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水戸の見て歩き

水戸にある菊池謙二郎撰文の碑

2018-06-20 20:59:12 | 水戸

 菊池謙二郎が書いた文が刻まれた石碑です。菊池は明治31年31歳で旧制第二高等学校(現・東北大学)の校長就任などの後、請われて水戸中学校(現・水戸一高)校長となったそうですが、大正10年に「国民道徳と個人道徳」という講演が批判されて政治問題化したため、校長を依願退職したそうです。それに反対する生徒達の同盟休校が行われたりもしたそうです。大正13年には衆議院議員に当選して1期つとめたそうです。史学の研究に専念し、「幽谷全集」、「藤田東湖全集」の編纂外、多くの著作があるそうです。校長退職前後共に碑文が書かれているようですので、地元では慕われていたのでしょう。下は、碑文一部や人物等を紹介しています。

 

二名匠碑( 明治43 偕楽園 常盤町1-3-3)
 水戸藩は文武に名が高かったが、工芸でも水戸彫りという刀剣技工は著しかった。徳川斉昭の時代に二名の匠(たくみ)が出て、昔を凌ぐ観があった。といったはじまりで、海野美盛(うんのびせい)と、萩谷勝平(はぎやかつひら)をたたえています。題額の部分には、海野勝珉(しょうみん)の龍と獅子が彫られています。

 

桜川遺跡碑(大正6年 桜川団地橋児童公園 河和田町)
 元禄9年に光徳川圀が桜数百本を移植したが、明治になって荒廃して数株になってしまったため、河和田青年会や村出身の官吏の努力で、大正4年に土地を村有にし、桜を植えて、光圀の時代の盛観取り戻すことを期している-などとあるようです。碑文は碑の裏にあります。碑表の題字は徳川圀順(くにゆき)です。

 

牲畜供養碑(大正15年 桂岸寺 松本町13-19)要確認
 水戸獣肉商組合等が建てた、食肉になった動物の供養碑です。題字は菊池謙二郎が書いています。

 

竃神社碑(大正14年 本町1-2-6)
 竃(かまど)神社は元、水戸城猪山にあって、寛永3年(1626)に赤沼に遷(うつ)り、元禄3年(1690)この地に遷った。三宝荒神といわれてきたが、天保年中(1830-43)に斉昭が今の名に改めた。人は火食によって命と齢を保っているのであるから、竃を祭って本に報いるのである。-などとあるようです。

 

尽誠碑(昭和12 年 国田大橋東信号近く  下国井町)
  法曹界で活躍し、退職後、下国井に住んで、地元の児童教育、産業振興に尽くした渡辺八郎の顕彰碑だそうです。題字は徳川圀順です。

 

百樹園記(昭和8年 元吉田町2618-1)
 祖父がおこなった杉の植林事業を見ていた孫の木村伝兵衛が、その隣に、光圀生誕300年を記念して、百樹園を整備した。光圀が、学と用のためにと、那珂川沿いに木を植えさせた百色山にならってのものでもあった。-などとあります。

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