一生

人生観と死生観

浅野前宮城県知事病む

2009-07-07 11:47:28 | 哲学
7月7日
 七夕の日。暑さの夏の日、晴れ後曇りとなりそう。
 さてしばらく前の新聞の報道によれば、前宮城県知事浅野史郎氏が白血病で療養するところとなったよし。この人は厚生省(当時)の課長から県知事になった人で、どちらかといえば純情派で話題をまいた。県知事になろうと思えば事務次官か局長を勤めてからという常識を破った(対立候補は事務次官経験者であった)。東京都知事選挙のときは石原知事に敗れたが、やむにやまれぬという構図は似たとろろだった。福祉の方面では実績のある人であったが、予算の制約などもあってか、宮城県では思うように動けなかったらしい。情報公開では高く評価されたが、警察との対立は解けず、県警の粘り勝ちとなったようだ。
 私どもが浅野氏に負うところは、彼が予防接種被害者に理解を示し、県の中央児童館に「いのち像」の設置を認めたことであった。通常公共の土地に彫刻などの寄付を申し出ても、いろいろの条件が調わなければなかなか認められない。われもわれもと変なものを設置してもらいたいと願い出るケースの多発を防ぐ必要があるからだろう。私どものこのいのち像は立派なドイツの彫刻家の制作物で変なものではもちろんないが、お役所がアレルギー反応を起こしやすい被害者団体が関わっている点で紆余曲折があったのである。浅野氏が理解を示したのは英断といってよい。
 その浅野氏も人の子、病には無理してはならない。まだ若いのに気の毒だが、回復すればまた日の当たる時もある。お見舞いとともに今後の自重を心から望んでいる。