ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸に関することわざ(1)

2018-06-16 20:48:15 | 水戸

写真は桂岸寺です。

 

太閤は秀吉にうばわれ、黄門は水戸にうばわれ
 黄門というとすぐに水戸黄門という言葉が浮かんできます。黄門は、中国で皇帝の勅命を伝える黄門侍郎(こうもんじろう)という官職が、日本の中納言に似ていたので、中納言のことをいうようになったのだそうですが、中納言だった徳川光圀の代名詞になってしまったということのようです。「大師は弘法にうばわれ」が加わることもあるようです。

 

苦は楽の種 楽は苦の種と知べし
 光圀の訓戒だそうで、テレビドラマの主題歌のもととなった言葉のようです。 「徳川光圀卿九ケ条禁書」のうちの一つだそうです。「おきてにお(怖)ぢよ 火におぢよ」、「欲と色と酒とは敵(かたき)と知べし」、「分別(ふんべつ)は堪忍(かんにん)に有(あり)と知べし」なども外にあるそうです。

 

鰻の串は水戸に限る
 貧乏だった幕末の水戸藩武士がたずさわった内職の一つとして、鰻(うなぎ)の竹串づくりがあったようです。明治以降も「官吏になれば鰻は食えるが、なれなければ鰻の串を削るしか仕方なかった」といったふうにもかかれているようです。水戸の鰻串は高級品として高かったそうです。

 

水戸の飲み倒れ
  「紀州の着倒れ、水戸の飲み倒れ、尾張の食い倒れ」などといわれたようで、水戸藩人士の酒飲みは有名だったようです。光圀の酒豪ぶりとか、幕末反幕志士たちの飲みっぷりなどが話題になっていたからなのでしょうか。

 

霜月三夜は逃げても詣れ
  江戸氏が水戸城を大掾氏から奪うときに、勢至菩薩が現れて江戸氏を先導し、霜月二十三夜とその翌日に、月と日にそれぞれ祈念したことによってそれを成就したからとか、江戸氏が佐竹氏に敗れたのが霜月末だったので、「江戸は逃げても霜月三夜には参詣するように」という意味だとかいわれているそうです。二十三夜尊桂岸寺(けいがんじ)をいうことわざだそうです。

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