GREAT LOVE KINGDOM

山を楽しむために生きる。

みんなどうもありがとう!(完全版)

2008年09月07日 01時14分56秒 | 介護のお仕事
寝ようと思ったらひょんなことを思い出しました。
6月から7月までの1ヶ月ちょっとをかけて頑張りました『認知症介護実践者研修』の職場実習の発表が途中で止まっておりました。
大した論文ではありませんが折角まとめたので記念にアップしておこうと思います。
 
長いのですが読んで頂き、何かを感じて頂ければ幸いです。
 
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 
平成20年度 第1回 さいたま市認知症介護実践者研修職場実習
テーマ『機能論的人間観と存在論的人間観について』
タイトル『みんなどうもありがとう!』
平成20年6月21日
作成者:晋哉アレックス(ここはつっ込むところです。)
 
 
1.人が人を評価する時、大きく分けて2つの考え方があると言われています。
 
①機能論的人間観(成果主義)
◎機能的に優れていることだけを価値あることと考える。
◎『~が出来るから立派。~が出来ないからダメ。』と言う考え方。
 
②存在論的人間観(絆関係)
◎存在そのもの、命そのものを大切な存在と考える。
◎『あなたがいるから、今の自分がある。いてくれてありがとう。』と言う考え方。
 
・人間は産まれた時、『産まれて来てくれてありがとう!』という両親や家族の絶対的な愛の元に育ちます。失敗をしても厳しく否定されること無く、いきいきと成長します。
これは、両親が『あなたがいるから、今の自分がある。いてくれてありがとう。』と言う、存在論的人間観を持って子供と接しているからだと思います。
 
・子供が成長し、学校に通う様になると…『100点とれて偉いね!』『良い学校に合格して凄いね!』または、『何でこんなに点数が悪いの!』『何で遅刻ばっかりしてるの!』と、『~が出来るから立派。~が出来ないからダメ。』と言う、機能論的人間観で評価されるようになります。
 
・今までは『いてくれてありがとう!』と言う、両親の愛情を受けていた子供が、ある日から『~が出来るから立派。~が出来ないからダメ。』と言う評価を受けたら、子供は一体、どのように感じるのでしょうか?
 
・『勉強が出来ないとお父さん、お母さんに嫌われる。』
『お父さん、お母さんに好かれなければ、自分はこの家でいらない子になってしまう。』『何も出来ない自分には居場所がない。』
と、思うかも知れません。
 
・しかし、人間は学校や社会に出ると必ずと言って良いほど『機能論的人間観』で評価されるのです。社会の中で積極性を持ち、成長して行くには『機能論的人間観』が必要だと思います。
 
 
2.我が家の話し。
我が家には小学校2年の息子と1年の娘がいます。先日、妻からちょっとショッキングな話しを聞きました。息子は100点以外のテストは学校に置きっぱなしにしているようなのです。
 
ボクは子供に対し、教育熱心にしていたつもりはありませんでしたが、心当たりはありました。子供に勉強を教えている際、正解すれば誉めていたし、間違えれば怒っていました。きっと息子は『100点を持って帰ればパパに誉められる。間違えれば怒られる。』と思っていたのでしょう。
 
 
3.ある女性の話し。
ある女性は数年前に父親を亡くしました。彼女の父親は、彼女が幼少の頃より病弱で、彼女の授業参観や運動会には一度も足を運ぶことのない人でした。彼女はそんな弱い、何もしてくれない、家族に迷惑ばかりかけている父親が嫌いで溜まりませんでした。
しかし、父親が亡くなった後、彼女の考え方は変わりました。何もしてくれない父親だったけれど、病院に見舞いに行けば会話をすることは出来たし、笑顔で病院の玄関まで見送ってくれた。
父親の笑顔と、手の温もりはもう存在しない。何処に行っても父に会えない。
そう思った時に『父の存在は私にとっても家族にとっても大切な存在であり、私にとって嬉しい存在だった。』と感じたそうです。
そんな彼女の後悔は、父が生きている間に『お父さん、私のお父さんでいてくれてありがとう。』と言えなかったことだそうです。
 
 
4.無償の愛。
家族は無償の愛で結ばれていると思います。
社会では『~が出来るから立派。~が出来ないからダメ。』と言う、機能論的な評価をされることが多くあります。しかし、家庭の中で、機能論的な評価を望む人はいるでしょうか?
『ただいま!』と家に帰り、『今日の仕事の成果は?』『今年はボーナス、幾らもらえるの?』と聞かれたら、『自分は何のために働いているんだろう?』と思うかも知れません。
『ただいま!』と家に帰り、『おかえりなさい!今日もお疲れさま!』と言われたら、その一言で疲れが幾分、吹っ飛んでしまうかも知れません。
 
 
5.続・我が家の話し。
最近、息子とはテストや勉強の話しよりも『今日は給食なんだったの?美味しかった?』とか『宿題が終ったら公園に行ってキャッチボールしよう!』と言った会話を多く持つようにしました。今まではボクの顔色を伺っていた感のある息子ですが、最近はやたらベタベタしてくるし、家庭の雰囲気も柔らかくなったような気がします。
 
 
6.まとめ。
人と人とが一緒に生きていくのに、機能論的人間観と存在論的人間観は共に必要な考え方だと思います。しかし、機能論的な考え方に偏ってしまうと、人生は味気ないものになってしまうかも知れません。
人間、若くて元気に働ける間は、色々な問題を自分でクリアすることが出来ます。
しかし、加齢と共に心身の機能が低下して行く高齢者に対し、機能論的な見方だけで、その人を評価すると言うのはとても厳しいことのように思うのです。
お互いが『あなたがいるから、今の自分がいる。いてくれてありがとう。』と言う、受容と感謝の気持ちを少しでも持てれば、お互い生きることが素晴らしく感じられるかも知れません。
 
利用者様、利用者様の御家族、そして職員同士。
みんながお互いの人生や想いを大切にしくことで、みんなにとって居心地の良いホームにして行きたいと思います。
 
(参考文献:『いてくれてありがとう』関根一夫 著)
 
 
これがボクのレポートです。
あえて『認知症』をキーワードに使わずに書きました。
分かりやすくしようとし過ぎた為に分かりづらくなってしまいました。
 
 
このレポートの反応(職場&利用者の家族の)は機会があったら報告します。
 
 
遅くなってしまったよ。お休みなさい☆
コメント (12)
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