ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の工事(10)

2021-01-31 20:16:05 | 水戸


水戸赤十字病院(三の丸3-12-48)
 薬局、コンビニエンスストア、理美容室を新設するための工事のようです。病院を取り巻く環境は日々に悪くなってきているようで、そうした状況への対応策なのでしょうか。上の写真は、去年11月に撮りました。下の写真は、どれも今年の1月に撮ったものです。

 

県営高天原アパート(河和田1)
 長寿化工事とかかれていました。公営のアパートは、高度成長期にたくさん建築されたようですが、改修時期の来ているものはたくさんあるのでしょう。高天原アパートは昭和55年の建築のようなので、すでに40年が経過しているようです。

 

好文亭(常磐町1-3-3)
 屋根の工事だけかと思いましたが、内部も大規模な修繕工事が行われているようでした。昭和44年、落雷によって奥殿などは焼失し、昭和47年に復元されたそうですので、ここも50年くらいたっているようです。ですから、地震対策とともに、大規模修繕の時期がきたということなのでしょう。

 

偕楽園公園(千波町)
 霞ヶ浦導水事業を利用して、那珂川の水を導水した桜川の水を千波湖にさらに引いて、千波湖を浄化しようという計画事業のようで、公園内ではそれに関係する工事があちこちで行われているようです。写真は好文橋から撮った四季の原で行われている工事です。

 

市道工事(西原36°23'18.9"N 140°26'13.5"Eあたり)
 姫子(36°22'59.0"N 140°25'54.4"Eあたり)まで来ている、市道西原見和線の、北側に延びて国道50号線にぶつかるところの工事です。その途中の工事には、まだ時間がかかりそうに見えます。

水戸の工事(9)

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水戸の石垣(8)

2021-01-30 20:26:05 | 水戸


百合が丘団地(百合が丘町)
 この団地は、石垣を特徴の一つにしているように見えます。このあたりは、かなり大きな石を部分的に使っています。

 

大手橋下(三の丸9)
 橋下に積まれた石垣です。本丸へ渡る本城橋(今の前にあった橋は昭和4年建設)下にも同じような石垣がありますので、同じ時期に建設されたのかもしれません。ちなみに、今の大手橋は、昭和10年の建設だそうです。

 

沢渡川緑地入口(緑町3-7)
 あまり目立つ場所ではありませんが、ここの石垣にはかなり力が入っているように見えます。

 

宮内町
 吉田神社の近くです。最近の石垣は、もともとの石形を生かして組んでいくという従来のスタイルではなく、横長の石を積むことが多くなっているようです。

 

市役所南側(中央1-4-1)
 こんな石垣も現れてきたようです。細かい石が使用できて経済的なようですが、針金の寿命しか持たないように思えるのですが、どうなのでしょう。

水戸の石垣(7)

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水戸の花と史跡等(1)

2021-01-29 19:19:12 | 水戸

 満開の花が恋しいころとなり、花と史跡等が並んだ写真を選んでみました。ウメはぼつぼつ楽しめるところもでてきたようですが、ほかの花々はまだ先のようです。

 

ウメ(薬王院回向堂 元吉田町682)
 ウメはサクラほどには目立たないようですが、満開の様子は、香りとともに、大いに春を感じさせてくれます。国の重文である本堂は、写真左の方にあります。(撮影 平成26/3/12)

 

シダレザクラ(六地蔵寺 六反田町767)
 本堂(左)と地蔵堂(右)をおおい隠すような、満開のシダレザクラです。毎年見ていると、だんだん華やかさが写真右の若いサクラに移りつつあるように感じられます。(撮影 令和2/3/25)

 

グミ(北柵御門 北見町1-9)
 新しく復元された冠木門の脇では、グミの花が満開でした。手前は水戸城の空濠です。(撮影 令和2/4/11)

 

ツツジ(偕楽園 常盤町1-3-3)
 この丸く刈り込んだツツジのかたちは誰が考えたのかでしょう、みごとな偕楽園の風景を形づくっています。背後に見えるのは、好文亭の3Fである楽寿楼です。(撮影 平成25/5/5)

 

マルバチシャノキ(善重寺 酒門町2096-2)
 ナンジャモンジャノキといわれてきたそうです。背後に見えるのは、国の重要文化財・聖徳太子立像を安置している大子堂です。(撮影 令和1/6/1)

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水戸の字(3)

2021-01-28 20:06:22 | 水戸

石河幹忠(もとただ)墓(酒門共有墓地 酒門町330)
 篆額(てんがく 碑の上部に書かれた篆書体の題字)の水戸は三条実美(さねとみ)だそうです。石川幹忠は、徳川斉昭の藩主擁立や、その隠居謹慎処分雪冤(せつえん 無実を明らかにすること)のときに奔走し、勘定奉行や郡奉行となり藩政改革を行い、反射炉建築のときには建設担当になったそうです。明治16年に建てられたようです。写真では、右が「故水」、左が「戸藩」です。

 

石河幹忠墓(酒門共有墓地)
 篆額の下にある墓誌の書は、明治の三筆といわれた日下部(くさかべ)東作(鳴鶴)だそうです。また、撰文は川田剛だそうです。

 

御製碑(水戸城二の丸 36°22'29.2"N 140°28'43.8"Eあたり)
 昭和21年に建立された御製碑を書いたのは、水戸徳川家13代の徳川圀順だそうです。

 

水戸工兵隊跡碑(文京1-6-61)
 昭和42年に建てられた碑で、書は津軽要塞司令官をつとめた工兵出身の陸軍少将・安井栄三郎だそうです。

 

江戸(水戸)街道宿場跡(本町2-1)
 平成12年に建てられたそうです。書は山内光雲で、山内はこの他にも、「水戸大神楽発祥の地」や「徳川慶喜向学の地」の碑も書いているそうです。

 

水戸大師扁額(六地蔵寺 六反田町767)
 本堂にかかっている額ですが、真言宗室生寺派大本山の室生寺(奈良県宇陀市)の管長・智明の書のようです。

水戸の字(2)

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水戸の花瓶

2021-01-27 20:23:41 | 水戸

 花瓶にもいろいろなものがあるようで、気がついたものをご紹介します。

 

居酒屋・味里(末広町3-2-4)
 お正月に、繭玉と花を生けた壺が店頭に飾られていました。倒れにくそうで、なかなかいい感じの壺です。

 

本町
 ここのお宅は、毎年雛祭りの頃にこのおひな様の花瓶を飾るようですが、今年はすでに置かれていました。

 

第一中学校(東原3-1-1)
 昭和4年に、かつてこの地にあった水高(水戸高等学校)へ昭和天皇の行幸があり、県下中等学校以上の生徒によるマスゲームと水高生のラグビーが行われ、その折に花瓶が下賜されたそうです。一中構内にある、水高資料展示室にあります。たぶん現在、市の施設はコロナでみな休館でしょう。

 

東照宮(宮町2-5-13)
 拝殿内に、有田焼らしい、三葉葵の模様の入った反物?も描かれた、美人風俗図が描かれた花瓶がありました。

 

二の丸展示館(三の丸2-6-8)
 水戸第二中学校改修工事中に発掘された、瀬戸美濃系仏花瓶(ぶっかびん)だそうです。二中の校庭あたりには、水戸徳川家の霊廟があったそうですから、そこで使われたのでしょうか。この霊廟には戊午の密勅(安政5年(1858) 戊午(ぼご)の年)に水戸藩に下賜された幕府改革を直接指示した勅書)が保管されたそうです。

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