさま手動のカメラを取り出すシーンが印象的。もともと主役も別の女優だったが、トーキー映画に変更するためにジーン・ハーロウを抜擢。二人が公開宣伝日に腕を組んで歩くシーンも映画の中で流れている。さらにいったん完成した無声映画をトーキー映画にするきっかけとなる「ジャズ・シンガー」も映画の中で流れる〈1927年10月6日ワーナーから公開〉。公開日には飛行機を飛ばしたという逸話もこの映画の中でダイナミックに再現。ただ「飛行機が飛んでる」というのではなく「飛ぶべくして飛んだ」という画面構成がおそらく「スカイ・キャプテン」などとは雲泥の差になっているところだろう。1920年代に電話やラジオ放送などが発達したことの影響が大きいのだが、難聴という設定のレオナルド・ディカプリオはちゃんと電話は聞こえるらしい。ちょっとそれがいまいちで、でも難聴気味のハワード・ヒューズは確かに電話やラジオといった媒体よりも映画の方が好ましかったのかもしれない。ジーン・ハーロウはこの映画に出演してからすぐ大女優として活躍するようになる。ただし映画の中でジーン・ハーロウが姿を見せるのは一瞬(その後ジーン・ハーロウは3回の結婚をし、最後は1937年に26歳で他界する。原因は母親が新興宗教の信者で現代医学による治療を拒んだという…)。
 ハワード・ヒューズ自身はハーバード大学中退の父親(弁護士の資格を持っていた)が弁護士資格ではなく鉱物で財を成したことに影響を受けていたのかもしれない。地獄の天使の撮影に入る約4年前に母親、2年前に父親が亡くなり、膨大な遺産を相続する。飛行機がかなり隙だったと見えてヒューズ・エアクラフト社を設立した後、その2年後にアメリカ横断新記録、さらにその翌年に約91時間で世界一周をする。さらにトランス・コンチネンタル・アンド・ウェスタン航空(TWA後にトランス・ワールド航空と改名)を買収。マザコン的な演出はヒチコックを真似たのかもしれないが、これもちょっと…。幼少に何かあったのだろう、とは想像がつくのだが、なぜにハワード・ヒューズ・ジュニアが「巨乳」にこだわったのかはそうした場面からは連続性がないし。
 次に顔を出すのはキャサリン・ヘップバーン。アカデミー主演女優賞を4回獲得して、ジーン・ハーロウとは裏腹に2003年まで存命。「赤ちゃん教育」のキャサリン・ヘップバーンが非常に印象的だったが…。ケイト・ブランシェットがキャサリン・ヘップバーン役を演じているが、ボルチモア出身で自由奔放な性格が画面に「にじみでる」ような演技。キャサリン・ヘップバーン自身はハワード・ヒューズ・ジュニアの後、ジョン・フォード監督、スペンサー・トレイシーなどのそうそうたる男性との交際が有名。スペンサー・トレイシーとの恋愛模様は非常に有名だが、その「マスコミ報道」のあり方を皮肉るセリフも映画の中ではでてくる。「私たちには奇行も多いし…」といったようなセリフ。
 その後はエヴァ・ガードナーだが、晩年のエピソードをTWAとパンナム航空の対立の中にもってくる。精神的に不安定な部分をみせつつ資本主義黎明期のどろどろした部分をさらっと描く。パンナム航空の社長が鍵ごしにタバコの煙を吹き込むシーンや、ゆきづまりをみせたハワードが牛乳を飲み、さらに「排泄物」をきれいに画面の下に並べていくあたりがまた圧巻。黄色い液体が光をじて横一列に並んでいる様子はすごいと思う。
 キャサリン・ヘップバーンのいわゆる「不倫」エピソードも含みつつ、精神的にいきづまったハワードを二人とも訪ねてくるあたりが優しさを感じさせる。この映画好きだなあ。


A.I.(スティーブン・スピルバーグ監督)

2008-01-09 | Weblog
ストーリー;人間の「愛」を電気回路に詰め込み、子供が冷凍治療を受けている両親のもとにロボットが送られる。日常生活の基礎知識もかけているロボットではあるが、「愛」をインプットされたがために母親に特に強い愛情をいだくようになる。そこで再起不能とも思われた息子が車椅子で退院できることになった…。
出演 ;ハーレイ・ジョエル・オスメント 、ジュード・ロウ、フランシス・オコーナー
コメント;おそらくロボット工学がいくら発達してもこのような物語は現実的に不可能だろう。それでもスティーブン・スピルバーグがこだわったのは、偏った愛、いびつな愛という形だろうか。とはいえ最後はやはりホームメイドは「愛」のあり方が提示されてしまうのだが。
 それほどつまらないとは思わなかったが、かといってやはり涙も笑いもぜんぜんでてこないという奇妙な映画。予算が相当にかかっていることは間違いなく、ルージュ・シティのデザインの「えげつなさ」はかなりのもの。ジュード・ロウもロボットみたいな演技で本領発揮。水に沈んだマンハッタンの様子も圧巻だし、近未来映像を楽しむという観点でいけばそれなりの映画かもしれない。


マシニスト(ブラッド・アンダーソン監督)

2008-01-09 | Weblog
ストーリー;約1年間にわたり眠っていないというトレバーは機械工場で働いている。「つきあい」が悪くなった、それ以上やせると死んでしまうなどといわれつつタイムカードを押して工場に通う毎日。昼休みに外にでてくるとアイバンという見かけたことがない男が話しかけてきた…。
出演;クリスチャン・ベール 、ジェニファー・ジェイソン・リー、アイタナ・サンチェス=ギオン
コメント;クリスチャン・ベールの端正な顔立ちが見事にやせこけている。それでいて演技が過剰になるわけでなく、妙な感情移入を要求するわけでもないあたりが好ましい。ロバート・デニーロタイプの役作りかもしれないが、あまりの「痩せ方」にやや衝撃を受けると共にデニーロとは一味違う身体作りを見せてくれる。ラストで痩せる前のクリスチャン・ベールも画面に顔を出すのだが多少メイクの効果があったとしても身体作りも顔づくりも効果満点。スペインとアメリカの合作になるので画面に現れる町並みはスペインのようだ。青空と坂道が非常に美しい光景。「アイバン」と「トレバー」の関係については、すでに同じタイプの映画がいくつもあるので途中で観客は気づくことになるが、だんだん「誇大妄想的に」身近な人間関係を破壊して世界観を構築していく様子がひたすら怖い。クリスチャン・ベールの演技のみでこの映画は逆にもっているような面もあって、例えば赤い車がただちらっと画面にでてくるあたりの演出はもっとなんとかならんかなあ、などと思う。何かを「抑圧」してラストに「解放」されるというシナリオだが、なぜ空港の喫茶店で「マリー」に出会うのか。あるいは意味ありげな看板(「escape」(逃げろ))などと画面に出てくる文字はすべてラストへの伏線になるし、ルート66は地獄への道などとつぶやくシーンも印象的。アナグラムは「ミラー」と「キラー」を引っ掛けたものなど、マニアックな脚本もそれはそれで悪くはないのだが、「何かが起こった後」と「何かが起こる前」の対比が画面に出てこないので、個人的には不満が残る。あと少しだと思うのだが…。

Shall We Dance?(ピーター・チェルソム監督)

2008-01-09 | Weblog
ストーリー;遺産相続関係の事務処理を専門とする弁護士。20年間通いなれた通勤電車の中から見上げるとそこにはうらぶれたダンスホールと、情熱を失った目で下を見下ろしている女性の顔が…。
出演;リチャード・ギア、ジュニファー・ロペス、スーザン・サランドン
コメント ;リチャード・ギアというのはあまり好きな役者ではないのだが、そつなくダンスをこなす姿やエレベーターからバラをもって徐々に上ってくる様子などはやはりこの人でなければおそらく「カタ」にはまらない。白髪に黒いタキシードが妙に似合う。原作は役所広司が演じた役だが、原作ではもっと野暮ったい中年サラリーマンだったと思う。悲哀の度合いではやはり役所広司だが、ダンディズムとなるとやはりリチャード・ギア。で、奥さん役はスーザン・サランドンなのだが、これもまたいいなあ。さりげない日常の美学みたいなものがかもし出されていて。もっとも大女優なのにそれが画面からほどよく隠されているような印象だ。
 脚本がただハリウッド風に大味にカットされているのとラストに夫婦で出現するあたりは、なんとなくアメリカ的。原作では一人で登場するが、確かに伏線を大幅にカットしてしまうとラストで無理やりにでもスーザン・サランドンをパーティに連れて行かざるを得なくなる。リメイクには国の美学が現れるのだなあ、などと思い、そうすると香港アクション映画の美学を貫いた「インファナル・アフェア」シリーズがブラッド・ピット主演でリメイクされるとなるとだいたい方向性がみえてくる。どばどば人が死んで装置が大掛かりとなり、そして伏線のことごとくが大味となってラストに無理やりつじつまあわせ…とならないように祈るが、やはり日本の原作は日本の俳優でみたほうがしっくりくるか…。

インファナル・アフェアⅢ終極無限(アンドリュー・ラウ/アラン・マック監督)

2008-01-09 | Weblog
ストーリー;「インファナル・アフェア」の第1作の直前と直後を描く。ヤンを殺害して「秘密」を封じた後、ラウ警部は庶務課に勤務しつつ内部調査を受けていた。一方香港警察保安部は極秘の捜査活動を進めており、内部調査部や組織犯罪課との捜査上のトラブルも激化。その中で新たな内部通報者として保安部警部のヨンが現れる…。
出演 ;トニー・レオン、アンディ・ラウ、ケリー・チャン
コメント ;「無間地獄」という割には第1作も第2作もピカレスク・ロマンのような趣きがなかったわけでもない。組織の掟や規律と自己の内面との分裂に苦しむ男が二人。いずれも社会正義にめざめていく一方で、犯罪者と警察官との両方の立場の狭間で苦しんでいく。この「矛盾」というのが香港を象徴しているようで興味深い。おりしもこの映画の舞台は香港の中国本土返還の時期に設定されている。資本主義社会の頂点といってもいい香港と世界の中ではもっとも強大な社会主義国である中華人民共和国。香港は本土返還以後は、社会主義の中ではあるものの世界最先端の金融センターとして機能する。「一国ニ制度」という矛盾した立場の中で暮らす公務員や市民というのは、日々の生活の目標やアイデンティティを見失うことはないだろうか。そしてそれは、もしかすると犯罪者にも影響を与えているのかもしれない。
 ブルーの画面を基調に映画はスタイリッシュな金融ビルを描くとともに、香港の下町も描く。この2つに分かれた国で、さらに社会正義と犯罪者としての自己との軸足に悩み、いずれも不眠症への世界へいざなわれる。画面でアンディ・ラウとトニー・レオンが精神科医を軸としてコントラストになって診断を受けるシーンが印象的。二股にさけた香港ではヒットするべくしてヒットした映画で、しかもそれはおそらく無限に続く「地獄」でもあり「天国」なのだろう。

バルカン超特急(アルフレッド・ヒチコック監督)

2008-01-09 | Weblog
ストーリー ;バルカン半島にあるとある国の駅では汽車が運行中止。一晩過ごした上で乗客は特急列車に乗って出発するが、女性客の面倒をみてくれた初老の老婦人が運行中に姿を消した。そして乗客はだれもそんな乗客はいなかったと証言するのだが…
出演;マーガレット・ロックウッド、メイケル・レッドグレーブ、ポール・ルーカス
コメント;1938 年作品。今公開されている「フライトプラン」のオリジナルといっていいだろう。汽車の中で乗客が一人姿を消すが、その「理由」を映像ですべて解き明かし、ラストはもちろんしゃれたメロディとともにハッピーエンドで終了する。タテに並んだコンパートメントの中のそれぞれの人間模様やすさまじい勢いで走る汽車の様子などみている間に驚くようなシーンの連続。さらにアクション映画には必須の走る列車の外に出てまた列車に戻るという離れ業も披露されるのだが、この「手に汗を握り締める」という感覚がなぜに白黒映画でここまで迫真性をもって描写できるのかが不思議。1938年なのでまだ第二次世界大戦は始まっていないが映画の設定となっているバルカン半島が民族問題など複雑な事情でゆれていた時期もあって、「社会派サスペンス」のさきがけともいえるのかもしれない。ヒチコックの作品といえば、ハリウッド映画の基礎ともいえるのだが、21世紀の大規模予算映画よりも出来栄えがすばらしいというのは…。