ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の奉納酒樽(2)

2018-01-31 20:42:29 | 水戸

 積まれた酒樽はもちろん空で、杉の空樽や、ベニヤ板などで成形された樽形に菰(こも)をかぶせているのだそうです。多分樽奉納の時には、別に酒なども奉納されているのでしょう。いかにも神社らしい装飾で、最近は外国人観光客の話題になっているとか。酔っぱらい天国に住む、酒好き日本人を象徴するアイテムの一つなのでしょう。

 

東照宮(宮町2-5-13)
  拝殿前左右にずらりと並んでいました。

 

別雷皇太神(元山町1-1-57)
  奉納している滝田酒造店(酒銘 三ツ扇)には、現在別雷皇太神で演じられる向井町散々楽(ささら)が以前保管されていたそうです。

 

水戸八幡(八幡町8-54)
  初詣の時の写真です。ふだんは置かれていないようです。

 

弘道館鹿島神社(三の丸1-6-4)
 反対側には副将軍の酒樽が積まれていました。

 

大串稲荷神社(大串町2251)
  昨年9月の写真です。ここにも棒ささらがあるそうです。

水戸の奉納酒樽(1)

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水戸っぽい表示

2018-01-30 20:47:35 | 水戸

根本漬物(渡里町1800)
 水戸藩漬物処と漬物樽に書きこんでいてよく目立ちます。

 

根本行政書士事務所(渡里町1802-2)
 看板に水戸藩代書処とありました。根本漬物のすぐ近くです。

 

水戸藩薬草農園研究所(水戸市赤塚1-2029-121)
 水戸は徳川光圀による「救民妙薬」以来の遺風が残っているのでしょうか、薬草関連があちこちで見られます。

 

偕楽園東口(常磐町1-3-3)
  定とかいた高札がありました。偕楽園での注意事項看板でした。

 

居酒屋 みとっぽ(南町1-1-18)
 写真でわかるように、ひどい急坂の途中にある居酒屋で、ここで頑張っているのがみとっぽの証拠なのでしょう。水戸っぽの特徴である「怒りっぽい、理屈っぽい、骨っぽい」の三ぽいのうち、「骨っぽい」が、今は「飽きっぽい」に変わっているそうです。

 

常陸之國 もんどころ(城南1-3-2)
 居酒屋・ダイニングバーといったジャンルの店だそうです。水戸サウスタワーや、つくば市にも同名の系列店があるそうです。

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水戸の双体道祖神

2018-01-29 21:07:37 | 水戸

 水戸では双体の道祖神はたいへん少ないようです。明治以前で、道祖神に間違いないといえるものは、今のところ中丸町で1体見ただけです。こうしたほほえましい路傍の石仏を散歩などでみつけると、しあわせな気分になります。

 

中丸町(大丸精肉店道向かい)
 安永3年(1774)と刻まれていて、女神が徳利を、男神が盃をもっています。

 

前野共同墓地(下大野町 水戸高等特別支援学校近く)
 双体ではありますが、これが道祖神かどうかはわかりません。ひょっとすると六地蔵の一部なのかも知れません。安永7年(1778)のように見えます。

 

堀町(第五中学校近く)
 昭和56年に地元の方が子供たちの安全と地域の発展を願って彫ったそうです。

 

酒門町(市道吉田39号線沿い)
 裏側に平成13年と彫られていました。

 

松本町(私設展望台の近く)
 これも地元の方が、市の講座に参加して作ったものだそうです。

水戸の道祖神

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水戸の看板(5)

2018-01-28 18:22:43 | 水戸

カフェ 清ら(姫子2-352-114)
 木片を組み合わせて作った、ユニークな看板です。

 

倉田電気商会(開江町701-3)
 高圧電線用の碍子(がいし)を使っています。

 

石のコシバ(栄町2-7-23)
 石板の看板ですが、相当重そうです。

 

メツゲライ・タモン(酒門町1441-5)
 メツゲライはドイツ語で肉屋のことだそうです。感性の違ったデザインは新鮮な感じがします。

 

たむら小児科(百合が丘町8-8)
 小児科らしい看板です。

水戸の看板(4)

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水戸の酒の話(5)

2018-01-27 20:56:46 | 水戸

 

わーほい
 根本町のどんど焼き・わーほいでは、竹筒の盃で御神酒を参加者に授与していました。写真のように、どんど焼き近くで御神酒をカッポ酒(写真中央)にしている風景も見られました。さぞかしおいしかったことでしょう。

 

林十江
 現在に通じる感性を持った画家である林十江は、本町の本七町目にあった酒蔵・升屋の主人高野惣兵衛の長男として安永6年(1769)に生まれたそうです。吉久保清三郎が、甕の月(みかのつき 現在の酒銘一品)を醸造したのが寛政2年(1790)だそうです。

 

落雷
 享和元年(1801)には落雷がたくさん発生して、岩根村(現・岩根町)の居酒屋で飲んでいた大勢の客が大やけどをして、精神にも障害がでたそうです。当時藩医だった原南陽が、トウモロコシから調合した薬を飲ませ、さらにそれを風呂の湯に入れて入浴させたところ、皆快癒したそうです。写真は水戸市植物公園にあった原南陽の表示です。

 

立原杏所
 武士として誇り高かった杏所は、絵はあくまでも余技だったようです。先代藩主・斉脩(なりのぶ)未亡人の願いで、徳川斉昭に席画(会合の席で注文に応じ即座に絵をかくこと)をせよと厳命されてでかけた杏所は、吸い物椀で4,5杯酒をひっかけてから、手拭いで紙面をぬり、手に墨をつけて手形を押し、その後、筆を使って、ぶどうの絵を描いてから諫言(かんげん)したそうです。本人は死を覚悟しての行動だったようですが、斉昭からは大悦、酒は慎めという手紙があったそうです。写真は柳町2の宅地跡です。

 

追鳥狩
 軍事演習の追鳥狩(おいとりがり)が終わって、御酒下されの儀式では、六位以上の者は追鳥狩本陣にいた斉昭の前で御酒・御肴が下され、物頭以上は旗柵の内側で、それ以下は旗柵の外で20樽が供応されたそうです。2万人を超えたという参加者に対してはちょっと少な目ではないでしょうか。写真は追鳥狩の本陣跡(元石川町2736-9)に建てられた常磐神社です。

水戸の酒の話(4)

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